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異世界人



 〔エルフの憩い亭〕の一階の酒場。

 普段は喧騒渦巻くそこに、突然の静寂が舞い降りた。

 扉を押し開けて堂々とした態度で店の中に入ってきたのは、見慣れない服装の長身の女性だった。

 中性的なその容貌に、一部の魔獣狩りたちはその人物が男なのか女なのか判断に迷ったが、僅かな胸の膨らみと長い髪から女性と判断したようだ。

 しかし、この時点ではまだ店内に静寂は訪れなかった。

 見慣れない格好の見慣れない女性。確かに珍しい存在だが、盛大に注意を引きつけるというほどでもない。

 この店には、様々な人間が訪れる。魔獣の退治を求める者、逆に退治する魔獣を求める者。中には純粋な旅人が一夜の宿として利用することだってある。

 そんな場所である以上、見慣れない服装の人物は多々見かけるのだ。

 もっとも、彼女が着ている衣服の見事な仕立て具合は、見る者が見れば目を剥くものだろうが。

 だが、その女性に続いてその人物が店内に入って来た時、それまで賑やかだった喧騒が一瞬で静まり返った。

 金糸や銀糸をふんだんに使った神官服を着た老人。見ただけで相当高位の神官であることが誰にでも分かるだろう。

 しかもその神官服の老人は、この街でも指折りの有名人なのだ。

「あ、あれって……サヴァイヴ教団の最高司祭様じゃないか……?」

「ああ……間違いねえ。以前に礼拝で見かけたことがある……」

「で、でもよ? サヴァイヴ教団の最高司祭様が、一体どうしてこんな酒場に……」

 訪れた静寂はすぐに霧散する。そして、酒場にいた魔獣狩りたちは、口々に様々な憶測を交わし始めた。




 あまりにも予想通りの光景に、ジュゼッペに続いて店内に入った辰巳は頭を抱えたくなった。

 店の中には、当然ながら顔馴染みの魔獣狩りたちもいた。彼らは何か言いたげな視線を、じっと辰巳へと向けている。

 そんな中、がたがたと席を立ち上がって辰巳たちへと近づく者たちがいた。

「ちょ、ちょっとタツミ! 一体何事なのっ!?」

「最高司祭様がわざわざここまで足をお運びになるなんて……ま、まさか、この前の飛竜騒ぎ並の脅威がまた……」

 青い顔で辰巳へと近づき、彼の袖を引いて少し離れてから、彼ら──ジャドックとミルイルは声を潜めながら辰巳に問い質した。

「あー、いや、そんな大したことじゃなくて……それより久しぶりだな、ジャドックとミルイル。怪我とかなさそうで安心したよ」

「ええ、この通りアタシたちは元気だし、タツミちゃんから借りたパジェロちゃんのお陰で、たくさんの素材も運べて随分と稼がせてもらったわん……じゃなくてっ!! どうして最高司祭様が……」

 ジャドックとミルイルは、ちらちらとジュゼッペの方を何度も見ている。

 まあ、彼らの気持ちも理解できる。ジュゼッペのような社会的に高い身分の人物が突然このような店に現れれば、誰だって疑問に思うはずだ。

 当然、辰巳とジャドックたちの小さな声の会話に、必死に耳を(そばだ)てている者も少なくはない。

「本当に大したことじゃないんです。何と言うか……言ってみれば、お祖父様の気まぐれ……でしょうか?」

 済まなさそうな表情で、辰巳の横に並んだカルセドニアが説明する。

「それと……今回はちょっとお客様の意向もありまして……」

「お客様? それって、あの見慣れない格好の女の人のこと?」

 ミルイルが視線でその女性──ティーナを示す。当のティーナはと言えば、物珍しそうに店内を見回し、うんうんと何やら頷いていた。

「うん、なかなかいい雰囲気の店じゃないか! 気に入ったよ! よし、今度からこの時代を訪れた時は、ここに泊まるとしよう!」

 何やら勝手に一人で決め込んでいるティーナ。

 そこへ店内の様子がおかしいことに気づいたらしいエルが、慌ただしく駆け寄ってきた。

「た、タツミさん! カルセさん! 今日は一体どうして最高司祭様と一緒に……そ、それに……」

 エルはその蒼い瞳を見開いて、上機嫌なティーナを見つめた。

「こ……こちらの方は……もしかして……」

 パンツタイプのスーツにスニーカー。その姿は、どこからどう見てもこの世界の住人ではない。

 驚愕を露にするエルに向かって、ティーナはにこりと微笑むと胸に片手を当てて優雅に一礼する。

「これはお初にお目にかかる、エルフのご婦人。ボクはティーナ・エイビィ・ザハウィー。生れはイングランドだが、今はあちこちを流離う旅人と覚えておいてくれたまえ」

「い、イングランド……っ!? それじゃあ、やっぱり……」

 エルの視線が、ティーナから辰巳へと移動する。そんな彼女の視線に苦笑で応え、辰巳はエルに向かって口を開く。

「詳しい説明はこれからしますが……どこか、落ち着ける場所で話しませんか?」

 辰巳に、エルは言葉にはっとして周囲を見回す。

 今、店の中の注意は全て辰巳たちに向けられていると言ってもいい。そんな中で、地球世界から来たと覚しき人物の話ができるわけがない。

「そ、そうですね……じゃあ、空いている部屋へ移動しましょう」

 エルは店のことを従業員に任せると、上の階の空いている部屋へと辰巳たちを案内した。




 エルが一行を案内したのは、全員が入っても息苦しさを覚えない大きさの部屋だった。

 部屋の中にあるのはテーブルと数脚の椅子だけ。寝台などが見当たらないことから、ここは宿泊するための部屋ではなく、何か重大な打ち合わせをするための部屋なのだろうと辰巳は見当をつけた。

 その証拠に、この部屋の扉は他と比べて分厚く頑丈そうだった。これは中の会話が外へと漏れないようにとの配慮だろう。

 部屋にいるのは、辰巳とカルセドニア、そしてジュゼッペとティーナとエル。

 それに加えて、ジャドックとミルイルも同席している。

 ジャドックとミルイルがいてもジュゼッペが何も言わないところを見ると、辰巳の仲間ということでこの場にいることを認められたようだ。

 辰巳もまた、これは丁度いい機会だと感じていた。自分がここではない別の世界の出身であることを、いつかジャドックとミルイルには話そうと前々から思っていたからだ。

「じゃあ、俺から説明させてもらいます」

 全員が腰を下ろしたことを確認して、辰巳が進行役を務めるべく口火を切る。

「こちらのティーナさんは……先程彼女自身が言ったようにイングランド人……つまり、俺と同じ異世界の人間であり、そして……伝説の《大魔道師》ティエート・ザムイ本人なんです」

「え……? ちょ、ちょっとタツミ……? あなた、何を言っているの……?」

「そうよ、タツミちゃん。《大魔道師》と言えば、五百年ぐらい前の人間でしょ? エルフならともかく、人間が五百年も生きていられるわけがないわ。それに異世界って……」

 ジャドックとミルイルは、辰巳の言葉をすんなりとは受け入れられない。

 まあ、その反応が当たり前だろう。まさか五百年前の人物が、時間を超えてきたなど普通は考えもしないものだ。

 そして異世界から来たと言われても、ああそうですかと納得できるわけがない。

 だから辰巳も二人の様子に気を悪くするようなこともなく、淡々と事実を説明していく。

「二人が信じられないのも理解できるが、これは事実なんだよ。俺はこことは違う世界から、カルセによって召喚されたんだ」

 辰巳は、これまでの経緯をゆっくりと説明していった。

 最初は半信半疑だったジャドックとミルイルも、彼の真剣な表情にいつの間にか真面目に話を聞き入っている。

「……正直言って、タツミが異世界から来たとか言われても……すんなりとは信じられない。でも、タツミがそんな嘘を言う理由もないわよね」

「そうね。タツミちゃんがアタシたちを騙しても、何の得もないものね。でも、これでちょっと理解できたことがあるのも事実ね。時々タツミちゃんや女将さんがおかしなことを言うのって、その異世界とかに関係することだったのね」

 腕を組んで悩み顔のミルイルと、片手──左の上の手──を頬に当て、どこか納得顔のジャドック。

 辰巳がカルセドニアに召喚され、エルは辰巳とはまた別の手段で、この世界に来た。

 そこまでは二人も理解できなくもない。この世界には魔法という神秘の力がある。その力を使えば、時として奇跡と呼ばれることを起こすことも不可能ではない。

 そこまで考えた二人の視線が、相変わらず微笑みを浮かべているティーナへと向けられる。

「……タツミちゃんと女将さんのことはまあ、信じられるとして……この人が伝説の《大魔道師》であることはちょっと……ねぇ?」

「うん、シェイドの君……確か、ジャドックくんだったね? 君の言うことは理解できるよ。ボクだって見知らぬ人物が突然『私はイエス・キリストである』とか言い出したら、間違いなく正気を疑うからね」

 ティーナの言う「イエス・キリスト」がどのような人物かジャドックとミルイルには分からなかったが、その口振りからして彼女や辰巳の世界の偉人であろうと推測はできた。

「だが、ボクは正真正銘の《大魔道師》ティエート・ザムイさ! 今からそれを証明してみせよう!」

 彼女はどこか芝居がかった仕草で立ち上がると、すっと右手を水平に持ち上げた。

 同時に、彼女の右手の籠手から軽やかな金属音と共に、朱金に輝く細い鎖が解放される。

 飛び出した鎖はすぐに空間を超え、椅子に座っていたミルイルの背後に出現、そのまま彼女の身体を椅子ごと絡め取った。

「きゃ……っ!!」

 ミルイルが悲鳴を上げるより早く彼女の姿は消え失せ、部屋の天井付近に宙吊りにされる形で出現した。

 椅子に座ったまま、ぶらぶらと天井から眼下の辰巳たちを、ミルイルは声もなく呆然と眺める。

「こ、これって……タツミちゃんと同じ……」

「そうとも! タツミくんと同じ《瞬間転移》さ! もっとも、ボクの方が元祖だけどね!」

「おお、さすがは《大魔道師》殿。魔法の発動や魔力の運用が婿殿よりも洗練されておりますな」

「……確かに、俺よりもスムーズに魔力が流れている気がする……しかも、発動に消費した魔力は俺よりもずっと少ないんじゃないか?」

 ティーナが《瞬間転移》を発動させる際、彼女の身体を黄金の魔力光が覆った。しかし、その光は辰巳に比べるとかなり少ない。

 それはティーナが、辰巳より効率のいい魔力の運用をしているという証拠だろう。

「ほう、初見でそこまで分かったのかい? どうやら君の師匠は、しっかりと土台から君を鍛えたようだね」

 辰巳がティーナの魔力の流れや消費量を推し量ったのは、〈天〉の魔法使いに限らずどの系統の魔法使いでも理解できる技能である。

 しかし、それもしっかりと魔法使いとしての基礎を鍛え上げてこそ、活かされる技能である。

 ジュゼッペが辰巳に課した魔法の修行内容を、ティーナは見抜いたようだ。

「……どうでもいいけど、そろそろ下ろしてくれない……?」

 眼下で盛り上がる辰巳たちを見下ろしながら、天井でぷらぷらと揺れるミルイルが悲しそうに呟いた。




「これでボクが本物の《大魔道師》であることを理解しただろう? さあ、遠慮なくボクを誉め称えたまえ!」

 ミルイルを解放したティーナは、相変わらず芝居がかった仕草で堂々とそう言いのけた。

「……しかし、本当に驚いたわ。まさか本物の《大魔道師》様が、時間を超えて現れるなんて……」

 天井から下ろしてもらったミルイルが、感嘆の眼差しを《大魔道師》へと向ける。

 その隣では、ジャドックもミルイルと同じような表情でティーナを見つめていた。

「でも、その《大魔道師》様が何の用で私の店に?」

「もちろん、君に会いに来たんだよ、エルくん」

 ジャドックやミルイルから誉められて、実に上機嫌だったティーナ。そのティーナの目にきらりと真剣な光が宿る。

「タツミくんから聞いたところによると、君は世界を超える力を秘めたアイテムを用いてこの世界に来たそうだね? できれば、そのアイテムとやらを私に見せてもらえないだろうか?」

「あ、あの短剣を……?」

 エルの顔に警戒の色が浮かぶ。

 世界を超える力を秘めた短剣。それを手に入れたことが、エルにとっては全ての始まりだった。

 あの短剣を手に入れてから、本当にいろいろあった。

 辛いことも悲しいこともあったが、それ以上に幸せなことの方が多かった。

 エルにとって、あの短剣はかけがえのない宝物なのだ。その宝物を突然見たいと言われれば、たとえ相手が伝説の《大魔道師》であっても警戒して当然だろう。

 そんなエルの心中を察したのか、ティーナは再び芝居がかった仕草で優雅に頭を下げた。

「もちろん、君からその短剣を奪うつもりがないことは、こちらのサヴァイヴの最高司祭殿に誓おう。もしもボクがその誓いを破った時は、最高司祭殿がボクを罪人として王国に手配申請してくれたまえ」

「うむ、承知致した」

 サヴァイヴ教団の最高司祭であるジュゼッペが直接王国に手配の申請をすれば、それはラルゴフィーリ王国において最重要な咎人への手配となるだろう。

 確かに《瞬間転移》や《時間跳躍》が使えるティーナを捕まえることは難しいが、それでもその手口を知るジュゼッペや辰巳がいれば、ティーナを捕えることは全く不可能というわけでもない。

「……分かりました。《大魔道師》様と最高司祭様を信用します」

 エルはにっこりと微笑むと、椅子から立ち上がった。

「すぐに短剣を持って来ますから、少しだけ待っていてください」

 そう言って一旦部屋から出ていったエルは、それほど待つまでもなく戻ってきた。

 その手に、一振りの古ぼけた短剣を手にして。


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