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帰路へ

 石鼠は体が小さく、動きも素早い。

 例えカルセドニアの魔法を以てしても、三十体近い石鼠全てを捉えるのは不可能で、魔法の効果範囲から逃れ得た個体がいくつか存在した。

「四体、呪文の効果範囲から逃れた個体がいます! 右に三、左に一!」

 《生命感知》の効果がまだ残っているカルセドニアが、運良く《雷雨》から逃れた石鼠の存在を辰巳とモルガーナイクに告げた。

 それを聞いた瞬間、二人が動く。

 モルガーナイクは事前に魔法で強化しておいた身体で、だん、と勢いよく大地を蹴る。

 撃ち出された矢のように飛び出したモルガーナイクが、腰から剣を抜き払いつつ左に逃走する石鼠に肉薄する。

 モルガーナイクの本来の得物は大槍だが、今回の相手は身体が小さく動きも素早い石鼠だ。そのため、大槍で石鼠を相手にするのは不利と考えた彼は、剣を今回の主武器に選んだ。

 魔力で強化されたモルガーナイクは、石鼠以上の速さで左側に逃げた小さな魔獣に迫る。

 石鼠の逃げ込む先は小川。水の中にさえ入れば、石鼠を剣で捉えることはまず不可能だろう。

 小川までの距離はあと僅か。石鼠が小さな体を必死に動かして水を目指して疾走する。

 そして、小川のすぐ傍まで辿り着いた魔獣は、脚力を活かして小さな体を宙へと踊らせた。

 そのまま水中へ没すれば、石鼠の逃走は成功したも同然。

 しかし。

 宙に踊らせた小さな体を、銀の閃光が薙ぐ。

 本来、石鼠の小さな体を武器で捉えるのは難しい。だが、モルガーナイクほどの腕であれば、それも不可能ではない。

 ぎりぎりで追いついたモルガーナイクは、大きく剣を振る。

 走り抜けた銀光が魔獣の小さな体を両断し、二つに別れた魔獣の体がぽちゃんと小さな音を立てて水の中へと落ちていった。




 一方、残りの魔獣の内、二頭を辰巳が追う。

 追うとは言っても、辰巳はモルガーナイクのように足を動かしたりはしない。

 彼は逃げ去る二つの小さな体を確認すると、すぐに《瞬間転移》を発動させた。

 逃げる魔獣の前方を塞ぐ形で辰巳の身体が出現し、出現すると同時に腰から飛竜素材の剣を抜き打つ。

 居合いなどという高等技術を辰巳は持ち合わせていないが、辰巳の出現に思わず足を止めた石鼠の一体を、透明な刃を持つ剣が両断する。

 仲間が両断されるより早く、残るもう一体の石鼠が進路を変えて別方向へと逃走。

 それとほぼ同じタイミングで、辰巳の手元で澄んだ金属音が響き黄金の鎖が迸った。

 解き放たれた『アマリリス』は、使い手の意思に忠実に応えて空間を超え、逃げる魔獣の小さな体を捉える。

 虚空より出現した『アマリリス』の先端は、難なく石鼠の体を貫いた。




 残る石鼠は一体。

 その一体は、逃走を選ばなかった。

 正確には、一旦は逃げようとしたようだが、その進行方向を急遽反転させたのだ。

 窮地に追い詰められて一矢報いることを選んだのか、それとも混乱したが故の行動だったのか。

 カルセドニアの雷から逃れた最後の石鼠は、結果的に呪文を解き放った直後のカルセドニアへ向けて突進した。

 小さな体を最大速度で移動させ、瞬く間にカルセドニアへと迫る。

 カルセドニアは、先程呪文を発動したまま動かない。その彼女に向けて、魔獣の小さな口から、長い舌が飛び出す。

 もちろん、その先端には石化毒のある小さな針。

 例えカルセドニアでも、毒針を受ければ石化毒の影響を受ける。

 手足が石化したぐらいならば、彼女自身の《解毒》で毒を消すことはできるだろう。

 だが、毒針が頭部や心臓など、急所に当たればこの限りではない。

 頭部や心臓といった箇所が石化してしまえば、それは遠くない未来に死が訪れることを意味する。

 それが分からぬカルセドニアではあるまい。しかし、彼女はその場から動こうとはしない。

 呪文を発動した直後のため動けないのか? いや、違う。

 彼女は動けないのではない。自分の意思で動かないのだ。

 なぜなら、彼女は確信しているからだ。魔獣の毒針が、自身の身体に絶対に届かないということを。

 事実、魔獣の毒針がカルセドニアの身体に到達する直前。

 両者の間に、黒い影が疾風の如く割り込んだ。

 いや、影は割り込んだのではなく、突然出現した。

 魔獣の毒針は、現れた黒い影が持つ盾に阻まれる。

 どれだけ石鼠の毒針が鋭かろうとも、飛竜の素材を用いて作られた盾を貫通することはできない。

 かん、と小さな音と共に魔獣の毒針が盾に弾かれ、同時に宙を黄金の鎖が(はし)る。

 伸ばされた舌と石鼠の体が一瞬で都合四つに分断され、石鼠の最後の反撃も何の成果も上げることはできなかった。

「怪我はないか?」

 カルセドニアと石鼠の間に割り込んだ黒い影──辰巳が、笑顔と共に背後を振り返る。

「はい。旦那様が守って下さると信じていましたから」

 夫の笑顔にそれ以上の笑顔で応え、カルセドニアは数歩辰巳へと近づいた。

「……でも、守っていただいたお礼は……しないといけませんよね?」

 辰巳のすぐ傍まできたカルセドニアは、ふわりと夫の頬に自分の唇を触れさる。

 相変わらずな辰巳とカルセドニアに、モルガーナイクがやれやれと苦笑気味に肩を竦めて見せたが、当然ながら二人は気づいていなかった。




 こうして、ラギネ村に秘かに息づいていた石鼠という脅威は、辰巳たちによって取り除かれた。

 そして、瞬く間に数多くの魔獣を退治したことで、カルセドニアの──《聖女》の名声は更に高まる。

 かつては「気狂い」だと思われていたカルセドニア。だが、もう彼女をそう呼ぶ者はラギネ村には存在しないだろう。

 小さいとはいえ、恐しい石化毒を持つ石鼠の群れを、一瞬のうちにほとんど焼き払った驚異的な攻撃魔法。

 石鼠の毒に侵された少女を助けた、慈悲と慈愛に満ちた治癒魔法。

 そして何より、夫である漆黒の鎧を着た青年の傍らに常に寄り添い、幸せそうに微笑むその笑顔。

 それらを見たラギネ村の住民は、二度とカルセドニアを「気狂い」とか「嘘つき」とは呼びはしないだろう。

 同時に、カルセドニアの家族であるベックリーたちもまた、村の中での地位を向上させることになる。

 《聖女》の実の親ということで、村の中では一目置かれるようになったのだ。

 もともと、ベックリーたちが村外れで貧しい暮らしをしていたのは、前村長であるネフローの思惑のせいだった。

 ベックリーの妻であるネメアに唯ならぬ想いを抱き続けてきたネフローは、村長という立場を使ってベックリーとネメアが村で孤立するように仕向けていた。

 ベックリーとの貧しい暮らしに、ネメアがいつしか後悔と共に自分に泣きついてくるように。

 そう考えて、ネフローはベックリーとネメアを少しずつ追い詰めていたのだ。

 しかし、そのネフローももういない。ベックリー一家も、かつてのように村の中に再び迎え入れられた。

 もう、この村で辰巳とカルセドニアたちがしなければならないことはない。

 あとは、ラギネ村を発ってレバンティスに帰還するだけだ。




 辰巳とカルセドニア、そしてモルガーナイクやジョルト、イエリマオたちがラギネ村を発つ日がきた。

 旅立ちの準備を終え、村の中央広場で辰巳たちはパーロゥを従えて背後を振り返る。

 新たにラギネ村の村長となったディグアン、サヴァイヴ神殿のベーギル司祭、カルセドニアの家族であるベックリー、ネメア、リリナリア。

 他にもほとんどの村人たちが、旅立つ辰巳たちの見送りに広場へと詰めかけていた。

「皆さん、今回は本当にいろいろとお世話になりました」

 村人を代表して、村長のディグアンが頭を下げる。

 それに合わせて、村人たち全員もまた村長に倣う。

 そんな村人たちの中から、一人の少女がおずおずとカルセドニアの前に進み出た。

「……姉さん……」

 進み出た少女──リリナリアは、はにかみながら言葉を紡ぐ。

「いつでも……いつでも帰ってきてね。この村は姉さんの故郷なんだから……もちろん、()()さんも一緒にね」

「リィナ……」

 カルセドニアは妹の身体を抱き締める。

 リリナリアもまた、少し躊躇いながらも姉の身体に両腕を回す。

 もう二人の姉妹の間に確執はない。それは、姉と両親の間にもだ。

 ラギネ村に滞在している間、カルセドニアと両親の間の溝は、順調に埋められていたのだ。

 抱擁しながら別れを惜しむ姉妹を見ながら、今度は彼女たちの父親が進み出た。

「……改めて、お礼を言わせてくれ、タツミくん」

 ベックリーは辰巳に対して、深々と頭を下げた。

「カルセから君のことは聞いた。君が『夢の中の少年』だったんだな。昔カルセが言っていたことは……本当だったんだな」

 夢の中で出会う少年。幼い頃のカルセドニアは、何かあればそのことばかりを口にしていた。

 ベックリーは、幼い娘の言うことを信じられなかった。いや、彼が悪いというわけではないだろう。誰だってこことは違う世界に住む人物のことなど、信じられるわけがない。

「まだカルセが幼かった頃、俺がもう少し娘の言うことを信じてやることができれば……いや、昔のことはもう言わないでおこう。娘も……カルセも俺たちのことを許してくれたのだから、もう昔のことを蒸し返しても意味がない」

 ベックリーは顔を上げると、その右手を辰巳へと差し出した。

「娘を……カルセドニアのことは任せた。君になら、安心して娘を任せられる。それから……」

 空いている左手でがりがりと頭を掻きながら、ベックリーはちょっと恥ずかしそうに付け加えた。

「君たちが前村長に返してくれた借金は、いつかかならず全額返す。ただ……俺たちは君たちほど稼ぎがいいわけじゃないから、少しずつ返すことになるだろうけど……」

「ええ。焦らなくてもいいですから、ゆっくりと返してください……お()()さん」

 辰巳は差し出されていたベックリーの右手を、しっかりと握り締めた。

 辰巳から改めて義父と呼ばれて、ベックリーは大きく目を見開く。

 だが、それはゆっくりと細められ、ベックリーの顔に笑みが浮かぶ。

「娘を頼む! それから、リィナじゃないがいつでも遊びにきてくれよ、タツミくん……いや、タツミ!」

「分かりました。いつか、お義父さんたちも王都に遊びに来てください」

 義理の息子に負けじと、ベックリーも右腕に力を込める。

 この時の彼の腕には、力だけではなく信頼もまた、込められていた。




 辰巳たち四人はパーロゥに跨った。モルガーナイクもまた、(ちょ)(しゃ)に繋がれたオークに手綱を振るう。

 四騎のパーロゥと一台の猪車は、ゆっくりとラギネ村を出発する。

「タツミ! とりあえずの目的地はトガの町な。そこで旅に必要な物資を補給したら、改めてレバンティスを目指そう」

「分かったよ、ジョルト」

 辰巳は愛騎であるポルシェをトガの町方面へと向ける。その横には、当然とばかりにフェラーリを駆るカルセドニアが並ぶ。

「何か……いろいろとあったけど、ようやく帰路に着けるな」

「そうですね。長い間家を空けてしまったので、帰ったらしっかりとお掃除をしないと……あ、でも、お掃除はブラウニーがしてくれているかもしれません」

「それもそうだな。家に帰ったら、ブラウニーに何か美味しいものを食べさせてあげよう。それから、エルさんとかジャドックたちに何かお土産を買っていかなきゃ……って、そもそもこっちの世界に旅のお土産を買う風習ってあるのか?」

 ポルシェの背に揺られながら、辰巳は首を傾げる。

 そんな辰巳の様子がおかしかったのか、カルセドニアがくすくすと笑いを零す。

 幸せそうに笑う彼女に、もう憂いの影は全く見当たらなかった。



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