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石鼠

 早朝。

 太陽が山々の向こう側から顔を出し始める頃。

 そろそろ起き出すラギネ村の片隅に、澄んだ歌声が響いていた。

 歌声の主は女性。

 その女性は、薪の材料として村長宅の庭先に積み上げられている丸太に腰を下ろし、目を閉じて美しい白金色の長い髪を僅かに揺らしながら歌う。

 歌の内容は神を称えるもの──讃美歌だ。

 桜色の可憐な唇から零れ落ちる、神を称える言葉の数々。その言葉たちは美しい旋律を与えられ、歌となって周囲の空気を震わせた。




 ラギネ村の人々──特に村長の家の近くに住む者たちは、聞こえてくる美しい歌声に耳を傾ける。

「この歌声は……噂の《聖女》様かね?」

「ああ、以前この村に住んでいた、ベックリーのところの娘だろ? 昔は気狂いとか言われていたが……」

 畑へと向かう途中の二人の農夫が、歌声に耳を傾けながら言葉を交わす。

「それ、どうも違うらしいぞ? 何でも、《聖女》様は幼い頃から魔法の力に秀でており、夢である種の予見をしていたんだと」

 幼い頃より、夢を通してある種の予見をしていた《聖女》は、そのことを周囲の大人たちに告げていた。

 だが、まだ幼かった彼女の言葉は大人たちに上手く伝わらず、気狂いだと勘違いされていた。

 それが最近のラギネ村のあちこちで、誰もがよく耳にしている噂だ。

「そして、その予見のことが偶々王都のとってもお偉い神官様の耳に入り、ベックリーの娘を引き取りって《聖女》様と呼ばれるまでに育てたんだそうだ」

「へぇ、お偉い神官様ともなると、話を聞いただけでそんなことまで分かりなさるんだな」

「きっと、魔法とか使ったんじゃねえか?」

「なるほど。王都のお偉い神官様ともなれば、魔法ぐらい使えるだろうしな。で、その予見ってなぁどんな予見なんだ?」

「代官さまのところの若様……いや、もう儂らの村長か。村長はこの国が窮地に陥った時、この国を救う救世主が現れることを《聖女》様は子供の頃から予見されていた、と言っていたな」

 ラギネ村の住人たちも、最近王都を恐ろしい怪物が襲ったという噂話は聞き及んでいた。

 そして《聖女》の予見通りに救世主が現れ、その怪物を見事に退治した。それがこの村の新しい村長となったディグアンが、村の住民たちに語った内容である。

「それで、その怪物を退治した救世主ってのが、《聖女》様のご亭主らしい」

「ああ、いつも真っ黒い鎧を着ているあの御仁か」

「あの真っ黒い鎧こそが、あの御仁が怪物を退治した証なんだと」

 もちろん、これらの噂はジョルトが敢えて流したものである。

 かつて、カルセドニアはこの村では気狂いだと思われていた。

 その過去を払拭するため、ジョルトはこの噂をわざと流したのだ。

 この噂が広まることで、カルセドニアに対する村人たちの見方も変化していくだろう。もちろん、彼女の家族に対する見方も。




 滔々と流れるように響く《聖女》の歌声。

 その高く澄んだ歌声に、突然もう一つの旋律が重なった。

 それは男性の声で、女性のものよりも低い旋律を力強く奏でる。

 女性の歌声が吹き抜ける風に例えるならば、男性の歌声はしっかりと大地に根を張った大樹だろうか。

 風が大樹の枝を震わせて葉擦れの音を奏でるように。

 大樹が優しく吹き抜ける風に身を委ねるように。

 二つの歌声は互いに互いを高め合いながら、ラギネ村の片隅を流れて行く。




 突然聞こえてきた自分のものではない歌声に、カルセドニアは閉じていた目を開いた。

 開いた真紅の双眸に映るのは、もちろん彼女がこの世界で最も愛しいと思う人物。

 彼──辰巳は歌いながらカルセドニアに近づくと、そのまま彼女の隣に腰を下ろした。

 辰巳も神官であり、当然ながら讃美歌は一通り覚えている。

 元々、辰巳は歌が嫌いではない。ミュージシャン志望だった父親から幼い頃より音楽の手ほどきを受けていたこともあり、駆け出しの吟遊詩人ぐらいには歌える技量がある。

 辰巳とカルセドニアは、互いに微笑み合うとそのまま歌い続ける。

 辰巳の低い歌声と、カルセドニアの高い歌声が旋律に厚みを作り出し、手と手を取り合うように混じり合いながら、早朝のラギネ村の中をゆっくりと流れていく。

 やがて讃美歌の歌詞が終わりを迎える。

 二人は同じタイミングで肺に残った息を吐き出した。そして、再び顔を見合わせてくすりと笑う。

「朝起きたらカルセの姿が見えなくて……どこに行ったのかと思っていたら、窓の外から歌声が聞こえてきたんだ」

「つい、早めに目が醒めてしまって……旦那様はまだお休みだったので、一人で起き出しちゃいました」

 今、辰巳たちは村長の家で寝泊まりしている。

 カルセドニアの生家は小さすぎて、二人が寝泊まりする余裕はない。

 最初は宿屋に泊まるつもりだったのだが、村長となったディグアンの計らいで、村長宅に泊まらせてもらっているのだ。

 もちろん、トガの町で査察を終えたジョルトとイエリマオ、そしてモルガーナイクも一緒だ。

「体調は問題ないか? 今日はカルセが主役だぞ?」

「はい! がんばって(せき)()を退治しましょう!」

 本日は、石鼠を一網打尽にする作戦が決行される予定である。

 群れを成す習性を持つ石鼠。その石鼠の群れを一気に叩くには、カルセドニアの範囲型の攻撃魔法が必須だ。

 そのため、辰巳とモルガーナイクがサポートに回り、カルセドニアが魔法で石鼠を一網打尽にする。それが今日の作戦の大まかな内容である。

「夕べはぐっすりと眠りましたから、体調も魔力も万全です。でも…………」

 カルセドニアはちょっとだけ頬を染めながら、もぞもぞとお尻の位置をずらして隣に座る辰巳に密着すると、にっこりと笑って彼を見た。

「…………少しだけ、こうしていてもいいですか?」

 辰巳の右腕に自らの左腕を絡めながら、カルセドニアはこてんと頭を辰巳の肩に預けた。

「……こうしていると……もっともっと元気が出ますから……」

 辰巳の肩に頭を預け、気持ち良さそうに目を閉じるカルセドニア。

 辰巳はそんな彼女に柔らかく微笑みながら、優しくその頭を撫でてやった。




 石鼠は、「鼠」という名前こそ付いているものの、その生活形式はカワウソに近い。

 水辺に巣を作り、小さな魚や小型の水棲動物などを主食としている。

 時には水辺から離れて木の実などを食べることもあるが、それほど川から離れることはない。

 おそらくリリナリアを襲った石鼠も、彼女の家の畑の野菜を食べるために陸へ上がった個体なのだろう。

 石鼠は小さな魔獣なので、畑仕事などに集中しているとその存在に気づくことは難しい。

 近くに石鼠がいることに気づかなかったリリナリアは、知らず知らずの内に石鼠を驚かせ、その毒針を身体に受けたのだろう。

 ラギネ村の中には井戸こそ各所にあるものの、川は流れていない。

 少し離れれば大きな川はあるが、それでも村の中を流れる川は、村外れにあるベックリー一家の家の近くの小さなものだけだ。

 この小川の周囲こそが石鼠の活動エリアであり、同時に村の中でリリナリアだけが石鼠の毒を受けた理由であると、石鼠の生態を知るカルセドニアとモルガーナイクは判断した。

 昨日の探索において、モルガーナイクはベックリーの家から小川をやや上流に遡った場所で、石鼠の巣穴を発見していたのだ。

 辰巳ではこの巣穴を発見できなかったが、魔獣狩りとしての経験が辰巳よりも豊富なモルガーナイクは、巧妙に隠されていたこの巣穴を見事に発見していた。




「……これが石鼠の巣穴ですか……」

「ああ。今後の参考になるだろうから、よく覚えておくことだ」

 魔獣狩りの先輩であるモルガーナイクの言葉に、辰巳は素直に頷く。

 カルセドニアとのまったりとした時間を過ごした辰巳は、モルガーナイクに連れられて石鼠の巣穴を見に来ていた。

 目的はもちろん、モルガーナイクの言うように今後の糧とするためだ。

 この巣穴のある場所は辰巳も昨日調べたが、彼の目ではこの巣穴を発見することはできなかった。しかし小川の岸辺、丁度草の影に隠れるように確かにその巣穴はあった。

 石鼠は小さな魔獣なので、当然その巣穴も小さい。その小ささと草の影ということもあり、経験の浅い辰巳は巣穴を見落としてしまったのだ。

「これ、巣穴を塞ぐだけじゃ駄目ですか?」

「石鼠は穴掘りが得意だからな。例えここを塞いでも、別の場所に出口を作るだけだろう」

 また、石鼠の巣穴は辰巳の知る蟻の巣のように複雑に入り組んでおり、出入り口から攻撃魔法を打ち込んだとしても、群れ全体を退治することは難しい、とモルガーナイクは教えてくれた。

「となると最初の予定通り、巣穴から出てきたところをカルセの魔法で一気に叩くしかないわけですか」

「そうなるな。石鼠は夕方頃から翌日の夜明け前までが最も活動に行動するから、日暮れ直前が勝負となるだろう」

 辰巳とモルガーナイクは、そっと石鼠の巣穴から離れる。

「計画は予定通りだ。夕方までに準備を終わらせるぞ」

「はい、分かりました」

 モルガーナイクの言葉に、辰巳は力強く頷いた。




 石鼠の巣穴から、少し離れた陸地。そこに、大量の小魚が積み上げられていた。

 辺りに死んだ小魚から発生する、独特の生臭い臭いが漂う。

 これらの小魚は、もちろん石鼠を誘い出すための囮だ。

 ディグアン新村長の指示の元、ラギネ村の住民の協力を得て昼間の内に小魚を集め、石鼠の巣穴から程近い場所に集めておいた。

 これで日が暮れて石鼠の活動期になれば、警戒心がそれほど強くはない魔獣たちは、臭いに誘われてその姿を見せるだろう。

 やがて日が暮れて、周囲が赤から群青色に染まり始める頃。

 巣穴から一頭の小さな鼠のような生き物が顔を出し、ひくひくと鼻を蠢かせて辺りの臭いを嗅ぎ出した。

 その一頭が穴から小魚へと移動を始めると、更に一頭が穴から顔を出し、周囲の様子を探り出す。

 その後、一頭、また一頭と鼠のような生き物──石鼠が巣穴から姿を現しては、積み上げられた小魚へと集まっていく。

 その様子を巣穴から少し離れた所で監視していたのは、辰巳とカルセドニアである。

 カルセドニアは事前に展開しておいた〈聖〉系統の《生命感知》で、巣穴の中の様子を探る。

「────どうやら、巣穴にいた石鼠は全て外に出たようです。数は全部で二十八ですね」

「よし、じゃあ行動開始だ」

 カルセドニアの言葉を聞いた辰巳は、自身とカルセドニアを《瞬間転移》で移動させる。

 数回の転移の後に彼らが出現したのは、小魚の山から辰巳の感覚で二〇メートルほど離れた樹木の影。

 そこには、既に準備を整えたモルガーナイクが控えていた。

 突然現れた辰巳とカルセドニアを見ても、モルガーナイクは特に驚いた様子もない。

 全ては事前に打ち合わせしていた通りなのである。

 辰巳とモルガーナイクが黙って頷き合う。同時に、カルセドニアは小声で呪文の詠唱に入った。

 そして彼女の詠唱が終わると同時に、小魚の山の周囲に幾条もの雷が降り注いだ。


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