トガの町にて
日も完全に沈んで夜の帳が降りきった頃。
普段ならば夜遅くまで営業している酒場でさえ、そろそろ店仕舞いをしようかという時間。
そんな時間に、トガの町の正門に三騎のパーロゥが突然駆けつけて来た。
「開門っ!! 王都より、王家の査察官殿が到着されたっ!! 至急、開門されたしっ!!」
先頭にいたパーロゥに跨った赤毛の男性が、大きな声で叫ぶ。
暗い夜道を駆け抜けて来たらしいその一行の周囲には、幾つもの鬼火のような炎が揺れている。
この炎の灯りを頼りにして、夜の街道をパーロゥで走り続けて来たようだ。
ゆらゆらと揺れる幾つもの炎──おそらくは魔法による炎──は、トガの町の門番たちも気づいていた。
徐々に近づいて来るらしいその炎を警戒するため、数多くの兵士たちが正門に詰めかけていたのだ。
その兵士たちは、男性の声を聞いて大いに驚愕した。
確かに、王都からの査察官が突然現れることはある。しかし、こんな遅い時間に現れたことは今までに一度もない。
「もしかして、査察官を騙る賊でしょうか?」
兵士の一人が、その場の責任者らしき兵士に伺いを立てる。
「さてな。仮に賊だとしたら、随分と大胆じゃないか?」
正門を預かる兵士の責任者は、兵たちを率いて三騎のパーロゥの前に立つと、堂々とした態度で彼らに応じた。
「失礼だが、このような時間に王家の査察官殿がおみえになられるとは思えない。何か身の証となるものはあるか?」
「国王陛下よりお預かりした書状があります。検めてください」
三騎の内の一騎に騎乗した中年の男性が差し出した書状を受け取った兵士は、そこに押された蝋封の紋章を見て目を丸くした。
「……こ、この紋章は、間違いなく王家のもの……し、失礼致しました! 直ちに門を開けます!」
「いいえ、お気になさらず。貴殿は職務を遂行したまでですから」
「きょ、恐縮ですっ!!」
恭しく頭を下げた兵たちの前を通りすぎ、三騎は開かれた門を通ってトガの町の中に入って行った。
代官の暮らす館に案内された一行は、直ちに代官のライカム・グランビアと対面した。
その際、ライカムの隣には彼の嫡子であるディグアンの姿もある。
ライカム・グランビアの年齢は四十代半ばほどか。
濃い茶色の髪と同色の瞳を持つ彼は、四十代という年齢を感じさせない精悍な印象の男性だった。
衣服に隠されてはいるが、その肉体は戦士か騎士のそれ。今でも鍛錬を欠かさないであろうその所作に隙はない。
そして、息子のディグアンもまた、長身で均整の取れた肉体を持つ青年だった。
年齢はカルセドニアやガルドーと同じぐらい。つまり、二十歳前後だろう。
父親と同じ色の髪と目をした、爽やかな印象の青年である。
しかし、その目にははっきりとした意志が宿り、ただ爽やかなだけではなくしっかりとした芯を感じさせた。
「これはイエリマオ殿。このような時間に来訪されるとは、いかがされたか?」
この世界では深夜と言ってもいい時間帯の来訪に、ライカムは気を悪くした風もなくイエリマオに尋ねた。
「はい、申し訳ありません、グランビア卿。少々事情がありまして、このような時間の到着になりました」
「事情……?」
やや首を傾げながら、ライカムは改めて一行を確認した。
先頭にいるイエリマオは、彼もよく知っている。王太子の側近である彼を知らない者は、この国の貴族の中にはあまりいないだろう。
そんなイエリマオの背後には、文官の見習いらしき少年と、護衛らしき魔獣の素材を用いた鎧を纏った赤毛の男性。
ライカムは、にこにこと笑う文官見習いの少年の顔を見て、ぴくりと僅かに眉毛を震わせた。
同時に、息子のディグアンもその少年の顔を見て、僅かながらに驚きを露にしている。
「そちらの見習いらしき少年よ。イエリマオ殿の言う事情とやらに、その方が関与しているのか?」
「はい、閣下。できればそちらの────」
少年の視線が、ライカムの隣にいるディグアンへと向けられる。
「────閣下のご子息のディグアン様とお話ししたいことがあるのですが……構いませんでしょうか?」
「いいだろう。部屋を用意させる。ディグアン、あの少年の話を聞いてあげなさい」
「はい、父上。では殿……いや、見習いの少年。こちらへ来るがいい」
立ち去るディグアンの背中を見ながら、見習いの少年はイエリマオに頭を下げる。
「では、先生。俺はディグアン様とちょっと話をしてきますね。本当は先生の手伝いをしないといけないんだけどさ」
「ええ、ごゆっくりどうぞ、ジョルトくん。事情が事情なので仕方ありません」
イエリマオに笑顔で見送られたジョルトは、にっこりと微笑んでディグアンの後について行った。
自らジョルトを別室へと案内したディグアンは、その部屋から人払いをするとジョルトに向かって跪いた。
「お久しぶりでございます、ジョルトリオン殿下」
「あー、そう畏まらないでよ、ディグアン。今の俺は単なる文官見習いだからさ」
軽い調子でディグアンに告げたジョルトは、すたすたと部屋の中を横切って勝手に椅子の一つに腰を下ろすと、いまだに跪いたままのディグアンにも座るように勧める。
まるで我が家だと言わんばかりのジョルトの態度だが、ディグアンは別に気にもしない。
ここは代官が暮らす館だが、正確にはここも王家の所有する建物である。そういう意味では、ジョルトこそがここの主人であると言える。
そのジョルトの言葉に従ったディグアンは、椅子に座ると早速とばかりに切り出した。
「私も父より王家の習わしは聞き及んでおりますので、そのように対応させていただきます。して、お話しがあるとのことですが?」
「うん、時間も時間だから単刀直入に聞くけど、ラギネ村のガルドーって男、知っている?」
「ラギネ村のガルドーですか? もちろん存じておりますが……どうしてジョルトリオン様がガルドーをご存知で?」
普通に考えれば、いくら王領に存在する村の村長の息子とはいえ、ジョルトがガルドーの存在を知っているとは思えない。
王族と一介の村長の息子では、余りにも身分が違いすぎるからだ。
「そのガルドーってさ、ディグアンの目から見てどんな奴?」
益々ジョルトの意図が分からないディグアンは、不思議そうな顔をしつつも彼の質問に答える。
「ガルドーと私は幼馴染みと言っていい関係です。昔から何かと気が合いまして、私としては貴族や平民といった身分を超えた友人だと思っております。常に私を立ててくれるのを忘れない、気のいい男ですよ」
朗らかに笑いながら、ディグアンはガルドーについて語った。
その様子をジョルトは黙って見つめていたが、ディグアンが何らかの作り話をしている様子は見られない。
まだ成人前とは言え、ジョルトも王族である。相手の話に裏があるかどうか、見極める術は教え込まれている。
「ふぅん、そうなんだ。じゃあ、ガルドーから何か受け取ったりは? もしくは、何か困ったことがあるので助けて下さいとか言われたことない?」
「先程も申し上げた通り、私はガルドーを友人だと思っております。その友人から困ったことがあると相談されれば、できる範囲で手を差し伸べるのは当然かと思いますが?」
確かにこれまで、ディグアンの元にカルドーから何度も相談事を持ち込まれたことがある。
その内容は様々だが、その殆どが何らかのトラブルを解決して欲しいというものだった。
トラブルの内容は様々で、近隣の村の住民との揉め事や、ラギネ村を訪れた旅人とつい諍いを起こしてしまったなど、ガルドーはあれこれと問題を起こしては、ディグアンに助力を求めてくる。
友の窮地を黙って見過ごせないディグアンは、あちこちに頭を下げてそれらの問題を解決してきた。
幸い、今までそれほど大きな問題はなかった。彼が頭を下げて謝罪すれば、それで解決できるようなものばかりだった。
だが、この時ディグアンは少々思い違いをしていた。
王領であるトガ一帯、その地の代官の息子であるディグアンが真摯に謝罪すれば、それ以上ことを荒立てようとする者などまずいない。
そのことに、ディグアンは思い至っていなかったのだ。
「……そのようにして問題を解決した後、ガルドーから感謝の気持ちとして、この辺りでは珍しい酒や食物、時には工芸品などをもらったことならありました」
「……なるほど。双方の認識が行き違っているんだな、これ」
ジョルトはディグアンから話を聞き、ぶつぶつと呟きながら考えを纏めていく。
「ねえ、ディグアン。君はガルドーに説教をしたりしなかったの?」
「無論、友として忠告はしました。いくら私でも、庇いきれないことはたくさんあるのだぞ、と。彼もその都度、反省はしていたようですが……」
それでも、ガルドーは度々問題を起こしては、彼の元に駆け込んで来る。
そのことに憤慨しないでもないが、それでも自分を頼ってくる友を見捨てることもできず、ディグアンはガルドーに求められるままに問題解決に奔走してきたのだ。
「……真面目で面倒見のいい性格が仇になったってわけか……」
ディグアンの説明を聞きながら、ジョルトは視線を宙に彷徨わせる。
あれこれと考えを纏めたジョルトは、それまでじっと彼の言葉を待っていたディグアンに改めて向き直る。
「ディグアン。明日になったら君の父親にも話すが、まずは俺の話を聞いて欲しい。君にしてみれば信じられないことかもしれないが、ラギネ村のガルドーという男はね────」
ジョルトの口から聞かされた真実に、ディグアンは目を大きく見開いて驚きを露にした。
だん、という激しい音と共に、ディグアンは両手をテーブルに叩きつけた。
「…………それでは……それでは、私はガルドーに利用されていたと……っ!!」
内側から溢れ出す感情を、ディグアンは必死に抑えつける。
これまで友人だと思っていた相手が、ただ自分を利用していただけだったのだ。
ガルドーに対する激しい怒りと自分に対する情けなさが、彼の肩を細かく震わせる。
「利用していた、というのはちょっと違うかな。おそらく、君たちは互いの認識が食い違っていたんだと思う」
ディグアンはガルドーを友だと思っていた。
そして生真面目な性格のディグアンは、友が助けを求めるならばそれに応えるのが当然だと考えていた。
対して、ガルドーはディグアンを後ろ盾だと思っていた。
困ったことがあった時、彼に縋り付けば助けてくれる存在だと考えていた。
その見返りとしてガルドーは、この地方では珍しい食材や高価な酒などをディグアンに贈っていたのだ。
それらの品々は、ガルドーが父である村長のネフローを通じて手に入れたものであったが、ここでもまた、認識の相違が起きていた。
ガルドーがディグアンへと贈っていた──賄賂とか付け届けといったつもりで──品々は、確かにガルドーからすれば高価な品々だった。
しかし、侯爵という上位貴族であるディグアンからすると、それらはそれほど高価なものでもなかったのだ。
そのためディグアンにしてみれば、ガルドーから贈られたものは「感謝の気持ち」の域を出るものではなく、まさか賄賂のつもりで贈られたとは思ってもいなかった。
それは、自分の判断基準で相手を見ていたがために起こった、認識の相違だ。
賄賂を贈っているから、ディグアンは自分を助けてくれると思い込んだガルドー。
友を助けるのは当然だから、ガルドーが起こした問題を解決してきたディグアン。
確かにガルドーがディグアンを利用したとも取れるが、ガルドー自身はそうは思っていないだろう。
「それでそのガルドーだけど、今度ばかりはちょっとまずいことを仕出かしたんだよね」
「と、言いますと……?」
「ディグアン。君、サヴァイヴ神殿の《聖女》のことは知っている?」
「はい。直接お会いしたことはありませんが、サヴァイヴ教団の最高司祭様の孫娘であり、大層美しい女性だと聞き及んでおります」
それが何か、と言いたげな表情のディグアンに、ジョルトは重々しい溜め息を吐いた。
「その《聖女》が今回の査察の護衛の一人として同行しているんだけど、神殿の用事で今はラギネ村にいるんだ」
「ま、まさか……」
「うん、そのまさか、なんだよ。ガルドーはよりにもよって《聖女》にとぉぉぉぉっても無礼なことを仕出かしてくれちゃってさ。《聖女》もそのことに結構腹を立てていて、ジュゼッペ爺ちゃんを通じて俺の爺ちゃんに正式に抗議するって言っているんだ。それがどれだけまずいことか……君になら分かるよね?」
それは、王家とサヴァイヴ教団の関係に罅を入れることになりかねない。
仮にそうなれば、それこそディグアン程度が頭を下げたぐらいで……いや、例え自らの命を差し出したとしても、それだけで済むような問題ではなくなるだろう。
友だと信じていた男が仕出かした問題の重大さに、ディグアンの顔色は一気に悪くなった。
※この度、お陰様をもちまして書籍化が決定いたしました。
詳しくは7/25の活動報告にて。
これまで何かと応援をしてくださった皆様のおかげでここまでくることができました。
本当にありがとうございます。
これからも改めて頑張りますので、どうかよろしくお願いします。