動き出す
がん、という激しい音と共に、狭い家の中にあった椅子の一つが派手に転がった。
「……ふざけやがってっ!! 何者なんだよ、あの黒尽くめはっ!!」
家と呼ぶには少々おこがましいような廃屋。村外れに建っているこの廃屋が、ガルドーとその取り巻きたちの溜まり場だ。
つい先程、十数年振りに再会した「気狂い」の娘にちょっかいをかけようとしたところを、一緒にいた黒い鎧の青年に邪魔された。
力自慢のガルドーは、小さな子供の頃から今日まで、喧嘩で負けたことがない。
その彼が、文字通り片手で簡単にあしらわれたのだ。それも、彼よりも身体の小さな相手に、である。
これまで築き上げてきた自信に傷を付けられた怒り、そして、仲間たちのまえであっさりと転がされた恥辱。
様々な感情が心の中で渦巻き、ガルドーは苛立ち紛れに椅子を蹴り付けた。
「な、なあ、ガルドー……?」
取り巻きの一人が、おそるおそる口を開く。
「……あ、あの黒尽くめ……もしかして、魔法使いなんじゃないのか……?」
「ま、魔法使い……だと?」
ほんの一瞬だが、ガルドーの顔に恐れの色が浮かぶ。
発言した者も含めて、ガルドーの取り巻きたちは魔法使いと聞いて明らかな恐怖を浮かべていた。
「お、俺……見たんだよ。あの黒尽くめがガルドーに触れた時、ガルドーの身体が一瞬だけ消えたのを……そして、次にはガルドーは仰向きで地面に転がされていたんだ……あ、あれは魔法を使ったんじゃ……」
魔法使い。それは彼らには到底理解できない魔法という神秘の技を使いこなす者。
それは村の中という限られた場所だけとはいえ、これまでに好き勝手なことをしてきたガルドーとその仲間たちでさえ、恐怖を感じるに十分な存在だった。
「な、なあ……? もうカルセには手を出さない方がいいんじゃねえか……? だ、だって、あっちには魔法使いがいるかもしれないんだぜ……?」
実際はカルセドニア自身がその魔法使いであり、彼女以外にも辰巳とモルガーナイクという、実に三人もの魔法使いがいるのだが、ガルドーとその仲間たちはそんな事実は知る由もない。
彼らが現時点で気づいているのは、黒尽くめの傭兵がもしかしたら魔法使いかもしれない、というところまでなのだ。
相手が魔法使いかもしれない。その事実は、さすがのガルドーでさえも躊躇してしまう。
苛立たしそうに廃屋の中をうろうろと歩き回っていたガルドーだったが、すぐに立ち止まるとにぃと嫌らしい笑みを浮かべた。
「おい、おまえ。ひとっ走りトガまで行ってこい」
ガルドーが取り巻きの一人にそう命じた。
「と、トガっ!? この村からトガの町まで行こうと思ったら、片道一日以上はかかるぞ……?」
「馬鹿かおまえは。誰が歩いてトガまで行けって言ったよ? 俺の家には、この村に何か問題が起こった時にトガまで知らに走るためのパーロゥがある。それを使って大至急トガまで行き、ディグアン様にあの黒尽くめのことを知らせてこい」
「そ、そうか……ディグアン様なら、相手が魔法使いでも……」
取り巻きたちの顔から恐怖が消え、代りに明るいものが浮かぶ。
「そう言うこった。ディグアン様ならば、その権力で相手が魔法使いでも何とかしてくださるさ。あの方に生意気な黒尽くめを何とかしてくださいとお願いし、そのお礼として女を一人、奴隷として献上しますと言えば……」
ガルドーが浮かべた嫌らしい笑みが、更に深くなる。
それに合わせて、彼の取り巻きたちも同じような笑みを浮かべる。
ガルドーに命じられた取り巻きの一人は、その日の内にラギネ村を発ち、トガの町を目指して飛び出して行った。
「ふぅん。じゃあ、カルセたちは落ち着くところに落ち着きそうなんだ」
ガルドーたちが邪な計画を立てている時、同じラギネ村の違う場所では、また別の話し合いが行われていた。
「……うん。何とか、和解のための取っかかりはできたと思う。お陰で、随分と場違いなところで結婚宣言をしちまったけどな」
ジョルトの言葉にちょっと照れ臭そうに答えた辰巳は、先程までの光景を思い出した。
「私は……お父さんとお母さんの娘のカルセドニアは……タツミ様と結婚して、今、凄く幸せです……っ!!」
カルセドニアがそうはっきりと口にした次の瞬間、彼女は力一杯抱き締められていた。
ネメアに──彼女の実の母親に。
「……ごめんなさい……ごめんなさいね、カルセ……っ!!」
流れる涙を隠すこともなく、ネメアはカルセドニアにしがみついて何度も謝罪する。
そして、父親であるベックリーもまた、溢れる涙を拭おうともせず、妻と娘を一緒に抱き締めていた。
カルセドニアが両親のことをしっかりと「お父さん」「お母さん」と呼んだことで、いろいろと蟠りを感じていただろう両親たちも、とうとう抑えきれなくなったらしい。
辰巳が敢えて空気も読まずにぶっちゃけた結婚宣言。そのインパクトが、いろいろなものを一気に吹き飛ばしたようだ。
そんな中、ただ一人ぽかんとした表情を浮かべていたのは、妹のリリナリアである。
彼女からしてみれば、自分の病気を治すために王都から来た神官が、実は自分の姉だったのだ。
話の流れについていけなくても、それは自然なことだろう。
「……驚いたかい?」
だから、辰巳は抱き合って再会を喜ぶ親子ではなく、取り残された形になってしまった妹──いや、義妹へと近づいた。
「は、はい、驚きました……あ、あの……ほ、本当にあの綺麗な神官様が……私の姉さんなんですか……?」
近づいた辰巳を見ることもなく、じっと家族を見続けるリリナリア。
「……どうして……どうしてお父さんとお母さんは、私に姉さんがいることを……」
姉の存在そのものを知らなかったリリナリアが、それを疑問に思うのは当然だろう。
「それに関しては、君の両親から直接聞いて欲しい。だけど……もしも両親が話したくないようなら、無理に聞き出さないであげてくれないか?」
辰巳もまた、抱き合って涙を流し続ける親子を優しげに眺めながら、リリナリアに告げた。
「だけど、これだけは言える。あの人は間違いなく、君の姉さんだ。そして……君の姉さんと結婚した俺は、君にとっては義理の兄ということになる」
「義理の兄」という言葉に、リリナリアが弾かれたように辰巳を見上げた。
この時、辰巳は初めて義妹のことをじっくりと見た。
髪と目の色は、父親のそれと同じ色。そしてその顔立ちは、姉であるカルセドニアとよく似ていた。
貧しい暮らし故に痩せていて肌や髪の状態も良くはなく、そのため全体の容姿もどうしたって霞んでしまうが、もしも今後食生活などが改善されれば、彼女は姉に勝るとも劣らない美しさとなるだろう。
「……義兄……さん……?」
辰巳を見上げたリリナリアが、呆然としたまま呟く。
その呼び方にかつて自分をそう呼んだ少女の姿が一瞬だけ脳裏に甦り、辰巳は僅かに辛そうに顔を歪ませる。
しかし、辰巳はすぐにそれを振り払うと、新たな義妹へと改めて笑顔を浮かべた。
「俺は辰巳だ。よろしくな、リリナリア。リィナって呼んでもいいか?」
「は、はい。こちらこそ、よろしくお願いします、タツミ義兄さん」
笑顔でそう応えたリリナリアだったが、すぐにその表情を暗くするとスカートに隠された自身の足を辛そうに眺めた。
「足のことなら大丈夫だ。君の姉さんがすぐに治してくれるよ。なんせ君の姉さんは、王都では《聖女》とまで呼ばれているんだからな」
辰巳は義妹となった少女を安心させるため、そう言いながら片方の目を閉じてみせた。
「それで、その女の子……カルセの妹の病気の正体は掴めたの?」
辰巳からカルセドニアとその家族の経緯を聞いたジョルトは、次に疑問に思っていることを尋ねた。
「ああ。カルセによると、やっぱり魔獣の毒を受けたらしい。石鼠っていう魔獣らしくて、以前にカルセも同じ症状を見たことがあるそうだ」
辰巳には聞き覚えのない魔獣。ちらりとモルガーナイクの方を見てみれば、彼は納得した様子で頷いていた。
「石鼠か……確かにあれの毒を受けると、身体が石のようになって動かなくなるな」
「その魔獣を知っていますか、モルガーさん?」
「実際に倒したこともある魔獣だ。以前、まだカルセと一緒に行動していた時に、俺もその症状を見ている」
モルガーナイクの話によれば、石鼠とはかなり弱い魔獣らしい。
大きさは辰巳の人差し指より少し大きいほど。だいたい十センチ弱ぐらいか。
しかし、先程モルガーナイクが言ったように、その魔獣には恐るべき毒がある。
その毒によって患部が麻痺して筋肉や皮膚も硬化するため、よく石化したと間違われるそうだ。
「あの魔獣の厄介なところは身体が小さいことと動きが極めて素早いこと、そして毒針が小さくて鋭いため、身体に突き立てられても気づかないことが多いことだな」
石鼠という魔獣はカメレオンのような伸び縮みする長い舌を持ち、その先端に小さな毒針があるらしい。
あまりにも小さなその毒針は、他のことに集中していると刺されても気づかないほどだとか。
実際、リリナリアも畑仕事の最中に刺されたようで、刺された事実に全く気づいていなかった。
「倒すこと自体は難しくはないが……身体が小さくすばしっこいので、武器で直接倒すのは至難の技だろうな。また、群れを作る魔獣だから、この村の中、もしくは村の付近に潜んでいる石鼠が一体だけということはまずあるまい」
「となると、倒すとしたら広範囲を一気に攻撃できる魔法が最適というわけですか」
「その通りだ。つまり、カルセの一人舞台だな」
モルガーナイクが使える直接攻撃魔法は、単体攻撃系のものばかりである。他には武器の威力や防御力を上げる補助系も使えるが、今回はあまり出番はないだろう。
辰巳の魔法も基本的には移動特化だし、『アマリリス』を使えば広範囲を薙ぎ払うことはできるものの、今回は標的が小さすぎて捉えるのが難しい。
魔力撃もその攻撃範囲は広くはなく、群れを作る石鼠には不向きだろう。
よって、辰巳とモルガーナイクは、石鼠を相手にするにはかなり相性が悪いと言える。
その点、カルセドニアならば広範囲の攻撃魔法にこと欠かない。
「そういや、そのカルセは今どうしているの?」
「カルセなら家で妹さんの治療を続けている。妹さんが受けた毒を解毒するには、《解毒》を数回重ねがけしないといけないらしいんだ」
リリナリアが受けた魔獣の毒は、時間が経過しすぎているためカルセドニアの《解毒》でも数回の行使が必要らしい。
しかも魔獣の毒は、ゆっくりとだがいまだにその影響を広げており、最初は足首だけが硬化していたリリナリアの足は、今では太股の半ばまで硬化していた。
それに、確かに和解の切欠はできたものの、それでも家族の間の様々なしこりが一気に解消したわけでもない。
今のカルセドニアとその家族に必要なのは、ゆっくりと話し合う時間だろう。
「俺も報告に一時的に戻ってきただけで、この後すぐにカルセの家に戻るつもりだ」
「うん、その方がいいだろうね。しっかし、馬鹿ってのはどこにでもいるものだねぇ」
辰巳の報告の中に出てきた、ガルドーとかいう村長の息子。
どうやら、その男は自分が仕出かしたことの大きさに気づいてもいない大馬鹿のようだ。
「今のタツミとカルセに喧嘩を売るなんて、サヴァイヴ神殿とラルゴフィーリ王国の両方に喧嘩売っているようなものなのにねぇ」
今のカルセドニアは、サヴァイヴ教団の最高司祭であるジュゼッペの養女である。
そして、辰巳も最近ではジュゼッペの直弟子として認められており、飛竜を倒したことで国王より正式な称号を授けられ、ジョルトを始めとした王家との交流もある。
例えそのような背景を知らないとしても、この村の病人の治療のために王都から出向いた神官に喧嘩を売れば、例え村長の息子だろうがただで済むはずがない。
普通ならば、それぐらいは分かるものだろう。
「正直、そこまで見事な大馬鹿の顔が見てみたくなったよ」
ジョルトが呆れたように肩を竦めて見せる。
「だが、その大馬鹿がこのまま黙っているとは俺には思えないぞ?」
「うん、モルガーの言う通りだと俺も思う。だけど、馬鹿が考えそうなことは大体予想がつくし」
だから先手を打とう、とジョルトは続けた。
「大方、その馬鹿は背後にいる貴族……代官の息子に泣きつくと思うんだよね」
「そういや、ジョルトはこの地の代官のことを知って……って、当然知っているよな?」
辰巳に問われたジョルトは、もちろんと答えつつ胸を張った。
そのジョルトによれば、この辺りを本来の領主である国王の代理として治めている代官は、ライカム・グランビアという名前の侯爵位を持つ貴族らしい。
「グランビア卿は至極真面目な方で陛下に対する忠誠も篤く、これまでの代官としての在任中も特に問題を起こしたことはありません。今回の査察もほとんどは形式的なものですね」
「爺ちゃんも親父も、グランビア卿が不正をしているなんて全く思ってもいないだろうね。まあ、そんな人物じゃないと、最初っから代官に任命なんてしないけど」
イエリマオとジョルトの言葉から、この地を治める代官はまともな人物のようだ、と辰巳は判断した。
「だけど、ガルドーたちが懇意にしているっていう、ディグアンって奴は? 確か、そのライカムって人の息子なんだろ?」
「ディグアンなら俺もよく知っているけど……権力にものを言わせて問題をもみ消すような奴じゃないよ? どっちかって言うと、義に篤くて面倒見のいい真面目な奴だ。あのディグアンがタツミの言う大馬鹿くんの背後にいるとは思えないけどなぁ」
「だけど、この村の司祭であるベーギル司祭がそう言っていたぞ?」
「うん、俺もこの村の司祭が嘘を言っているとは思っていないよ」
ジョルトとベーギル司祭の間で、ディグアンという人物に対する認識に食い違いがあるようだ。
これはどういうことだろう? 辰巳が首を傾げる。
辰巳としては、てっきり時代劇などによくあるパターン──悪代官と越後屋の黄金パターン──だと思っていたのだが、どうやらそう単純でもないかもしれない。
「俺が思うには、この村のベーギルって司祭は直接ディグアンに会ったことはないんじゃないかな? 司祭もディグアンと大馬鹿くんに関しては噂を聞いているだけでしかないと思う」
一旦言葉を切ったジョルトが、ぱん、と手を打ち鳴らす。
「だからここはいっそのこと、直接グランビア卿の息子であるディグアンに会ってみようと思うんだ」
「そりゃあ、ジョルトが身分を明かして会いたいと言えば、代官やその息子は無条件に会ってくれるだろうけど……いいのか?」
ジョルトがここまで来たのは、今後の勉強のためにその身分を隠してイエリマオの査察に同行するためである。
そのジョルトが査察を終える前に身分を明かしてしまえば、わざわざここまで来た意味がなくなってしまう。
「当初の予定ではそのつもりだったけど、もうそれどころじゃないでしょ? 正直言って、このままその大馬鹿くんを野放しにしておくと、とんでもない問題を起こしそうだし」
仮にガルドーと代官の息子であるディグアンが本当に結託して悪事を働いているとすれば、それはもう暢気に査察をしている場合ではないだろう。
「だから、俺とイエリマオ先生は今すぐトガに向かう。モルガーはこのまま俺たちの護衛を頼む。そして、ディグアンに会ってみるよ」
査察そのものはイエリマオに任せ、ジョルトはディグアンに面会するつもりなのだ。
「俺たちはどうすればいい?」
「辰巳とカルセはこのまま村に残り、カルセの妹の治療に専念してよ。そして、もしもその石鼠っていう魔獣を見つけたら、可能ならば退治しておいて」
「分かった。カルセにそう伝えておくよ。それからモルガーさん。トガへ急ぐのなら、俺のパーロゥを使ってください。その方が猪車よりも早くトガに到着すると思います」
「分かった。ありがたく使わせてもらおう」
辰巳の申し出に、モルガーナイクが力強く頷いた。
「さぁて、ちょっと強行軍になるけど……トガの町まで急ごうか」
ジョルトは一行を見回すと、にやりと不敵な笑みを浮かべた。