but 少女は善と悪に乱れ …3
“男”が一歩、前に――こちらの方へ向って――歩いてくる。
「――――チッ。逃げるぞ!」
浅滅がロングコートをはためかせながら振り返り、私の手首を掴むといまだに全く音も立てずに周りを歩いていく人々をぬう様にして走り出した。
「ふふはははは……」
後ろからあの不気味な声がこだまする中、走リ続ける二人の人影。
――気がつけば、辺りにはいつもの喧騒が戻ってきていた。
人々の会話する声。
絶え間なく響く自動車の走行音。
私の前を走るロングコートの男を、周りの人々は怪訝そうな表情で見ている。
……やはりこの初夏の街ではコートは目立つのだろう。
何でこんなロングコートを着ているのだろうか。
「クソが!」
浅滅が手を上げてタクシーを止める。
荒っぽく、開かれたドアから車内に入り、それに私も続いた。
―――――――――――。
タクシーは、街を離れて山道の相中に差し掛かっていた。
ふと隣の浅滅を見ると、表情を歪めて額に汗を浮かべている。
……さっき黒ローブの男は浅滅に向かって、
「そろそろ限界が近いようだな」
と言っていた。
『限界』……何がだろう。
浅滅にも、何か抱えている物があるのだろうか……。
「お客さん、どうしたんですか? そんなに苦しそうにして」
ふいに、タクシーの運転手がこちらに声をかけた。
ミラーに映っている瞳には怪訝そうな表情が浮かんでいた。
「……別に何もない。急いでいるんだ。運転に集中してくれ」
浅滅が面倒くさそうに返す。
「……お客さん、ただならぬ様子でしたよね。もしかしてお客さん、何か見たんじゃないですか?」
ふいに、運転手がそんなことを言い出した。
「……?」
私と浅滅はきょとんとする。
「……何かを見てしまったんじゃあないですか?」
ミラーにはこちらを見る、血走った目が映っている。
隣の浅滅を見ると、額の汗は引き、代わりにいつもの彫りの深い表情が戻っていた。
「世の中にはね、色々と怖い事があるもんなんですよ」
「怖い事?」
思わず反応してしまう。
「そう。たとえばね、こんな風に――――」
ミラーに映る瞳の奥に怪しげな光が灯った。
「――車を停めろ!」
浅滅が叫んだ。直後にブレーキがかかり、車体は山道の真ん中で急停止をする。