だから少年は冷たく歪む …5
「茜姉ちゃん!」
もう泣いていようが何だろうが関係なかった。
「僕が……僕が包丁で、あんな……うわああああ!」
この惨状を作りだしたのは自分だと今一度確認し、パニックになっていた俺は、ふと、頬にやわらかいものが触れるのを感じた。
顔を上げると、姉さんは、微笑んでいた。
その手は、俺の頬をいとおしそうに撫でていた。
「茜……姉ちゃ……」
「……響輝」
姉さんが口から溢れだす血を気にも留めていないかのように、俺を呼んだ。
「君、しゃべっちゃいかん!……誰か、この女の子を!」
姉さんを支えている警官の内の一人が叫ぶ。
「……響輝。大丈夫だよ」
「大丈……夫、じゃないよ!僕が、あんなことを……」
「ううん、響輝の所為じゃないわ、仕方なかったの。あなたを助けるには、こうするしかなかった……」
姉さんの手が俺の頬を撫でた。
大事な、今にも壊れそうな宝物を触っているかのような、手つき。今壊れようとしているのは、姉さんの方なのに。
涙が頬を伝い、姉さんがそれを拭う。
「……ごほっ……。響輝、一つだけ忘れないで。あなたは何も悪くないわ。自分を責めちゃだめ。私はこれくらいしかしてあげられなかったけれど……」
姉さんが俺の頬から手を放す。
「あなたにはもっと、もっと大きな……ゴボッ……、未来があるんだから……」
床の血溜まりが広がっていく。
「何を言って……」
「……私ね。実は、あと二年しか生きられなかったんだ」
「え…………」
身体が硬直した。
……姉さんは余命があと二年しかないだって?
確かに姉さんは生まれつき体が弱かった。
旅行に行ったり、遊園地に行ったりした時にはベンチで座って、はしゃいでいる俺を見ていることが多かった。家でもたまにしか遊ばなかったし、週に一回くらい薬を飲んでいた。
でも、入院したりなんてことは一度も……。
「自宅療養って言ってね。入院はしなかったんだ。余命ははっきりしていたから……」
溢れる血は止まらず、姉さんはもう全身血塗れだった。
「でも、姉ちゃん、そんな……」
「いい、響輝」
俺の弱弱しい声を姉さんの毅然とした声が遮った。
「私はこうなったこと、こんな結果になってしまったことを、全く後悔していないわ。私はね、自分が成人まで生きることが出来ないって分かった時に、死ぬまでに、普通に人が人生の間に出来ることを残された数年間でやりきってやろうと思ったの。だから、毎日努力したわ」
確かに、姉さんは相当な努力家だった。学力と音楽の知識を生かしてアメリカに留学したこともあった。そして、二年後に日本に戻ってきた時には二年で飛び級して大学一年生になっていた。……ああ。そうだったのか、と思った。
尋常じゃない努力家だと思っていたが、今になって分かった。
姉さんは、確定した死の運命を背負って生きていたのだ。