そして始まる逃避行 …4
戌海琴音が続ける。
「街を出ても駄目なんだよ。記憶を消されちゃうらしいから……」
……おいおい。もしやこいつ俺より内部事情に詳しいんじゃないだろうな。
ドアの開かれた隙間から戌海琴音がひょいっと顔を覗かせる。
……少しやつれていた。胸が痛むな。こういう顔はあまり見たくない。
「だから、どこかに閉じこもっ……」
と言いかけ、戌海がびくっと顔を硬直させた。
……いまさら俺がイライラしていることに気づいたか馬鹿め――
「――響輝君、後ろ!」
――――ザシュ。
そんな音を聞いた刹那、左腕に激痛が走った。
「っぐあ……」
痛みに耐えながら後ろを振り向く。
暗がりに並ぶ、八つの赤い単眼。
……前脚(第一歩脚といったか)から血――俺の血――を滴らせ、一匹の黒い蜘蛛が階段の壁に張り付いていた。
思わず左腕を抑える。
……裂かれている。傷は浅いものの、血が流れていた。
「響輝君!」
戌海が泣きそうな声を上げる。はっきり言ってうるさい。
……あの偽魔女め。使い魔がいるのならそう言ってくれ。おかげで、追いかけられてたのに気付けなかったろうが。
ヒュンッという音と共に光っていた単眼がその軌跡を残しながら移動する。
速い。だが、相手を一撃で殺すほどの力はないらしい。
やろうと思えば最初の一撃で俺を殺せただろうしな。