されど少年と少女、逸れ者と鍵 …2
「きゃうっ!」
その時、開いたドアの向こうから聞き覚えのある声がした。
続いて、がちゃんというガラスが地面に落ちる音。
ドアを開くと、尻もちをついて涙目でこちらを見上げる鳩丘梨菜がいた。周りには一枚のお盆と、おしぼりのように丸められたタオル、それとガラスのコップが床に散乱している。コップの中にあったであろう水が地面に落ちたせいか床に流れ、黒い染みを作っていた。
「梨菜……お前」
背が低い所為か、既にドアの前まで来ていた所為か、俺は梨菜の姿を確認出来ずにドアを開けてしまった。梨菜はそのドアにぶつかってしまったようだ。すまないことをしてしまったな。
「……あ…巽野さ、ん」
謝ろうと眼を向けると、梨菜は信じられないとでも言いたげな顔をして、こちらを見ていた。状況から察するに、気絶していた俺の看病をするためにここへ来たようだ。
「ああ、大丈夫だ、梨菜。それより……」
そう言葉を続けようと口を開いたが、それはすぐに梨菜の声に遮られた。
「巽野さん!」
そう俺の名を叫ぶと、梨菜は自分が持ってきていた物には眼もくれずに俺に抱きつく。
「お、おい……」
梨菜は半泣きのまま動かない。
「うぅ……、ぐす……」
「わかった、わかったから……とりあえず、鈴はどこにいる?」
そう訊くと、梨菜は泣きじゃくりながら廊下の突き当たりの部屋のドアを指さした。
「……」
俺は乱暴な風にしないよう梨菜を離れさせると、そのまま廊下を歩き始めた。
眠りからの覚醒で少し意識が朦朧としていたが、歩みを進めるたびにそれもはっきりしていく。それに従って、しだいに身体がいまだ回復しきっていないことに気付かされた。
腕に走る痛み。どうやら筋か筋肉を痛めているようだ。包帯は外傷のあるところにしかされていない、まあ当然だが。
少し身体も重い。意識ははっきりしてきたが、身体の方はまだ万全に至らずといったところか。
そこまで考えたところで、俺はドアの前にたどり着いた。梨菜はというと、腕で目元をぬぐいながらも後ろからついてきている。
ノブを握り、ひねる。少し錆ついていたのであろう、鈍い音を立て、金属製のドアが開く。
「あ、鳩丘さん、響輝さんの様子はどうでした……、って……」
振り返った銀髪のポニーテール、黒装束の少女。
「そう簡単に死ねやしないさ。まだ、俺にはするべきことことがあるからな」
そう強がってみせると、鈴はそれを知ってか知らずか、眼に涙をためながらこちらを向いていた。
またいつかのように泣きつかれるのかと思ったが、
「……眼が覚めたのなら、何よりです」
鈴はそのまま振り返り、窓の方に向き直った。
「鈴、お前……」
「もう、泣いてちゃいられないんです。そんな弱さは捨てなければならない。そんな私では、何も守ることができないから……」
こちらを向かずに凛とした声で言う。
「……そうだな。終わらせよう、この戦いを」
……強くなったな。
年齢では遥かに俺を上回る少女。戦闘力もさながらだが、その心は親友を失ったその時から成長していない。思慮深くなることと感情の制御は別だ。
この戦場を通じて、様々なことが変わっていく。
いつだったか、俺はそれがいい事なのか悪いことなのか迷ったことがあった。だが、今ははっきりと言える。
変わることは恐ろしい。だが、それをよしとするか悪しとするかは人次第だ。そして俺はそれを良いものとして受け入れることに決めた。たとえ“鍵”の影響のせいであろうとも、俺が俺であることは揺るがない。
鈴が壁に立てかけてあった小太刀を二振り、俺に差し出した。
前に使っていた一振りは観覧車を落ちる際に根元から折れてしまっている。おそらく外からまたいいものを回収したのだろう。
一振りを抜き身で手に持ち、もう一振りの刀身に皮と布を巻いて即席の鞘を作り、ベルトに差した。