かつての少女とある少年 …16
「これが……“鍵”だと? 馬鹿な。何なのだこれはッ」
その不穏な影を見て、“支配者”は宙に浮いている緑から距離を取ろうとしましたが、そうして顔を上げた“支配者”が影から意識を逸らした時でした。
「――――、――――」
緑の口が何かを言うのが見えた次の瞬間、緑の影が表面張力を受けた水面のように膨れました。
「――。―――」
そして、次に緑が口を閉じると同時に、その影から黒い“何か”が伸び出したのです。
「ッ!?」
それに気付いた“支配者”は刹那の瞬準の後に、身を横に翻しました。
ですが“それ”は回避することを許さず、“支配者”の動きに合わせて向きを変え追随し、またたく間に“支配者”の左半身を飲み込みました。
「何だと!?」
目に見えるか見えないかの瀬戸際のような速さで、伸びていた“それ”は緑の足元にぽつんと沈んでいる影へと戻りました。それと同時に半身を呑まれた“支配者”が緑から少し離れた場所に着地します。
「何だこのチカラは……危険だ。存在を呑み込む“鍵”など野放しにはしておけない。今回は本当に掘り出し物が多いな」
腰から肩にかけての左半身を失ったにも関わらず、“支配者”は淡々と呟きました。痛みは無いのでしょうか。まあ疑問に思うまでも無く、感じないのでしょう。痛みは戦いにおいてもっとも戦士の障害となるものですから。痛みを感じない兵士なんてものが存在したら、戦争は崩壊してしまいますよ。
「緑……」
もう緑の影は蠢いていませんでした。一瞬のことで“それ”がどんな姿をしていたのかは見えませんでしたが、とにかく恐ろしいものだったのです。
何とか足の神経が反応するようになり、立ち上がろうとしましたが、うまく足が言うことを聞いてくれず、私は這いずるように緑のほうへ動いて行きました。
幾度目かのほふく前進を終え、息を切らしながらふと上を見上げます。視線の先では、宙に何の支えもなく浮いている緑が瞳に光を宿してこちらを見ていました。
眼が赤くないということは……。
「緑ッ‼」
これは本物の緑だ、そう考え、私は力の限り緑に呼び掛けました。声が嗄れ、上ずりましたが、そんなことを気にしている場合ではなかったのです。
しかし緑は少し口を動かすと、目から涙を流しながら、微笑みを浮かべました。
「ッ‼」
その口元は小さくではありますが、確かにこう動いていました。
……『ありがとう』と。