かつての少女とある少年 …7
「うわわっ!」
急に自分の立っていた地面が無くなったかのような、背筋が寒くなる感覚を覚え、思わず声を上げた。
足掛かりも平衡感覚もない浮遊感。だが驚きは一瞬だけで、しばらくするとその感覚にも身体が慣れてくる。
「何、これ……」
気を取りなおして、自分の足元を見下ろす。
……浮遊感の正体が分かった。何のことはない。
私はただ、まるで宇宙空間にいるかのごとく、ゴンドラの床から数センチ空中に浮いていたのだ。
「ほうら、自分で意識しなくても、オイラが少し背中を押してあげるだけでこの程度のことは余裕でできる」
さも当然、とでも言いたげに“黒帽子”が手を振る。
「私……浮いてるの?」
信じられない。今目の前にいる“黒帽子”や、先ほど消えた“支配者”が空中を自由自在に動くのは……まあ、人でないのだから、人の常識が通じるはず無いし分かるのだが。
ただの人間である私がこんな芸当をやってのけるだなんて……。
「チカラはあくまで人という媒体を通して“鍵”としての力を発揮するんだ。その方向を少し変えてしまえば、さっきも言ったけれど今の君でも十分に戦うことができるのさ」
緩やかに動き、“黒帽子”がまた窓をすり抜け、外の空中に出る。
「さあ、試してみようか。ほら、そのままこのゴンドラのドアを壊してみるんだ。……なあに、簡単だよ。そのドアに向かって意識を集中するだけでいい」
そう言い、白い手袋が目の前のドアを指す。
「……」
この浮いているままでは何もできない。指示に従い、目の前のドアに意識を集中する。
しばらくドアに向かって念じていると、三十秒ほどたった時だった。
「ッきゃあ!」
突然見つめていたゴンドラのドアがまるで巨大な衝撃を受けたかのようにへこみ、次の瞬間。
「おおっと」
あり得ないほどのひしゃげっぷりで、ドアが夜闇の中にふっ飛ばされて行った。
「……え……?」
闇の中にドアが消える。地面に落ちて行ったのだろうが、ここからでは音も聞こえないし、肉眼で見ることもできない。
「ほら言っただろう? 君は自分で思う以上に力を持っている。少し念じるだけで、これさ」
そう言いながら、“黒帽子”がドアの無くなり吹き抜けとなったゴンドラを指さす。
そして、そのまま白い手袋を上にくいっと上げた。ここまで来てみろ、ということらしい。
(……前に行きたい)
そう軽く念じると、それに従うかのように、自分の身体が虚空に進んでいくのがわかった。
「人間で言う筋肉の神経みたいなものさ。脳で思うだけで、君は自由に移動することができる」
「こんな……こと……」
まだ身体も頭もうろたえている。未知の感覚に全身に緊張が走っていた。
「さて、ここで簡単な質問だ」
私よりも五歩分ほど先でこちらを向いている“黒帽子”がおもむろに片方の手袋を上に上げる。
「……質問?」
「ああ。……今の勝利を確信している“支配者”ですが、奴がこの盤上で最も恐れていることはなんでしょう、か?」
「……」
気が動転して何も考えることができない。しばらく困惑して見つめていると、それを気にした風も無く、“黒帽子”は上げていた片手をこちらに向かって振り下ろした。指は銃の形をしている。
「ばーん、時間切れだ。正解は……“囚われのお姫様が反旗を振りかざして自分に逆襲してくること”でした!」
面白くて仕方がないと言ったふうに真っ黒なシルクハットが揺れた。
ちなみに今は時系列的に響輝が梨菜と共にロストランドで壊れかけの鈴を見つけた場面にあたります。語らなくても物語に全く支障はないのですが、わかりやすくするために、念の為。