罪 …0
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それは、とある冬の夜の出来事だった。
消えかけた蛍光灯が、薄明るく夜道を照らしている。
その淡い光の中を、一人の男が歩いていた。
男は見た目三十路を超えた程度の年齢で、冬だというのに半袖にジーンズという格好だった。
男がこんな季節はずれの服装をしているのには理由がある。
なぜなら、彼はつい数時間前に警察病院から退院したところなのだ。だから、自分の意思で、入院した際の服装を着直したのである。
警察病院に入院した経緯はこうだ。
五年前、男は人を殺した。
ある会社の実業部長の長女の誘拐に関与し、その娘を殺してしまったのだ。
男はかつて薬物乱用に身を染め、精神に異常をきたしていた。
本業はこの世の裏社会で生きるブローカーである。誘拐の片棒を依頼され、男は人質を監禁する役割だった。
しかし、行動を起こしてすぐに情報に行き違いが生じ、誘拐の依頼人……つまりは主犯が逮捕されてしまい、それを知った男は勢い余ってその長女を殺害してしまったのである。
事件当時、錯乱状態で警官隊に取り押さえられた男は、裁判で精神失調と判断され、社会に復帰するため警察病院でリハビリをすることとなったのだ。
そして闘薬生活を五年続け、今夜ようやく退院を果たしたのである。
そのためか、男は自由を味わい、とても気分が良かった。
あと二つ角を曲がったところで、かつて自分が住んでいたアパートに付く。そう考えながら、街灯の光すら無い道を曲がった時だった。
急に視界がかっ、と明るくなり、男は思わず両腕で目を押さえる。
そのときだった。
ずん、と身体に重い衝撃が伝わった。
眩んだめを凝らし、衝撃があった辺りを見下ろす。
急な光はすぐに消え、ようやく視界がはっきりした。
そして、男は言いえも知れぬ驚愕を味わうことになった。
驚くのも無理は無い。なぜなら、 ……男の左胸部に、ざっくりと包丁が突き刺さっていたのだから。
それに気付いた瞬間、身体から力が抜けて行くのを男は感じた。
身体を支えきれず、そのまま仰向けに、冷たい地面の上へ倒れ込む。
視界が揺らいでいく。
倒れた自分の横を一つの足音が走り抜けて行くのを、男は感じていた。
自分を刺した奴は刃物の扱いに慣れていないらしい、と男は薄れゆく意識の中、自分の肉体が即死せずにじわじわと衰弱していくのを感じていた。
ふと、頭のそばに“何か”の気配を感じ、最後の力を振り絞り、男はまぶたを押し開ける。
そこには、五年前に死んだはずの、男がその手で殺したはずの誘拐の被害者、“巽野茜”がたっていた。
男は酷く衝撃を受けたが、すでに身体はそれにすら反応しない程に衰弱しきっている。
男を見下ろしている“巽野茜”の表情は、まさに無表情そのものだった。
そして、その姿の向こうに電柱に取り付けられたまま点滅している街灯を見、それが、半透明の“巽野茜”をすり抜けて見えている、ということに気付いたと同時に、男の意識は闇に落ちた。
雪の降り積もる夜の路地。
そこには、ここまで歩いてきた男のものと、その場から走り去った者の、二人分の足跡しか残されていなかった。