4 真夜中のテイク・オフ
その日の夜。
ジナーフはドアから顔だけを出して、そっと辺りをうかがった。
今夜は月はなく、その代わりに夜空には無数の星がきらめいている。
誰もいない事を確認すると、ジナーフはフォーゲルを小脇に抱えて無言で砂浜まで小走りに移動した。ブルージーはその後を追う。
早く飛びたくてうずうずしているみたい。ブルージーはジナーフの後ろ姿を見ながら微笑ましく思った。
波打ち際ギリギリまで行った所にフォーゲルを置いて、ジナーフはその上に立った。
目を閉じて深呼吸をひとつして、腰を少し落として身体をかがめ、星空を見上げてジナーフは静かに、でも力強く呟いた。
「フォーゲル。テイク・オフ!」
ブルージーの目の前でフォーゲルが音もなく宙に浮き、頭の上まで上がるとシュッ、っと空気を鋭く切る音だけを残してジナーフはあっという間にはるか上空に行ってしまった。
星の海の中で、フォーゲル自体もほのかに鈍い光を放ち始め、まるで不思議な動きをする流れ星のようだった。
「いいなぁ……私も翔べたらなぁ」
砂浜に腰をおろして見上げながら思わず呟いた。ブルージーは空を翔べるジナーフが心底羨ましかった。
数分経ってから、ジナーフが戻ってきた。
バランスを上手く取りながら、ゆっくりとブルージーの前に降り立った。
「ふうっ。なんとか翔べたよ! 夜翔ぶのって、こんなに気持ちいいって事知らなかったぜ!」
「ふうん。そうなんだ」
ブルージーは少しやきもちを焼いていたので、わざと冷たくジナーフに言った。
そんなブルージーの気持ちを察してか、ジナーフはフォーゲルの前半分に自分を移動させるとブルージーに声をかけた。
「よかったら、一緒に翔んでみる?」
ジナーフの言葉に、ブルージーは待ってましたとばかりにうんうんと頷いた。
「ほんとぉ?! 私ね、ずっと前から空を翔んでみたいと思ってたんだ!」
予想通りのブルージーの反応にジナーフはニッと歯を見せて笑った。
「じゃ、フォーゲルの後ろ半分に立って、俺の腰にぎゅっとしがみついて足を両足とも踏ん張っている事。いいか? 絶対離すなよ。落ちたくなかったらな」
「う、うん。分かった」
ブルージーは「落ちたくなかったらな」という言葉に少し緊張気味に言うと、言われた通りにした。
ジナーフの腰に手を回すと見た目よりたくましい体格で、ブルージーは思わずドキッとしてしまう。
「よっし! 行くぜ! フォーゲル! テイク・オフ!」
さっきよりもずっと大きな声で唱えると、ふたりを乗せたフォーゲルはあっという間に空高く垂直に舞い上がった。
「わぁぁ……高~い! すご~い!」
ブルージーは、波乗りともまた違った不思議な浮遊感の中、足元のずうっと下に自分の小屋が小さな光の点になっているのを、ドキドキしながら眺めていた。
今度は上空を見上げると、星が一層輝きを増して見えてもうちょっと手を伸ばしたら届きそうだ。
「なっ? すげえだろ?」
ジナーフが前を見据えながら得意気に言った。
「うん! こんなの初めて! 波に乗ったのとは全然違う」
「じゃあ今度は水平飛行だ!」
ジナーフは身体を軽く前に傾けるとフォーゲルは暗い空の中を滑るようにして移動し始めた。
以外と速いスピードで、ブルージーは身体が置いてかれそうな感覚に捕らわれた。当然、ジナーフにしがみつく手にもさらに力が入る。
「わわわ、ちょっち苦しいって~!」
ジナーフは照れてるのかほんとに苦しいのか、うわずった声で言った。
「あ、ごめん!でもなんだか落ち着かなくって~。」
「あはは。誰だってそうさ。俺だって初めて兄貴に乗っけてもらった時そんな感じだったから。」
「ジナーフって、お兄さんいるんだ」
「そそ。今頃心配してるだろうなぁ……。普段はケンカばっかしてたけど、いざ離れてみるとなんだか寂しいような気がする」
「そっか。早く戻れるといいのにね」
「問題はそれなんだよなぁ。まともに帰ったら、『とっとと捕まえてください』って言ってるようなもんだしなぁ」
「でもさ、ジナーフはなんにも悪い事、してないんでしょ?」
「あったりまえじゃん! でも残念な事にそれを証明するものって何もないからなぁ」
ジナーフはそう言った後、ずっと無言で飛び続けた。
……私って空の事なんにも知らないから、ジナーフの力になってあげられないのかなぁ……
ブルージーは知らないうちにジナーフの背中に頭をくっつけていた。
風を切る音の中に、かすかに聞こえるジナーフの鼓動に耳を傾けていると、何がなんでも彼を守ってあげたい……!
そんな想いがブルージーの気持ちの中に広がっていった。