シャーロット・ブラハウンドの婚約解消
「ごめんなさいね、シャーロット。クレストはあなたよりもわたくしが良いみたいなの」
「すまない、シャーロット。やはり僕に相応しいのは君よりもロザリアなんだ」
月に一度の婚約者との交流日。
シャーロットの向かいには婚約者のクレストと義姉のロザリアが腕を組みながら座っていた。
侯爵家の広々とした応接間には濃い色合いの木製家具が置かれ、磨き上げられた床には落ち着いた色の絨毯が敷かれている。壁を飾るのは数枚の肖像画と家紋をあしらった織物だけで、金箔や宝石を多用した華美な装飾は見当たらない。
代わりに、どれも長く使うことを前提に選ばれた上質な品ばかりだった。流行を追うことよりも丈夫さを、見栄えよりも実用性を重んじる。それが堅実を家風とするブラハウンド侯爵家らしさなのだろう。
そんな部屋の中央で、クレストとロザリアだけが妙に親密な姿を晒していた。
シャーロットは二人を眺めながら、静かに息を吐いた。
「クレスト様。つまりは、お義姉様に婚約者を代えたいということでよろしいでしょうか?」
「ああ。そうだよ」
「ケルディオ侯爵様にはお話をされましたか?」
「まだだ。だが、反対はされないさ。この婚約は我がケルディオ侯爵家とブラハウンド侯爵家の結び付きによるものだ。君からロザリアに代わっても問題がない」
「なるほど。分かりました。では、そちらはクレスト様からお話をお願いします。当家は私から父に話します。婚約者の交代に伴う契約変更を伝えましょう」
壁に並ぶ侍女達は無駄口を叩かないし身動ぎもしない。
例えその内心で何を思っても、彼女達は侯爵家に仕える使用人の誇りを決して失わない。
ウォールナット製の大きく重厚な作りのソファには深い緑の布が張られているが、ロザリアの派手で目に鮮やかな赤のドレスが滑稽な程に不釣り合いだった。
「ふふ。安心してね、シャーロット。この家はわたくしとクレストがしっかりと継ぐわ」
黒い髪を毎朝鏝で巻き、化粧も常に施すロザリアの赤い唇が弧を描く。
妄言を何時までも聞くほど暇ではないシャーロットは再度息を吐くと口を開いた。
「それでは私はこれよりお父様と話をしてまいりますので、クレスト様はどうぞお義姉様と交流を深めて下さいませ」
「もちろん。これから僕たちは観劇に向かうからね。ではしっかりと頼むよ」
用事は終わったと言わんばかりに立ち上がった二人は上機嫌で応接室から出て行く。残されたシャーロットは赤みがかった金の髪の毛を揺らしながらすっと立ち上がり、壁際に控えていた侍女達に目を向けた。
「あなた達、聞いていたわね?」
揃って頭を下げる侍女にシャーロットは頷くと、部屋の隅で静かに控えていた青年へと目を向けた。
「ジュリオ。お父様に取次を」
「畏まりました」
執事見習いの彼はすっと頭を下げると静かに部屋を出ていく。
義姉と婚約者が通り過ぎた後の不快な香水の残り香がシャーロットの眉間に皺を寄せた。
「やはり、育ちというのは大事ね。手間をかけるけれど、部屋の換気はしっかりとしてちょうだい」
「畏まりました、お嬢様」
専属侍女のクレアとリノアを連れて部屋を出たシャーロットの所作はとても美しいものであった。
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ブラハウンド侯爵家は王国の北東部に領地を持ち、王国の食料庫とも言われるほど食に特化した領地経営を行っていた。
気候条件が小麦の生育に適しており、また、広い領土を使って牧畜も盛んに行われていた。
王都へ少しでも早く荷を届けるために交通網の整備に力を入れている他、家畜を狙う魔獣の間引きを行う狩人や冒険者の保護も積極的に行っていることから、国内随一の資産を有している。
堅実な領地経営は領主であるブラハウンド侯爵家の血によるものなのか、過去に法の改正に伴い一度だけ増税した以外で税の変更を行ったことはない。
常に備蓄をし、災害が起きてもすぐに対処してきた信頼は厚く、王家から目を掛けられてはいたがそれに驕ることはなかった。
そんなブラハウンド侯爵家の最大の汚点がロザリアであった。
贅沢を愛し人よりも上であることを望む傲慢さはとてもではないがブラハウンドの家風にはそぐわなかった。
幼い頃から重責を担うブラハウンド侯爵家の後継者として父の元で学び続けてきたシャーロットは、去って行った二人に敢えて言わなかったことがある。
本日のシャーロットは淡い青灰色のデイドレスを身に纏っていた。装飾は胸元と袖口に施された細かな刺繍のみ。上質な布地は身体の線を美しく見せながらも決して華美ではなく、侯爵令嬢らしい品と落ち着きを感じさせるものだった。
そのドレスの裾を無駄に翻さず歩くのは淑女の嗜みである。
「お嬢様。旦那様が今からであればお時間を作れるとのことです」
「ありがとう。行きます」
ゆっくりと歩きながら廊下に飾られている絵画を眺めていたシャーロットの元に戻って来たジュリオの言葉に頷く。
床に敷かれたワインレッドの絨毯にはゴミひとつなく、常に美しさを維持する使用人の働きを褒めなければと心に留めながら、玄関ホールの中央階段から二階へと向かった。
父の執務室は何時でも紙とインクの匂いが満ち、幼い頃からこの部屋に来ていたシャーロットは心が落ち着くのを感じた。
先々代が誂えたという執務机は年月の経過と共に深みのある色に変化している。
月に一度は全体を磨き、年に一度は領内の工房から職人を呼んで点検してもらっている机に大きな傷はない。
壁一面にはめ込まれた書棚には歴代の領地経営の形跡が残され、羊皮紙から植物紙への切り替えや、黄色に褪せた色合いが歴史を物語っていた。
王都屋敷でこれなのだから、領地の屋敷はもっと歴史を感じさせている。
「今日は交流日ではなかったか?」
「ええ。その件で。クレスト様はお義姉様を婚約者に変更したいそうです。そしてお義姉様からはこの家を継ぐのは自分とクレスト様だと」
「……何を言っている?」
「まあ。お父様を驚かせるなんて流石だわ」
あまり感情が表に出ない父フレドリックが目を開いたことに笑みを浮かべたシャーロット。咳払いをしたフレドリックは話を継続させた。
「揶揄うのはよしなさい。それで、お前はどう答えた」
「お義姉様の妄言は相手にしませんでした。婚約者の交代はお父様に話を通すと告げましたわ」
「ふむ。お前はどうしたい?」
「よろしいのではないでしょうか? 私が後継者に変わりはありませんし、二人の希望ですもの。手続きをすれば二人は貴族でいられるのですから」
「そうだな。ではそのようにしよう」
フレドリックはシャーロットと同じ、赤みを帯びた金の髪をしている。
ブラハウンド侯爵家の血筋に出るその色は遠目からピンク色に見える。そして目の色はどちらも淡い黄緑色をしている。この二つの色を持つ者が当主の証であることを、ロザリアもクレストも知らなかったのだろう。
だが、ロザリアが後継者になれないのはそれだけではないのだけれど。
「それで、アレは今どうしている」
「お母様ですか? 今日からひと月ほどソルダレオ伯爵家の別荘に行きましたよ」
「はぁ……丁度良い。全てをまとめて終わらせよう」
「はい、お父様」
室内に控えていた執事のカレドとその息子で見習いのジュセフは、よく似た当主親子の感情を表に出さない冷静な姿にいつも感服する。
二人の中にあるのは貴族としての誇りであり、ブラハウンド侯爵領の安寧だ。それを揺るがすものは決して許さない冷酷さも持ち合わせている。
二人を蔑ろにした者たちは間違いなく後悔するだろうが、その時には全て終わっているに違いない。
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盾の中央に麦束。その左右には一対の猟犬。それがブラハウンド侯爵家の家紋である。
王国の食料庫を象徴する麦、領民と家畜を守る盾、そしてそれを脅かすものを決して許さぬ猟犬。
黒塗りの馬車の両扉に金で施されたその印は、車体を引く巨躯の魔馬と合わさり道行く人々の目を引いた。
ロザリアとクレストはシャーロットに告げたことで隠す必要もなくなったと思ったのか、連日二人で外出している。
今日も二人で出かけたのを確認した後、フレドリックはシャーロットと共に馬車に乗りケルディオ侯爵家の王都屋敷に向かっていた。
牧畜も盛んなブラハウンド侯爵領では魔馬の繁殖に成功しており、王家と一部の高位貴族の家に提供している。
その中でも特に優秀だが、ブラハウンド家の家人以外には懐かない二頭の魔馬は堂々たる歩みで道を進んでいた。
今日のシャーロットは、淡いシャンパンベージュのドレスを身に纏っていた。柔らかな絹地には金糸で細かな刺繍が施され、胸元には小粒の真珠を飾っている。ピンクゴールドの髪と淡い黄緑の瞳によく馴染む色合いは、華美ではないながらも侯爵令嬢らしい品格を前面に出していた。
三十八歳のフレドリックは、髪を下ろすと二十代半ばにしか見えないため、何時でも後ろに撫で付けている。それでも十七歳のシャーロットと並ぶと、せいぜい二十代後半にしか見えず、歳の離れた兄に間違われることを密かに気にしていた。
「髭でも伸ばすか……」
「似合わないですよ。諦めましょう。ブラハウンドは豊穣の女神様の祝福で幼顔なのですから」
「母上もそうだな」
先代のブラハウンド当主はシャーロットの祖母で、当主はもう嫌だと言って隠居してフレドリックに爵位を継承させたが、領地で元気に魔獣狩りをしている。六十も近いのにシャーロットの母と言ってもおかしくない若さ。
全ては豊穣の女神の祝福がブラハウンド侯爵家の血筋に与えられているからだ。
髭を生やそうが何をしようがフレドリックが年をとった顔になる訳はない。娘に容赦なく言葉で切り付けられたフレドリックは少しばかり落ち込んだ。
軽く話をしている間にケルディオ侯爵邸に到着し、馬車が停止して少しすると扉が開かれた。
シャーロット、フレドリックの順で馬車を下りるとケルディオ侯爵家の執事が緊張した表情で待っていた。
「ブラハウンド侯爵だ」
「お待ちしておりました。ご案内申し上げます」
フレドリックの腕に手を掛けシャーロットは前を向いて歩く。
この屋敷に来たのはこれで三度目だが、ブラハウンド侯爵家と違ってケルディオ侯爵家はどこか緩い空気が流れていた。
しかし今日は緊張感に満ちており、それに慣れているシャーロットには居心地良く感じた。
応接室では既に現当主と夫人、そして次代となる嫡男が席についていた。
同じ侯爵家でもブラハウンドとケルディオでは格が異なる。
王家に目をかけられ、女神の祝福を受けるブラハウンドは本来ならば筆頭侯爵家を名乗れるのだが、派手なことを好まない家風により別の家にその座を譲り渡していた。
ケルディオ侯爵よりも年下で若く見えるフレドリックの方が格上となるのだ。
「この度はクレストがシャーロット嬢に対し大変失礼なことを申し上げた。深くお詫び申し上げる」
「謝罪を受け入れます。どうぞ、頭をお上げくださいませ」
侯爵と共に頭を下げていた夫人や嫡男のコーウェンの顔色は悪い。
とはいえ、フレドリックとシャーロットは彼らを追い詰めるつもりはないのだ。
「契約の内容を変更したい」
「ああ。貰った手紙を全て受け入れる」
この婚約は政略であり、事業締結が前提にあった。
婚姻による結び付きを強める為だが、侯爵家同士なので細部に渡って取り決めた契約でも問題は無かったのだ。
「ロザリアは十八を迎え、成人した。よって、ドルネシラ男爵家の当主として承認された。これがその書状だ」
「確かに」
貴族院の認証印並びに王印が押された書状。そこにはブラハウンド侯爵家に託されていたドルネシラ男爵家の独立とその当主の承認が記載されている。
ロザリアはブラハウンド侯爵家の血を持たない。彼女はシャーロットの母メルリリアの妹エルシリアとその夫の間に生まれた子供であった。
伯爵令嬢だったエルシリアは恋人である夫との結婚を望み、爵位の差があったが男爵家に嫁いだ。
ロザリアが十歳の時、二人は事故で亡くなった。既に男爵家の関係者は亡くなっていたこと、そして伯爵家に当時金銭的な余裕がなかったことでメルリリアに願われたフレドリックが十八歳になるまでの期間限定で養子にし、男爵領を代理で預かっていた。
ロザリアが真面目に男爵家の跡取りとして学ぶのであればよかったのだが、メルリリアは可愛がっていた妹の忘れ形見であるロザリアを溺愛した。
実の娘のシャーロット以上に。
明らかに夫であるフレドリックに似たシャーロットよりも、自分と似ていたエルシリアとそっくりのロザリアの方が可愛い娘だと思ったのだろう。
夫人手当として割り当てられた費用を惜しみなく使いロザリアに贅沢な暮らしをさせ続けた。
時に予算を超えた時もあったが、フレドリックは決してブラハウンド侯爵家の費用に手を出すことは許さず、ドルネシラ男爵家の資産から捻出させた。
夫人手当はメルリリアの自由にして良い金なのでフレドリックは口を出さなかった。だからメルリリアは調子に乗り続けた。
「男爵家の当主継承日は三日後。今はまだ私が後見人の為、婚約を今日中に取り纏めたい」
「分かっている。こちらも、あれの居場所がわかるならばそれで良い」
ロザリアがブラハウンド侯爵家になんの縁もない娘ならば、クレストは少しばかり厄介な生まれをしている息子だった。
彼は目の前にいる当主の実子ではない。彼は先代侯爵と愛人の間に生まれた庶子で現侯爵の年の離れた異母弟である。実の子よりも歳下の弟が生まれて直ぐに先代侯爵は亡くなり、愛人は金を持って姿を消した。
残されたのはまだ幼い乳飲み子で、見捨てることが出来なかった侯爵は夫人の許しを得て養子にした。
ケルディオ侯爵家の血を引くが半分は平民の彼をどう扱うか、非常に繊細な問題だった。
ブラハウンド侯爵家はその点、伴侶に平民の血が流れていようとあまり気にしない家柄だった。正統な血筋に女神の祝福が宿る、それが大事であり、土地柄として貴族に強いこだわりもなかった。
だからこそ、内密に打診されて行き場が無さそうだからと引き受けた。それだけのこと。
侯爵としてはどうにか貴族として生きられる道を用意できたと安堵しただろうに、クレストの行いに衝撃を受けたのは間違いないだろう。
裏切りとも言えた。
本来ならばすぐにでも平民に落とすことも出来た。だが、ロザリアはこれから一人で男爵領を経営しなければならない。もともと侯爵家に婿入りするつもりだったのだから、補佐は出来るだろう。まさか何も学んでいないはずがない。
そう判断して、二人が婚約したいと言ったのだからとまとめる事にしたのだ。
「これまでは我がブラハウンド侯爵家がドルネシラ男爵家の後見となっていたが、養子縁組は解除される。ついては、ロザリアの夫となるクレストの生家であるケルディオ侯爵家に後見を願いたい」
「後見並びに庇護はこちらで責任を持とう」
「では、こちらの後見人に関する書類に署名を頼む」
机の上に並ぶ多くの書類。
ロザリアとクレストが今まさに遊び呆けている間に、彼らの未来はこの紙切れの上で決まっていく。
その中にはシャーロットとクレストの婚約の解消に伴うものもあった。
言動から破棄が妥当だが、瑕疵がつくのはシャーロットなのと、ロザリアを管理出来なかったことも合わせて相殺となった。
シャーロットと嫡男コーウェンは当主達のやり取りを見逃さないようにしていた。有り得るべきではないが、もしかしたらいつかの未来に使うことになるかもしれないやり取りだからだ。
契約の見直しも徹底して行われ、全てに満足が行ったのは夕暮れ時。
食事をと誘われたが、フレドリックは丁重に断った。あちらも形式的な声掛けだったのでそれ以上の誘いはなかった。
「貴殿とはこれからも良好な関係を維持していたい。ただ、ロザリアの襲爵と同時に私は妻と離縁するのでもしかしたらロザリアの元へ行くかもしれない。平民となるので、処罰は委ねる。アレの生家は代替わりを行っているし、縁も切ると言っているので忖度は不要だ」
フレドリックの温度の無い声にケルディオ侯爵家の三人は一斉に視線を向けた。
「離縁されるのか?」
「ああ。実の娘よりも姪を選んだ。そしてあのような性格に仕立て上げた。ブラハウンド侯爵家の名を汚すものを残すことは許されない」
「豊穣の女神の祝福ゆえか?」
「その通り」
侯爵夫人を全うしていれば良いのに、メルリリアは自分がしたいことしかしなかった。夫人の仕事をこなしていたのはシャーロットだった。
シャーロットは一年後に成人する。母が恋しい年でもない。ロザリアと合わせて処分を決めたのはフレドリックだった。
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「ロザリア。お前は明日から生家のドルネシラ男爵家の当主となる。ドレスや宝飾品は夫人の私費と男爵家の資産から出ているので持っていきなさい。
そして、お前の望み通り、クレスト・ケルディオとの婚約は結ばれている。十歳の時から何度もその話は折に触れて伝えていたので領地経営の学びはしているだろうが、ケルディオ侯爵家より政務官の補佐が一年入るそうだ。しっかりやるように。
それと、今日をもって契約通りロザリアとの養子縁組は解除されている。ブラハウンドの血を持たない君は今後ブラハウンドの名を語らないよう。後見人はケルディオ侯爵家となるので、何かあるならケルディオ侯爵家に相談しなさい。
明日には出発となるので、今から荷物をまとめるように」
「……え?」
ロザリアを執務室に呼んだフレドリックからの通達。
ブラハウンド侯爵家の跡を継ぐのだと言っていたロザリアはどうやら理解出来なかったようだが、フレドリックが二度目を説明することはない。
やっと少し飲み込めたロザリアは震える声を出した。
「わ、わたくしは、ブラハウンド侯爵家の、跡取りに」
「何を言っている。血を一滴も持たぬ者がブラハウンドの後継者になれるわけがないだろう。髪も目もこの色を持たぬのに。愚かなことを言うな」
ブラハウンド侯爵家は外見からして正当性がわかる。
血を持たぬ者による簒奪など許されるわけがない。
「明日の朝になればどんな手を使っても追い出す。穏便に出て行きたいのであれば速やかに支度をしなさい。君を養う義務はないのだからね」
表情を変えないフレドリックに本気だと理解したロザリアは泣き喚いたが、それで何かが変わる訳もなく。
体格の良い使用人に腕を捕まれ、私室として宛てがわれていた部屋に放り込まれた。
呼び出している間にいくつものトランクが用意され、逃げ出せないよう部屋の前には騎士が陣取っていた。
外からしか掛けられない鍵も掛けられているし、二階にある部屋の窓から逃げ出す術もなく、ロザリアは泣き喚き続けた。
それでも時間は容赦なく過ぎていく。
机の上には軽食が置かれており、それがその日の食事の全てであった。
養う義務がないと言うのは世話をする必要がないということなのだ。
これまでメルリリアの溺愛の下で自由に生きてきたロザリアはドレスのたたみ方も何も知らない。部屋には溢れんばかりの物があったが、どうやって収納するのかも分からない。
着ていたドレスの脱ぎ方も何もかも。
フレドリックは折に触れて男爵家に戻った時の話をしていたけれど、ロザリアは全く聞いていなかった。メルリリアがずっといれば良いと言ったから。
それに甘えた結果が今のロザリアであった。
ケルディオ侯爵家でも似たような状況になっていた。
クレストは己の生まれをこの時初めて聞かされた。それまでは年齢のことや既に実父が亡くなっていること、子供として可愛がっているからいいかと思って言わずにいたことを全て教えた。
それだけでも衝撃だったのに、ロザリアがブラハウンドに何の関係もなく、男爵家の当主になること、そして既に婚約は結ばれ、クレストも男爵領で補佐の仕事をするようにと命じられたのだ。
荷造りはとうに終わっており、翌朝にはそちらに送り出すと言われたが、注ぎ込まれた情報の多さに混乱してまともに理解が出来なかった。
夜中になりやっと理解した彼は、親だと思っていた人が異母兄であることや、ブラハウンド侯爵家の婿になるはずが男爵家の婿になるということを嘆いたが、全ては彼が愚かなことをしたその結果であった。
そして、フレドリックの妻である侯爵夫人メルリリアは離縁を申し付けられていた。一ヶ月も遊び呆けた後に戻って来た彼女は、執務室でフレドリックの冷たい視線を浴びていた。
「ロザリアはとっくにドルネシラ男爵領に向かった。お前はブラハウンド侯爵家の夫人としての役目を何一つとして果たさなかった。よって離縁する」
「な、何故!わたくしが、離縁ですって?」
「ああ。国王陛下の承認を受けている。お前の意志は関係無い。我がブラハウンド家は豊穣の女神の祝福を受けし一族。そして、お前はその家に相応しくない。それが全てだ」
「おかしいわ!女神など、そんな」
「命惜しくば女神の存在を否定するな。お前の荷は纏めてある。お前の生家はお前の受け入れを拒否した。ドルネシラに送るが、そこからはお前の好きにしろ。離縁が認められた時点でお前は平民だ。今着ているドレスは餞別としてくれてやる。金に変えると良い。だが、ブラハウンドの名で購入した宝飾品や他のドレスは持っていくことを許さない。お前が嫁いできたときの物だけ持って行くように。それではな」
「え、ま、待って。旦那様、お待ちください」
「実の娘を蔑ろにするものは要らぬ。早く連れていけ」
使用人が容赦なくメルリリアを連れ出す。
乗り心地の良い侯爵家の紋章が入った馬車ではなく、揺れの抑えのない安物の馬車に放り込まれたメルリリアは、外から鍵をかけられて中から出られなくなった。
荷物は既に積み込まれており、フレドリックやシャーロットの見送りもないまま、馬車は出発した。
既にメルリリアの身分は平民だ。きちんとした車体の馬車に乗れるだけでも幸運なのだが、それまでの贅沢に慣れきってしまっていたメルリリアにとっては地獄にも等しく、自然が豊かなだけで何も無い男爵領への道は地獄への道にも等しかった。
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「静かになりましたね」
「問題はないだろう?」
「ええ。ブラハウンドに相応しくない華美なものも処分出来て良かったです」
ロザリアが去り、メルリリアが戻って来るまでの間にブラハウンドには相応しくない品のない品物はことごとく売却や譲渡などをして屋敷から取り払った。
侯爵領の屋敷もシーズンオフの時期に戻った際に処理をする予定となっている。
品の無い甲高い声が聞こえず、悪臭も無い生活は居心地が良い。
使用人達もわがままに振り回すメルリリアとロザリアがいなくなったことで、与えられた仕事を適切に行えるようになり表情が明るくなった。
「次はお前の婚約者を探さなければな」
「ええ」
「アレとの離縁が広まったせいで私の元にも釣書が届くのは困ったものだ」
「お父様の見た目はお若いもの。私には来ていませんの?」
「来ているさ。王家、公爵家、なんなら隣国からも来ている」
「まあ。でも、今度はじっくりと厳選しましょう。女神様のお気に召す方を選びますわ」
「それがいい」
珍しく笑みを浮かべたフレドリックは休みの朝ということもあり前髪を下ろしているせいでより若さが際立っていた。
シャーロットは娘の目から見ても、後妻狙いは多いだろうことを理解していた。
別にフレドリックが望むのならば後妻を娶ってもよいのだけれど、その後妻との間に子が出来ても跡継ぎになれないことを了承出来る女性でなければ無理だと考えていた。
「再婚は考えていますの?」
「いや。今は考えていない。お前が結婚して子が出来れば考えるかもしれないがな」
「そうですか。それでは、私のお相手が決まるまではお父様に甘えることにしますね。後継者教育も一段落しましたし」
「そうか。ならば久々に旅行でもするか」
「ええ」
穏やかな日常。
縁の切れた彼らのことはもうケルディオ侯爵家に委ねた。後はあちらが上手く処理をしてくれるだろう。
婚約が無くなったことで次を探す手間は生じたが、焦ることは無い。
よく似た父と娘はどれくらいぶりになるか分からない旅行の行き先の話をしながら朝食の時間を過ごした。
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シャーロットが次の婚約者にと選んだのはデルニッツ公爵家の次男だった。
決め手は魔馬がやたらと懐いたことである。
ブラハウンド侯爵家の魔馬は人を選び、好みでない者に対しては気性の荒さを見せる。
母やロザリアは嫌われていたので、たとえ自慢出来るとしても馬車に繋ぐことは出来なかった。下手をしたら暴走した上で殺されかねないからだ。
そんな魔馬が、媚びるように公爵令息のレイヴェルに擦り寄る姿は中々に衝撃的だった。
自国の王子だろうが隣国の王子だろうが、魔馬に立場は意味がない。その中でレイヴェルの好かれようは尋常ではないと思っていたのだが、彼は個人で獣の神の祝福を受けていることが判明した。
領地を持たない公爵家ではまさに宝の持ち腐れ。ブラハウンド領では間違いなく大活躍が確定していることもあり、シャーロットは顔合わせをしたその日に彼女から求婚した。
何よりも、へにゃりと笑うその顔がとても可愛かったのだ。
シャーロットより二つ年上の彼は、まるで犬のような愛嬌があり、シャーロットの心を何度もときめかせた。
「必ず私があなたを幸せにいたしますわ」
「はい、よろしくお願いします」
茶色の髪の毛に同系色の目の色をした彼は、端正とか美しいとかかっこいいと言われる顔立ちではない。しかし、見ているだけで穏やかになる柔らかさが好ましかった。
フレドリックもレイヴェルを大変気に入ったようで、婚約して初めての夜会に参加した際、婚約者であり後継者はシャーロットなのに、フレドリックはシャーロットを置いてレイヴェルを連れ回した。
よく似た顔立ちで、ともすれば兄妹にも見えかねない、整った顔をした親子の間に挟まれて狼狽えるレイヴェルは大変に目立った。
「レイ様は私の婚約者よ、お父様」
「私の息子になるのだから色々と紹介せねばならないだろう」
「なら私も一緒でよろしいでしょう?私が後継者よ」
「お前は淑女の集まりがあるだろう。レイヴェルは私が預かるから安心しなさい」
「婚約して初めての夜会なのだからお父様は後でよろしいでしょう!」
「あ、あの、落ち着いてください、ね?」
まるで猫のように睨み合う二人を宥める大型犬のようなレイヴェルの姿。シャーロットとレイヴェルが結婚してからも見られる光景となり、社交界の名物がひとつ生まれることになるのだが、この時の彼らは知る由もなかった。
「レイ様、私と一緒がよろしいわよね?」
「レイヴェル、私との方がいいだろう?」
「ひぇ」
温厚なレイヴェルを見かねた公爵家の彼の兄が止めるまでその争いは続いた。
ざまぁになってるかな?
フレドリックとシャーロットがまるでAIに出てくるような淡々キャラのような話し方…と思ったけど、フレドリック、長文話してたね。
ブラハウンドはお役目がある時は冷静冷徹な振る舞いになりますが、解放されたらはっちゃけます(例:先代当主の祖母)
フレドリックも当主から解放されたらふわふわ系になります。




