捨て置かれた聖女
聖女として召喚されたのは、―――赤ちゃんでした
ふくふくとまろい頬に、柔らかく甘い匂い。
世界を救う救世主として召喚されたのは、見るからに生まれて間も無い乳幼児だった。
「きっと、召喚手順を間違えたのだ」
国王はそう言って、もう一度救世主の召喚をする様に魔術師達に命じた。
「この赤ん坊は、どうするのですか?」
召喚魔法はあれど、帰還魔法は無い。
本来母の手が必要な赤子はこの世界で生きていかなければならないのだ、恐らく国王が引き取って育てるのだろう―――その場にいた魔術師は全員、そう考えた。
「間違って召喚された赤子など、捨て置けば良い」
*
宮廷魔術師であるオリバーは目の下に深い隈を作っていた。
研究室の姫様は、何が気に食わないのか直ぐに癇癪を起こしてあれが欲しいこれがやりたいと要求する。
何を求めているのかはこちらが察するしか無いので、この数ヶ月オリバーはまともに休めていない。
「レイチェルが、聖女さまを?」
そんな研究室の我儘姫様が、王国の魔法学園で聖女様を虐めている、と言う噂を聞いた。
「殿下、本気ですか?」
「いや、レイチェル嬢がそんな真似出来る等と言う馬鹿げた妄想は露ほども考えてはいない」
「ですよね」
前提として、レイチェルは乳幼児だ。
ようやく首の座った乳幼児が聖女の私物を破損したり、噴水に突き飛ばしたり等出来る筈が無い。
寧ろ、出来たら天才だと思う。
―――聖女エリカは、レイチェルが打ち捨てられた後に召喚された日本人女性である。
この世界では珍しい黒髪黒目で、国王は「彼女こそが予言の救世主だ」と諸手を挙げて受け入れた。
エリカが子爵令嬢の身分を手にする傍ら、打ち捨てられたレイチェルは放置された。
召喚の儀式に参加した魔術師達は名前も無い赤子に「レイチェル」と言う名前を与え、共同で子育てをする事になった。
今まで魔術研究一筋で、人間の、しかも赤子の相手などした事はない魔術師達だがレイチェルに振り回されてどれ程疲れ果てても、レイチェルがニコニコと笑っている姿を見ると何故か癒されてしまう。
夜泣きの酷いレイチェルの世話ですっかり目の下に隈が出来てしまったオリバーも、別にそれ自体は苦ではないのだ。
「聖女が言うには、宮廷魔術師オリバーの娘のレイチェル・マクアダムスが悪役令嬢として学園にいる筈だ、と」
「確かにレイチェルは私が主体となって面倒を見ていますが、この世界に召喚されてこの方、レイチェルは研究室から出た事はありませんよ」
なお、オリバーは未婚である。
宮廷魔術師、と言う職業はその名前こそ華々しいがこの王国における実態は長らく王家の魔術師に対する偏見がある為に薄給低所得で結婚相手にはちょっと…、と言われてしまう職業である。
「殿下は兎も角、陛下はレイチェルの存在を内密にしているでしょう?」
「嗚呼、赤子に世界が救える筈が無いと。レイチェル嬢召喚に関わった魔術師に不当に賃金が出し渋っている事実は、頭が痛い」
つまり、国が正式に認めている聖女であるエリカは、存在しない事になっているレイチェル・マクアダムスと言う赤子から虐めを受けていると訴えている訳だ。
(いや、口ぶりからして、レイチェルを同世代だと思っているのか?)
レイチェル・マクアダムスと言う16歳の少女がいる、となると今度はオリバーの年齢がおかしい事になる。
何故なら、オリバーは今年で22歳。
6歳で父親になった記憶はない。
同姓同名の別人か、と言えば宮廷魔術師のオリバー・マクアダムスは此処にいるオリバーしかいない。
聖女エリカは「宮廷魔術師のオリバーの娘」と言っているのだから。
悪役令嬢、と言うのは、聖女の語るところによると所謂恋愛小説で主人公の恋路を阻む存在らしいが、婚約者のいる相手に手を出す主人公とやらの倫理観はいったいどうなっているのかを問いたい。
この国では魔術師の立場が低いとはいえ、魔法学園に通う生徒の大半は貴族だ。
1時の火遊び程度の関係ならば目を瞑る者も多いが、本気で婚約者を奪い取ろうとする者に対して容赦する者はいないだろう。
「レイチェル嬢がシャルル王太子殿下との仲を疑ってー」と説明しているそうだ。
―――殿下は、名前こそ「シャルル」と言う男名で、立ち居振る舞いも男のそれだがれっきとした女性である。
「慣れない異世界での生活に戸惑っているのだ、とみな温かい目で見ているよ」
「殿下は、御自身が女性である事を聖女様にお伝えされていますか?」
「伝えた筈なんだが。女避けの嘘だ、と解釈したらしい」
聖女が余計な騒ぎを起こす前に、レイチェルと会わせて見ても良いかもしれない、と殿下は言った。
「やっと寝付いたわ」
魔術師のひとりのパメラが揺り籠の傍で一息ついた。
癇癪姫は最近お気に入りのうさぎ柄のタオルを触りながらすよすよと心地良さそうに眠っている。
神官に魔力測定をして貰った結果、この赤子は間違いなく聖女であるそうだ。
確かに、レイチェルの機嫌が良いと天気が良かったり新しい鉱脈が見つかったりと言った幸運が降って湧いている。
反対に、エリカが何かしらの行動を起こす度に水路が決壊したり信仰対象である霊山で土砂災害が起きる等の不幸が起きている。
どちらが聖女なのかは、火を見るよりも明らかだが国が正式に聖女として公表している存在がエリカである以上レイチェルの存在は秘匿される。
レイチェルが起こした奇跡はエリカの手柄とされて、各地で発生している不幸は「偶然」だと処理されているのが現状である。
*
【救世の乙女と7人の魔法使い】
エリカは、召喚された時にこの世界は自分の大好きな乙女ゲームの世界だと認識して、乙女ゲームのヒロインとして行動している。
けれど、彼女の記憶にあるイベントは発生しないし、1部の攻略キャラクターは存在すらしていない。
ルートごとの悪役令嬢すら姿を見ていない。
エリカはそれを、「ゲームと完全に同じ、と言う訳では無いのね」と楽観的に受け止めている。
最推しのシャルルと恋に落ちる切欠である「シャルルの婚約者であるレイチェル・マクアダムス侯爵令嬢からの虐めの現場をシャルルが咎めた事で仲が深まる」と言うイベントが起きないのは問題だ。
未来の王妃として、学園には存在しないのかもしれない。
Web小説の知識だが、王太子妃となる為の教育を受ける為に本来悪役令嬢である存在が学園にいない、と言う可能性は頭にいれている。
それでも、シャルルが存在する以上、その婚約者であるレイチェルは必ず存在する筈だしこれ程接近すれば「立場を考慮しない明るく奔放な聖女」の振る舞いはレイチェルの耳に入り、咎めに来る筈だ、とエリカは考えた。
―――エリカは、この世界が【救世の乙女と7人の魔法使い】と似て非なる世界である事にまだ気がついていない。
だからこそ、シャルルが「自分は女性だ」と伝えても「女性避けの嘘」だと認識している。
(1度、レイチェルと会わせたところで都合良く解釈するのではないだろうか?)
この世界を自分の良く知る物語だと解釈するエリカにレイチェルを会わせたとする。
恐らくエリカは、「何かしらの魔法でレイチェルは赤子になっている、レイチェルが赤子になる前に虐めを受けた」と言う可能性がある。
さてどうしたものか、とオリバーはきゃっきゃと楽しげに笑うレイチェルを抱っこしながら考える。
シャルルが婚約者であるテオドール・デュボワ公爵令息を紹介したところで都合良く解釈しそうな、暴走馬車と化しているエリカをどうすれば納得させられるだろうか。
「その子が噂のレイチェル嬢かい、オリバー」
「そうだけど、研究室にまで何の用だテオ?」
「いや、すっかり子育て業がサマになっているなと思ってな」
テオドールがレイチェルの目の前にうさぎのぬいぐるみを差し出すとレイチェルは嬉しそうに笑顔を見せた。
「会わせたら多分解決するぞ。聖女様は妄想力の逞しい方だが、根は真っ直ぐで曲がった事を嫌う性質だ」
レイチェル・マクアダムスはオリバーが22歳の時に分家から養子として引き取った子供で研究が忙しい両親から放置された結果、婚約者のシャルル王太子殿下に対してストーカー紛いの付き纏いをしているのだ、と話していたそうだ。
「だから、自分がシャルを救わないといけないのだ、と」
「ストーカー等されたらシャルは自分で解決するだろうに」と、テオドールは肩を振るわせて笑った。
「それじゃあ、会わせてみるか…」
国王の意向でレイチェルは研究室から外に出る事は出来ないので、聖女様に来て貰う事になる。
取り扱いの難しい薬剤等も置いてあるので、先ずは大掃除をしなくてはならない。
*
「―――」
エリカは小さな手を必死に伸ばして笑うレイチェルに絶句した。
多少、物語と異なる展開は覚悟はしていたが、まさか、悪役令嬢が赤子だとは。
まだ首の座ったばかりの乳幼児がどう成長するのか等、流石に聖女として召喚されたエリカにも分からないし、呪いが掛けられてこの姿になっている訳でもない事は分かる。
エリカは寺生まれだ。
生まれつき普通の人間には視えない、所謂幽霊や妖怪と呼ばれる存在を認識する目を持っていた。
寺生まれだから、と言って皆がそうでは無いと父親に聞かされ、視えない存在については口にしない、関わらない、と言う教えに従い普段はそうやって過ごしている。
呪いや、龍道も視える。
だからこそエリカは、レイチェルが見た目通りの年齢である事を理解している。
「この子、日本人…?」
レイチェルを守護する霊体は壮年の男性で、レイチェルがこの世界に来た理由をエリカに教えてくれた。
「そう、父親が土壇場になって逃げたのね。母親は産んだはいいものの育てられない、と悩んでいた時に、この世界に聖女として召喚されたんだ…」
ギロリ、と冷たい瞳でエリカは同席している国王を睨み付けた。
「勝手に召喚した挙句、捨て置いたんだ?こんな、小さい子を」
「仕方なかろう、赤子に世界を救える筈も無い」
だん、と。
エリカは強く床に足を踏み付けた。
「相手は赤ちゃんだよ?わたしみたいに、自分の意思で行動出来るなら兎も角、大人の庇護下に無ければなんにも出来ない赤ちゃんを、貴方はどうして見捨てたの?」
エリカは、恋に恋するだけの少女ではなかった様だ。
学園での様子を聞くと異性を追い回すだけでは無く、学生の本分は学業だから、と授業に真面目に取り組みこの世界の言語をマスターし、聖女の旅路の行程や代々の聖女や聖人の記録を学んでいたと言う。
教師が、「授業外の素行を除けば、歴代でいちばん真面目な聖女」だと賞賛する程に。
「この国で魔術師が王家からの偏見を受けている理由が、召喚した聖女が大半が当時の救世の旅に同行した魔術師と恋仲になる事が気に食わないから、って聞いたけど。
―――お金だけ出して後は放置する王家と、傍にいて身体共に支えてくれる魔術師なら後者を選ぶって、少し考えたら分かる事じゃない?」
バカなの?と言い捨ててエリカはレイチェルを抱き上げる。
レイチェルはきゃっきゃと笑い声を挙げている。
そう、王家は世界の危機が訪れると異世界の少年少女を救世主として召喚するだけ、この世界での金銭面の工面をするだけだ。
いのちを落とす危険性のある旅に出る彼女達異世界人のフォローをしてきたのは何時の時代も旅に同行した魔術師だ。
文字を教え、社会常識を教え、時には自ら盾となり守護する相手に対して、吊り橋効果はあるだろうが金だけ出して何もしない王家より好印象を受けるのは当然だと言える。
「聖女や聖人の心を誑かす悪しき存在」として魔術師がぞんざいに扱われる理由は無い。
「この世界は、わたしの知るゲームに似た世界だけどみんな今を必死に生きている人達だって分かったわ」
血の繋がりもない、王家から捨て置かれた赤子に名前を付け、養育する。
未成年であるエリカですらそれが大変な事だと理解出来るのだ、立派な大人である王家の国王がそれが理解出来ない筈がない。
「決めたわ、世界を救う前にレイチェルを立派な淑女に育てる。救世の旅はそれからよ」
*
レイチェルとエリカの邂逅から7年。
レイチェルは幼年学校で学業に励んでいる。
エリカや、育て親の魔術師達に似て勉学に熱心なレイチェルは満点のテスト用紙を披露しに来ては魔術研究の手伝いをしようとする。
無邪気に笑うレイチェルだが、先日歯っ欠けさんになった事が気になるのか口を大きく開けて笑う事はしないおませさんでもある。
「育児よりも世界を救って欲しい」と元国王に懇願されているがエリカは何処吹く風でレイチェルの宿題の手伝いをしている。
この世界をゲームの世界だと認識し、異性を追い回していた姿が嘘の様だ。
「誰とも結ばれない友情エンドでも世界は救われてるんだよね」
神官の話では、聖女の心の満足度がそのまま世界に反映されるのだと言う。
シャルルが卒業と同時に王位を継いでから魔術師に対する偏見は緩やかに解消されていった。
即位式でのシャルルの姿を見て「ほんとうに女の人だったんだ...」とエリカは呟いていた。
現在の宮廷魔術師の給金はかつての5倍、―――他国の宮廷魔術師と同額であり、生活も豊かになった。
貴族としてはとうに婚期を逃し、録に社交界に顔を出す事も無い女性宮廷魔術師は研究室の男性と職場恋愛で結婚している。
「私は研究が出来れば他には何もいらないわ」と口癖の様に言っていたパメラも今やオリバーの妻であり、今は産休で屋敷でゆっくり過ごしている。
「レイチェルのお世話をしていたら、自分の子供が欲しいな、って思う様になったのよ」
パメラはそう言っていた。
―――レイチェルが15歳になった時に魔族の国が攻めてきて一時厳戒態勢となるのだが、
「あのお腹の子供がこんなに美人になるんなら棄てるんじゃなかったな!!やあ、パパだよ!」
「エリカママ、あれはなぁに?」
「あれはわたし達には救えないものよ」
育児の果てに我が子を護る母熊と化したエリカと何も知らないレイチェルによって撃退され、シャルル―――シャルティア女王の治める王国は未曾有の大繁栄を手にする事になるのであった。
魔族の国の王は異世界転生したレイチェルの産みの父親です。




