第0話 井戸が青く光る夜
本編より少し先の夜から始まります。
第1話から、ノアが《導き》を授かるところへ戻ります。
井戸が、青く光っていた。
夜の底みたいに沈んだ村の真ん中で、そこだけが静かに脈を打っている。
風は弱い。
なのに空気は張りつめていた。
北柵の向こうで、短い悲鳴がひとつ切れる。
ノアは井戸の縁に手を置いたまま、息を止めた。
冷たい石だった。
だがその奥で、何かが動いている。
視界の端に、淡い線が浮かぶ。
北へ伸びる線。
集会所の裏へ回る線。
井戸のそばで重なる線。
村の中を、誰かの役目が流れているみたいに見えた。
火を守る者。
水を回す者。
前に立つ者。
呼びに走る者。
泣きそうな顔で、それでも持ち場から離れない者。
誰が何をすれば、この村がまだ崩れないでいられるのか。
それが、見えてしまう。
父が一歩だけ前へ出た。
「どうする」
短い問いだった。
けれど今のノアには、それが村ごと預けられたみたいに重かった。
北からは赤い気配が近づいている。
井戸の奥では、青白い光が揺れている。
地下へ続くような、深い気配もまだ消えていない。
終わっていない。
今夜ひとつ防いだところで、それで終わる相手じゃない。
火で寄せてくる。
声で呼び出してくる。
誰かを止めて、村ごと崩しにもくる。
ノアは北柵の方を見た。
震えている手がある。
唇を噛んでいる顔がある。
それでも誰も、逃げてはいない。
前の自分なら、きっと迷っていた。
役に立ちたいと願うばかりで、何も掴めないまま終わっていた。
でも今は違う。
できることがある。
見えるものがある。
繋げられる役目がある。
井戸の光が、もう一度だけ強く脈打った。
ノアは石の縁から手を離し、父を見た。
「……大丈夫」
言い聞かせるみたいな声だった。
それでも、言葉にした瞬間、村の線が少しだけはっきりする。
誰が前へ出るか。
誰が残るか。
誰が次を埋めるか。
崩れかけた形の、その先が見える。
ノアは息を吸った。
怖い。
それでも、もう目は逸らさない。
「俺が導く」
青く光る井戸のそばで、その言葉だけが静かに落ちた。
夜はまだ明けない。
けれどこの瞬間、辺境の小さな村は、ただ怯えるだけの場所ではなくなった。
ここから本編開始です。
第1話では、ノアが《導き》を授かるまでを書いています。




