楽してないギャンブル
「差せ!差せ!差せ!差せーーーー!」
……また外れた。最近、まったく当たらない。
運気にはバイオリズムみたいなものが、やっぱりあるんじゃないかと思う。
毎週買っている宝くじで、たとえ千円でも当たった週は、なぜか競馬も当たる。当たるときは「これで食っていけるんじゃないか」と思うくらい当たる。
逆も然りだ。宝くじが一か月、二か月と当たらないときは、競馬も当たらない。そんな気がしてならない。
……いや、単にその程度しか当たらないものに、無駄金を注ぎ込んでいるだけか。
それでも、やめられない。
独身オヤジの、数少ない趣味だ。酒は嗜む程度。車にも乗らない。ゴルフもしない。釣りもしない。住んでいるのは、安くて狭い賃貸マンション。
ギャンブルは嫌われ者だが、これならやっても問題ないだろう、と今日も自分を正当化している。
運という、見えないものを上げるにはどうしたらいいのだろう。
目に見えないものの対策は、目に見えないものにお願いするしかない。単純な答えだ。
まだ会社勤めで、ネットも出始めの頃。動作の重いパソコンで、必死に調べた記憶がある。
それ以来、宝くじが当たった週や、「今週は競馬、当てるぞ」という日の前日には、決まって三か所を回るようになった。
電車でも行ける。だが歩いたほうが、何となく修験者っぽい。……なんてね。
外苑東通りを、黙々と歩く。信濃町を過ぎ、四谷三丁目を過ぎ、曙橋を渡る。大久保通りを左へ、坂を少し上ると一か所目の目的地――宝禄稲荷神社。
ビルとビルに挟まれた、小さな神社だ。ここは「ハズレくじ供養」の神社。由来は境内に書いてあるが、どこか『日本むかし話』のような話である。
二礼二拍手一礼。
そのまま早稲田へ。夏目坂通りを下り、早稲田通りを左へ。
学生であふれる中を少し行くと、二か所目の目的地――穴八幡宮。
競馬好きで、この名前を聞いて行きたくならない人はいないだろう。
かなり由緒のある神社らしく、前に見ていた時代劇で「穴八幡様のお導きじゃ」なんて台詞を聞いたときは、思わず吹き出した。
実際の名前の由来は、競馬好きが想像する“穴”とはまったく違うのだが、それでも惹かれるものがある。
二礼二拍手一礼。
さあ、もう一か所。このあたりで、さすがに疲れてくる。
神社沿いの通りを進み、明治通りに突き当たって左。大久保通りを右へ。新大久保駅を少し過ぎたところに、皆中稲荷神社がある。
江戸時代の鉄砲隊に縁があり、つまり「当たる」ことにご利益があると言われている。
……と聞いたとき、罰当たりにも「江戸時代の鉄砲って、そんなに当たらないだろ」と思ってしまった。
たぶん、だからご利益が薄いのかもしれない。それでも――二礼二拍手一礼。
修験者は、ここまで。
疲れたので、新宿までは歩き、その先は電車にした。
ギャンブルはとかく「楽して金を儲ける」「泡銭」などと言われるが――
オレは、楽してないぞ。




