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6恥目 大不況、大難航、就職活動(1)


「ひゃっ、100円!?」

「え? うん、100円」


 その夜、先生の家に戻ってあったことを伝えると、2人は豪快にお茶を吹いた。


 そんなに驚くことだろうか。100円なんてすぐ貯まる気がするけど?

 昭和だから価値が違う? あまりピンと来ないけど。


「だからね、就活をしようと思うんですよ! ハロワみたいなのってどこにありますかね」

「無いことはないですけど……あ、あの、要さん。100円を本気で……?」


 本気だ。そうしなければ前には進めないのだから、やるしか無い。先生は困りましたねぇ、と難しい顔で眉間に皺を寄せた。


「じゃないと現代に帰れないですし、やるしかないでしょ。あ、見てくださいよ! 茶柱が2本立ってる。上手く行くって事ですね!」


 茶を飲もうと湯呑みを覗けば、縁起がいい。


 これはすぐに職が決まるという暗示に違いない。けれど2人は僕の返事に顔を青くするばっかりで、茶柱の話なんて聞きやしない。


「ぼ、僕でもわかります! 100円って、たくさんお金が必要ですよ⁉︎」

「要さん、100円って平成の100円じゃないですからね? 修治さんの言う100円は1930年のサラリーマンの月収で、現代の100円じゃありませんからね!? おまけに今は不景気です。大卒でも就職が難しいんですから……」


 100円がサラリーマンの月収。そうは言ってもピンからキリまである。


 まあ驚くほどの大金を一言で持って来いなんて言えるのは、アホみたいに金を持った金持ちか、全く金がないかどちらかだ。


 なら、しゅーさんはきっと金持ちだな。


 いつの時代も大学に行ける奴は、たんまり金を持っている。

 トランクケースだってそう安いもんじゃ無いだろうし、毎日飲み歩けるほどの金があるなら、きっとそうに決まってる。


 僕が毎日付き纏うのがあまりに鬱陶しいので、とても揃えられない大金を用意しろなんて言ったんだろうか。


 それも不景気だという事を知りながら? 性格悪う……。


 僕の考えとアイツの考えが違っていなければ、アイツは相当嫌なやつだ。

 何にせよ、帰るためにはきっちり100円、耳を揃えて持って行かないことには始まらない。


「あの人も無茶を言いますね。さすが大地主の息子なだけありますよ」

「そうなんすか……ん? しゅーさんって地主の息子なんですか?」


 大地主と言ったらお金持ち。


 実情はわからないが、主運輸や資産が多そうなイメージがある。

 その息子が100円を持ってこいだなんて、か弱い庶民を馬鹿にしてんのか?


「ええ、ご実家が青森の大地主だったはずです。要さん……修治さんの事を本当に知らないんですね」

「はあ……」と、こめかみを掻いた。


 太宰治に全く思い入れのない先生でも知っている事が、僕はわからない。

 あんなに本があったのに。


 先生は「突然の状況に頭が混乱しているのかも」とフォローを入れてくれる。

 

 自分でも不思議になるくらい知識がない。面白いくらいわからない。

 記憶がストンと切り落とされたみたいに無くなってしまったのだから、考えたって思い出せるはずがないのだ。


 吉次が淹れてくれたお茶を飲み終えると、2人が就寝の準備をし始めた。


 ふと、思い立つ。


 僕は押入れにしまっていたリュックから本を全て取り出した。最後のページ付近に書かれていた年表を丸暗記すれば簡単に攻略出来ると思った――のに。


 おかしい。


「あれ?」


 やっぱり変じゃん? 本についていたカバーがない。

 昨日までついていた筈なのに、タイトルも著者名も、本文も何も無い。

 本がすっかり裸になって、書いてあった全てが消えて無くなっていた。


「先生、吉次、この本に何かした?」


 そんな訳あるかと、慌てて尋ねる。2人がこの本を白紙することなんかできやしないのに、疑ってしまった。


「いえ、なにも……どうかしました? ……え?」

「これ、この、要さんの、ほ、本ですか?」


 2人だって驚いている。先生も確かに一度は手に取り読んだはずの本だと言う。


 どういう事か本を捲れど捲れど、4冊全てに書いてあったはずの作品も文字も消えている。


 最初から何も書いてなかったかのように真っさらな小さなノートになったようだった。


 思い出せないから思い出そうと頭をを使ったらこうだ。


 やる気が出た途端にこうも邪魔をされたら腹立たしくて抑えられない。本を畳に投げ付けて、口も悪くなる。


「ふざけやがって!」


 あの邪神がそうしたに違いない。だから腹が立つ。


 手伝いだかなんだか知らないが、やって欲しいようにしてやるんだから邪魔はしないのが筋だろ! あのクソ女!


 この本がヒントだったとするなら尚更のこと。

 これでは何も知らずにこの時代を生きていく事になってしまう。


 まさか先生にずっと頼るわけにはいかないんだ。

 あと4年で帰ってしまうとなれば、僕はこの先、何も無しにどうしたらいいんだろうか。


 せめて、あの人のこれからを知っていたら生きやすかったのに。


 大きなため息が出そうになったが、先生と吉次に気を使わせまいと、今更欠伸のフリをして誤魔化した。


「か、要さん。最近ずっと走り回っていたから疲れてるんですよ。あ、明日の事は明日考えましょう?」

「……そうだね。ごめんなさい」


 吉次は僕がすぐ布団へ入れるように、掛け布団を捲ってくれた。


 感情に任せて取り乱しても、2人は本当に優しくしてくれる。


 明かりが消された後は、どんな職なら雇って貰えるか考えて過ごした。


 僕に出来ることで、この時代にでも通じる事。


 そういや僕、昭和に来る前は何をしていたんだっけ。思い出そうとしたら、自分のことまで思い出せなくなっていくのだろうか。


 恐怖を感じたが、やっぱり思い出したいと言う欲求には抗えない。


「そうだ、郵便局員だ……」


 ひとつの細い記憶をギリギリで掴み取る。危なかった、もう少しで忘れるところだった。


 たったそれだけのことに安心した途端、猛烈な疲れが襲いかかり、麻酔銃に撃たれたように深い眠りに落ちた。 

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