44恥目 初対面、不仲説立証?
「すぐ文明の力に頼るなよ! 僕はあの距離をいつも自転車で行き来してるんだから」
「頭悪い発言すんなよ!? 五反田がどこだか知らねェけどよ、坊ちゃんがゲッソリしてるっつうことは馬鹿みてぇな距離なんだろ?」
「今回ばっかりは糸魚川の味方をするよ、要!」
五反田までの交通手段で僕らは揉めている。
カッコつけて付いて来たくせに、五反田までバスか電車で行きたいなんて言い出した。
こんなに晴れていて、冬場でも比較的気温の高いこの日にどうしてわざわざ金を払って移動しなきゃいけないんだ!
昨日爺さんから前借りで貰った金もあまりないし、残りの金は絶対に使えない。
バスや電車なんかに乗ってたら給料日までの数日をどう過ごせというんだ!
「じゃあ聞くけど、糸魚川の交通費は誰が払うんだよ! お前、僕に借金してる自覚あんのか!?」
「ああ、あるさ! それはメガネ代でチャラにしてやんよ!」
金を借りておいてなんていう態度!
背が高いからって見下してゲス顔、本当に救いようのないクズ。バカ、アホ、マヌケ!
そもそもメガネを壊される原因を作ったのは自分自信だろうが!
「メガネを壊したのは僕じゃない! 中也さんだ! 何回言わせんだ!」
「お前の相方が壊したんなら払えやクソガキ!」
「相方ぁ?」
「吉次が言ってたぞ、坊ちゃんとガキはいつも一緒だって。確かにな、俺も会ったばっかだけどよぉ、お前ら2人でいるとなんかちげえんだよ……なんつうか、その……あっ! コレっぽくみえんだよな」
糸魚川が何をしだしたかというと。
手でハートを作って、片目を瞑り、その中に僕ら2人を入れると「おお! ビンゴ!」と1人歓声をあげた。
別にそんなんだけど、そんなんじゃない。
他人の前でそういう雰囲気を出しているなら、今後の接し方も考えなくてはならない。
僕は男として生きているのだから、きっと中也さんもそれをわかって否定してくれるだろう。
しかし、横を見ると。
「糸魚川、今日の分はなんだって払ってやるぞ」
スーツの内ポケットから財布を取り出してるじゃないですか。
財布をしまえ!
昨日まで殴り飛ばしていた奴にする対応じゃないだろ!
けれど中也さんはニコニコして、背の高い糸魚川とアンバランスに肩を組みバス停へ向かっていた。
別に、中也さんの身長があれだとか思ってる訳じゃないんだからね!
「いやぁ、クソガキが女顔だからかなぁ」
「要はかわいい顔してるからね。例え男でも、悪い気はしないさ」
2人でガハガハ笑いながら、僕ん家に行くのに僕を置いてく。
もしかして糸魚川、めっちゃ世渡り上手なんじゃないか?
*
バスに揺られて、少し寝過ごし、ちょっと歩いて五反田に着いた。
1週間近く帰らなかったくらいじゃ当たり前かも知れないが、この街は特に何も変わってはいない。
五反田は女の人と遊ぶ、所謂花街だ。
そっちにこっちに綺麗で可愛いお姉ちゃんが、おしゃれな格好で歩き回っていた。
「へぇ、初めて来たけどいい女が多いんだな」
「あんまジロジロ見んなよ。誘われても金無いんだから」
糸魚川はヘラヘラしてすれ違う女性に鼻を伸ばし、手を振った。
花街の中でアルバイトをしていることもあるから、僕と顔見知りの人もいる訳で。
そこから「安くするから」なんて決まり文句で客をとして引き寄せるのだ。
「なぁ、坊ちゃん。金貸してくれよ。俺もうムリだわ」
ちょっと女性に声掛けられたからって、下半身をムズムズさせて何言ってんだコイツは。
中也さんは振り向きもせずに僕の隣に来て「勧誘がすごいな」と呟いた。
「性欲の管理できない男はだらしないぞ」
「性欲だけじゃなくて金もな!」
「頼む! 1回でいいんだよ!」
必死に手を合わせ、金を貸してくれとせがむ。
糸魚川の下半身は清々しいくらい強調されている。
「何しに来たんだお前!」
わちゃわちゃと駆ける花街の道。
僕はちょっとだけ中也さんが女性に鼻を伸ばさないかと心配でイライラしていた。
「なんで不機嫌なんだい?」
「別に、糸魚川がうるさいだけですよ」
僕ってわかりやすいな。
中也さんは何も悪くないのに、ちょっと女性に声をかけられている姿を見ると口が尖る。
「ああ、そういうことね」
「何がですか」
最低に、ぶっきらぼうな返事。
とても好意がある人に向ける声ではないが、この人は勘付いているから、すぐに揶揄ってくる。
「コレっぽい、もんね?」
さっきの糸魚川みたいに笑顔で手でハートを作る。
僕は中也さんの表情に負けて下唇を噛んで照れるしかなかった。
*
花の誘惑を切り抜け、五反田のアパート前に着いた。どの部屋にも人がいる気配はない。留守だろうか?
「うわ、ボロ」
飴屋や先生のアパートよりはるかにボロ屋なのは認める。認めよう。認めるさ。
壁も剥がれてるし、そこから何が草のようなものが生えてるような建物だもの――だけど。
「2人で口揃えて言うことないだろ! 僕が家賃払ってんだから、そんないいとこには住めないの!」
「生活費も要持ち?」
「そうですよ。あとは田舎のお兄さんの仕送りがありますけど、しゅーさんの学費と借金返済に当ててますからね。中を見てくるんでここで待ってください」
2人を玄関前に立たせたまま、久々にドアノブに手をかけた。冷んやりと冷たい。
「しゅーさん、いる?」
玄関で下駄を投げるように脱いで声をかけた。そしたらなんだこの音。
バタバタ走ってくる音に混ざる何かを毛となす音。明らかに部屋が汚い。足の踏み場、無いんじゃないか!?
「要ちゃん! 要ちゃん、やっと帰ってきた!」
「えっ、ちょっ、初代さん、どうしたんですか!?」
奥から駆けてきたのは初代さんだ。少し顔がコケていて、目の下にクマを作り、助けを求めている。
「とにかく早く来て! もう、もう! 本当に気が狂いそ……」
「初代さん!?」
初代さんがそのまま気を失ってもたれかかったので、僕ら大声で2人を呼んだ。
「おわ、誰だよこの姉さん」
「しゅーさんの奥さんだよ! 糸魚川、初代さんを運んでくれないか!」
そっと初代さんの体を糸魚川に託すと「おぉ、柔らけぇ」なんて言うので、とりあえず靴箱にあった薄っぺらい草履で殴った。
「イッテェな! 運ぶって、どこにだよ!」
「とりあえず畳あるとこ! 頭使え! 脳みそは下半身詰まってんのか!」
下品な言葉を吐いたがこれ以上構っている余裕はない。
初代さんがこれだけ衰弱して助けを求めるということは、もしかすると、最悪の事態になろうとしているということかもしれない。
薬か、首吊りか――?
ああ、嫌だ。自殺大好きヒョロヒョロ作家の面倒なんか生半可なメンタルじゃ対応し切れたもんじゃない。
しゅーさんが書斎としている部屋の襖を勢いよく開けると、昔見た光景にそっくりな風景が目に飛び込んできた。
「芥川センセ……センセ……センセ……」
壊れたラジカセのように同じことだけを呟く。
右手に握っている鉛筆の動きは早い。僕らに気付いていないんだろう、こちらを見向きもしない。
投げ置かれた数冊のノートと、原稿用紙。どれも全く同じような文字の羅列。
中也さんが屈んで拾うと「うわ」と、すごい顔で引いている。
「しゅーさん、ただいま」
と言っても振り向かない。
「お、お兄様、ただいま帰りましたよ」
なんて、ちょっと上品に言ってみる。振り向きません。
また始まったと、僕はじれったくなって、何をそんなに一生懸命描いているのかとしゅーさんの手元を見た。
「芥川……龍之介?」
その人の名前を何度も何度も書いている。
父さんがやっていた事と全く同じ事をやっていたのだ。
そういえば太宰治は芥川龍之介が好きだったなぁとほんのり思い出すと納得出来る。
世間からみたら「奇行」とも取れる行動をしているか知らないけど、何かあったのだ。
この人のする事だからと僕は引かなかった。
「しゅーさん、なんかしたの?」
「センセ……」
もしもし、聞こえてますか?
こんや近距離なのに聞こえてないって、もしかして薬飲んだ?
いつも薬が置いてある、もしくは隠してあるであろう場所を探してみても、埃が被っているだけで飲んだ形跡はない。
とうとう精神がやられたか?
僕がブチギレて出て行ったから、病んでしまったのか? 父さんの事も思い出したばかりなので、寂しい思いをさせていたならと胸がいっぱいになる。
「しゅーさんごめんね! 僕が悪かったよ! だから返事してよ!」
しゅーさんに手も足も使って後ろから抱きつくと、ようやく気付いたようで手はピタりと止まった。
「ああ、あまくせ、帰ったのか」
「今だよ、今! ああ、なんだいこんなにクマ作って! 少し痩せた? ちゃんとご飯食べてないのかい?」
僕は他に何か異常がないかと、しゅーさんの顔や体をペタペタ触って確かめた。
「触んな」と口では嫌がっていたがちょっと笑ってくれた。
良かった、笑ってくれたと、激しく額をすり合わせた。
安心したのは束の間。すぐにまた嵐はやってくる。
「気持ち悪」
中也さんの容赦ない言葉。
原稿用紙やノートを見ての発言だと信じたいが、明らかにまた別な感情も混ざっている。
糸魚川を見るときのような目と、ドスの聞いた声。
ヤバイと、背筋がピンとなる。
さすがのしゅーさんも怒るんじゃないか。一発触発だ。殴り合いも覚悟した。
最悪、僕が間に入ればなんとか――。
「うっ、うっ」
そんな心配は不要。
しゅーさんは虐めないでと呟いて泣いた。
……えっ、泣いた?




