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3恥目 時間遡行の先輩(1)


「あはは、やっぱり現代から来た人だね。案外いるんだなぁ。すんなり突き落とされちゃう人」

「笑うとこ、ですかね」


 すっかり空が暗くなった1930年の東京の一角。

 私と吉次、それと“先生“と呼ばれる人と並んで歩いていく。


 ロングヘアーを低い位置で束ね、茶色のスーツ姿。長身で綺麗な美形。随分と若い男の先生が校門の前に立ち、私達を待っていてくれた。


 先生の名前は「宇賀神誠うがじんまこと」。


「うがじん」なんて聞き慣れない苗字はすぐに覚えられた。

 

 聞けば栃木県の出身で、県内ではそう珍しい苗字ではないらしい。

 年齢は28歳。大学構内で事務員をしているんだとか。


 しかし、事務員なのに何故、先生と言われているのか。

 聞いてみると「先生の先生になったからさ」と、また変わり者っぽいことを言う。そしてこの人もまた「突き落とされて過去に来た人」だって。


 他にも聞きたいことは沢山あるが、先生は「とりあえず、家に帰ろうか」と微笑んだ。

 吉次は14歳とは思えないほどがっしりと先生の腕にひっついて歩いていた。


 さっきの発言はなんだったんだ。吉次は平気で嘘をつく。いや、嘘つきは言い過ぎか……。


 先生の住居は大学から歩いてすぐのところにあった。アパートや下宿が並ぶ路地の中にあるアパートの一室がそうだ。


 現代のアパートと比較するつもりはないが、私がこの部屋に住むかと言われたら、住まないの一択。


 蜘蛛の巣が部屋のインテリア化していて、目線を少しずらすと、板が一枚剥がれた天井が目に入る。


 私は何も見ていない。さあ目を瞑るんだ、私。決して汚いんじゃない。技術や時代の問題なんだ。


「あはは、このアパート汚いですよねぇ。先の時代と比べると、特に思いますよね」

「すみません! 顔に出てました?」


 不味い、と片手で口を抑える。


「いえいえ、僕がそうでしたからね。この部屋はまだマシな方ですよ。さあ、座って」


 先生はニコニコと懐かしんだ様子で、出会ったばかりの私を部屋に入れてくれた。初めて出会った人の中ではダントツでいい人そう。

 あ、吉次がダメだと言っている訳ではないよ?


 お言葉に甘えてお邪魔すると、吉次は台所に立ち、慣れた様子で湯を沸かす準備をし始める。


 先生は卓袱台に来客用の座布団を用意してくれ、「足を崩して座るんだよ」と綺麗な顔で微笑む。


 ああ、なんて優しい。“神”かな。


 昼間の街では何人も声を掛けたのに、振り返られなかった。その夜には、客人として招かれて厚い待遇を受けている。


 悪いことは続かない。人生は意外と優しいんだ。


「さて、要さん。要さんはどこから来たんでしょう? 僕は足尾鉱山でした」


 先生が胡座をかいて座るやいなや、すぐに聞く。

 足尾鉱山と言うと先生の出身の栃木だろうか。地理に詳しくないので定かではないけれど。


「私は……東京の玉川上水で、知らない女の人に花を渡されたら、突き落とされました。自分は邪神だとかいう人で……死んだと思ったら、いつの間にかこの時代に」

「あはは、僕と同じです。場所と花が違いますけどね。ほら」


 先生が指を指した先の棚には、花瓶に入れられなくても萎れずに咲いている見慣れない赤い花が置いてあった。


「あれはアマランサス。花言葉は粘り強い精神。もう40年以上、僕の近くに咲いていますよ」

「40年? あの、先生は28歳って」


28歳の先生の近くにおおよそ40年間咲いている。意味がわからない。脳のメモリーがいっぱい、キャパオーバーです。


「きちんと説明しないとわかりませんよね。僕も未だによくわかっていませんが……」


 吉次が湧いたお湯で淹れた茶を卓袱台に置いて座ると、先生は「難しいんですよぉ」とまた笑った。卓袱台の下から紙と鉛筆を取り出す。


「長くなるから、きちんと聞いてくださいね。この時代に来ても、歴史を変えてはいけない訳でもない。とにかくややこしいんです」


 返事は頷くだけにして、先生が話し始めた。




 現代のとある夏――28歳の時に足尾鉱山から1889年に来た。


 足尾鉱山にいた理由は、趣味の鉱石を中心とした石好きが高じてのもの。


 地元にほど近い身近な足尾鉱山は癒しであり、幼い頃からの憧れであった「古在由直」を知る唯一の場所だった。


 その日は朝から本当に嫌な日だったのを覚えている。


 栃木県内で小学校教師として働いていた僕は、担任をしているクラスの児童の親に悩んでいた。流行りのモンスターペアレント。


 小さな事で「ご意見」を言いに、わざわざ学校にやって来る。


 うちの子は特別だから当番をやらせないで。

 うちの子は特別だから廊下の席に座らせないで。

 うちの子は特別だから登校時間をずらして。


 理不尽でイカれた要求はエスカレートしていく。


 精神は疲れ果てて、笑顔はなくなり、他のことに手がつかなくなってしまっていた。ミスも増え、毎日残業、挙句に担当クラスの学級崩壊。


 それは当時付き合っていた「恋人」も例外ではなかった。


 女性特有のワガママは、いくら彼女と言えどもモンスターペアレントと変わらず、煩くて理不尽にキツく縛り付ける縄だった。


 それでも僕は一応……愛した人だからと、きちんと彼女との将来は考えてましたしね。


 親も結婚しろと煩く、僕も28歳だし、彼女は30歳前に子供を産みたいと言う。今まで付き合って来た女性の中では1番芯が通っていて、真っ直ぐで……。


 きちんと“好き“ではあったと思う。憧れだったといえばそうでしたし。


 それなのに。あの日の夜、食事だけのデート最中、彼女は不満そうにこう言った。「結婚する気、ないよね?」と。


 あの言い方は、他にいい人を見つけたから早く別れてほしい、という意味に近い。


 けれど自分から言うのは嫌だから、僕から言ってくれという意味ですね。こんな歳で彼氏に捨てられた、慰めてとそのいい人に言うからに違いない。


 それが最後だった。僕を支えた細いつっかえ棒がパキッと折れた。

 それが僕の中で試合終了の合図だったのだ。


 もう頑張れない。やる気などない。僕は全てが嫌になった。


 毎日毎日、誰かから理不尽にぶつけられる怒りに耐えた苦しみ、泣きたくても泣けないもどかしさ。


 いいや、泣く力もなくなっていたのか。僕の溢れそうな感情は、溜まるばかりで何処へも捨てられない。


 だから、いつも癒されに行く場所へ日付を超えてから向かったのだ。少しでも生きる気力を起こすなら、あそこしかなかった。


 信号以外は立ち止まらずに車のアクセルを踏み、走り続けて。


 それが足尾鉱山。深夜の鉱山はひどく不気味だ。

 その近くの大きな橋のど真ん中で「いっそ死んでやろう」と思った時。


「死ぬんだったら、どうなっても構わないってことだよね」


 赤い目をした黒の青年が声をかけてきた。浅黄色の羽織に袖を通し、無害そうな顔で隣にいる。


 なんでしょう。この人は?


 疑問に思っても、聞く気にもなれない。だって、それすらどうでもいいくらい疲れてるんだもの。きっと死神かもしれない。


 なんだか人の生を感じられず、最期の記念にという軽い気持ちで言葉を交わす。


「そうだなぁ。もういっそ、このまま死んでしまえたら楽ですねぇ」

「そっか……けど、ここで死ぬってことは、古在由直を思ってのことですよね。誠さんのこと調べたら、好きな偉人がそうだし……」

「調べた?」


 たしかに古在由直は僕の憧れだった。会いたいか。

うん、会えるなら会ってみたい。


 彼の言葉に疑問は抱いたが、どうせ死ぬなら関係ないと投げやりでいたいんです。


「なら、死ぬかどうかを決めるのは、古在さんに会えてからにしましょう! 僕の仕事に付き合ってほしいんです!」

「え、あ、ちょっと」


 赤いアマランサスを強引に持たされ、川に落とされてしまった。


 しかし、落とされた先は川ではなく1887年の日本。


 現代の東京大学農学部の前身、駒場農学校の目の前に尻餅をついていたのだった。手にはアマランサスと紙が1枚。


「突然ごめんなさい! 神助け、本当の自分助けだと思って!」と書いてあった。


 もちろん理解できなかったが、目の前に若かりし古在由直が通った時に確信した。


 ――ああ、僕は本当にタイムスリップして来たのだと。


 娯楽の中で見る、憧れの時間遡行。


「古在先生!」


 夢でいいから覚めないでほしい、強く思った。ずっと憧れていた人が目の前にいるのだから。


 僕はこの人に会いに来たのだ。死ぬのは後からでいい。死ぬならあがいてみよう。


 名前を呼んだら振り返ったその人を見て、そう決心した。




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