27恥目 きちんとしっかり恋煩い
これを恋だと言うのなら、悪戯が過ぎませんか。
喫茶店に来て、目の前のアイスクリームに手がつけられない。店内は暖かい。だからアイスクリームもドロドロ溶けていく。 器が汗をかいたら、僕も汗をかく。
中也さんが飲んでいるコーヒー。カップの器が音を立てる度、心臓が足を生やして跳ね上がる。
落ち着け! 心臓は足をしまえ!
それにしてもカップの持ち手を持つ指が色っぽいと思う。語彙力、皆無です。はあ、しんどいしんどい。生唾ごっくんだ。
こんだけ見惚れていれば、当然目が合うわけで。
「食べないの?」
「あー……アイスは飲む派なんですよね! 冷たいと歯に染みるから、溶け待ちです」
「へえ」
まだ溶けきらないアイスクリームを口の中に流し込む。するとわざと、中也さんはこう言う。
「恋煩いかと思った」
「ブ」
白いバニラを口から少し吹き出した。中也さんはそれを見て「ごめんごめん」とからかって笑うのだ。
恋煩い、とは。恋する感情が強いあまり、病にかかったようになることである。
私は恋をした事がない。別に避けていたとかではなくて、平成ではそういう環境にいなかった気がするし、昭和に来てからはそんな事考えすらしなかった。
ああ、息をすることも苦しい。死にそうです。大至急棺桶持ってきて。
しかし、これを「初恋」と言うんですか。恋をしているから、普段はガッツリ開く足も閉じて食事するんですか。恋をしているから、冬なのに暑くて、鼻血が出そうなんですか。
いいや要、いかんよ。これではいかんよ。
恋なのかどうか知りませんが、昭和にいる理由をお忘れではないでしょうか? そうだよ、僕はしゅーさんが死ぬその日まで、遂行者として生きる。現代人ですよ?
そんなことにうつつを抜かしちゃあ、務まるものも務まりませんて。
自分に強く言い聞かせる。
「僕は男なので、男性には恋しません! からかうのはやめてください!」
それでも私、いや僕は男として生きているんだから間違っても“女“を出してはいけない。バレたらこれから先にきっと支障が出るに決まってる。
これからも、同性として良い友人関係を築いていこう。だけど簡単に「そうですか」と引かないのが中也さん。
「なら、風邪かな? 顔が真っ赤だ。ほら冷たい物を食べて熱を覚まさないと。はい、口開けて」
「ちょっ」
下唇に冷たいバニラアイスの乗ったスプーンの先があたった。
これは、俗に言う、「あーん」ですか。料理を食べさせ合うイチャイチャ行為じゃないですか。
失神寸前。棺桶まだ!? 死にますよ、いいんですか!? いやいやいや、まだ死んでたまるか! キュン死回避!
僕はすかさずスプーンを奪うと、これ以上からかわれないようにアイスクリームを全て平らげた。
「ああ残念」とニヤニヤと笑みを浮かべて、残念そうにしているのが憎たらしい。
嘘。何その笑顔、めっちゃかわいい。
「で、今までどこで何をしてたんですか。急に居なくなって」
気を取り直し、中也さんのペースに乗せられないよう、この会わなかった期間をどう過ごしていたか聞いた。
「それって寂しかった、ってこと? ふふ、嬉しいなぁ。要にそう言ってもらえるなんて」
「心配だっただけです!」
「俺も心配したよ。喧嘩して入院してるなんて。左頬はまだ治らないの?」
「これは……喧嘩する前からあるモノです。変な痕が出来ちゃって、見せられるようなものじゃないんですよ」
左頬に貼られたガーゼ。これは初代さんに殴られた時から貼っているものだ。最初は傷口が炎症しないように貼っているだけだった。
その後も治るのにだいぶかかり、貼るのが癖になっていた。
そしてあの事件の日。何かで殴られてしまい、頬骨を折った。プラス、一緒に頬も殴られて深手を負い。痕がくっきり残ってしまったのだ。
おまけに傷は深かったのでアザの上に傷痕という二次災害である。見た目がよくないので隠していた。
「可哀想に。かわいい顔に傷をつけられてしまったんだね」
「かわいいは余計です」
「かわいいよ、要は」
「ち、中也さんは何してたんですか」
危ない。またペースを崩されるところだった。中也さんは「えっとね」と僕の顔をじっと見たまま、質問の返事は返さず、ただそのまま。
「何、してたんですか?」
「暫くは山口に居たよ。司に9月に弟が死ぬって言われたからね。さすが未来人だよ。本当に死にやがった」
「あ……」
「でも、死ぬと知っていたからこそ出来たこともあるさ。後悔はしてない」
もう日が経っているからなのか、あまり悲しい顔はしていなかった。
司はどんな気持ちで中也さんに話をしたのだろう。自分の未来を知られているという不気味さは、現実味はなく、事実となった時に本当だと信じるのだろうか。
中也さんは続けた。
「そこから筆を取ってね。山羊の歌ってのを書いて刊行しようと思ったけど、これもまた司の言うとりダメだったよ」
「中也さんも文章を書いてるんですか! 読ませてください!」
「平成で読まなかったのかい?」
「多分読んでません。ごめんなさい」
僕は記憶のある部分とない部分が器用に切り取られている。
しゅーさんが何を書いたとか、何を刊行したとかそういうことは一切思い出せない。興味がなかったのか、と言われそうだが、きちんと文章に救われた記憶はあるのだ。
だから中也さんのそれも、どちらか定かではない。
「でも、今の中也さんが書いた文章が読みたいんです。今の僕が知っているあなたが紡ぎ出したものを!」
中也さんに迫り、山羊の歌の原稿を見せてほしいと頼み込んだ。
すると次は中也さんが顔を赤くして、照れた表情で「結構いいと思うんだ」と、原稿用紙を出してくれた。
「ありがとうございます!」
受け取るとすぐに読んだ。
山羊の歌――。
フランス象徴詩に影響を受けたと中也さんは言っていた。僕にはそのフランスなんとかがわからなかった。どこか影のある詩に、中也さんの心の中を読んでいるような気分になった。
儚くて、寂しい。こういうのをノスタルジーというんだろうか。
きっとこの作品も世の中に出回って、いろんな人に見てもらえるに違いない。
「僕は好きだな」
中也さんに伝えると、肩の力が抜けたように微笑んでくれた。
「要ならそう言ってくれると思ったよ――うん、大丈夫だ」
本当は何か思い詰めていたのだろうか。
後からこの時の史実通りの中也さんの話を司に聞いた所、本当はこのころ中也さんはノイローゼ気味で幻聴等が酷かったと聞いた。それを司は酷く心配していたようだが、その後も中也さんは大丈夫そうだった。
それから僕らはしゅーさんの事や司の事を話して、気がついたら夜は明けて朝まで話をしていた。しゅーさん以外のことで朝帰り。
初めてだった。帰り際、特にからかわれることもなく別れたと思ったが、家に着いてからそんなことはないと、玄関でまた顔を赤くした。
「また2人きりで会おう」
フラッシュバックする、中也さんの姿。ストーブもどんぶくもいらないくらい熱い。
「2人きりなんて、あぁあ、もうそれって、はあ、本当にデートだよねぇ」
顔はニヤニヤ、羽織袴を着たまま茶の間へ向かった。 手には原稿用紙。結局そのまま貰ってきてしまった。
「遅かったな。アルバイトか」
家には僕1人だと思っていた。酷く驚いた声を出すが、相手は特に動じていないようだ。角机の座布団へ胡座をかいて座り、ちょっと怖い顔で座るヒョロり長い人。
「しゅーさん! 帰ってたのか!」
「なんだ、デートって」
腕を組み、睨みを聞かせた顔は完全に怒っている。
「中也さんとちょっと出かけてて、デザート美味かったなあって、独り言」
「デートってなんだ」
「だからデザー」
「デートってなんだ!」
怒鳴るしゅーさんの声に驚いた僕は、中也さんがくれた「山羊の歌」の原稿用紙を部屋にバラバラと落としてしまった。
それを拾いあげ、少し読んだのか、すごいけんまくで家を飛び出して何かを探しに行った。
「ナカハラァ!」
「しゅーさん!?」
僕も後をすかさず追うと、しゅーさんは走り慣れていないくせに全力で走っていた。
だからバテるのも早い。薬とタバコ、それから酒のせいで若いのに肺がとても悪いからだ。無理をして咳き込むので、背中をさすってやった。
「なんだよ急に! 朝帰りに怒ってんのか?」
「朝帰りなんかどうだっていい! 中原って奴が気にくわない! 会った事もないが、何故か心底むかつくんだよ!」
――1932年、冬。
昭和に来て3度目の冬を迎えました。男と偽っている僕に好きな人が出来、まあなんだって半年ぶりに会う兄弟をブチギレさせ、ますます波乱の予感です。
今年の冬は、暑くなりそうですね。




