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23恥目 偉人、歴史を割る(1)

 神社の鐘の音のような、ガランと大きな音が真夜中にした。驚き、慌てて起きるとそこは何もない。黒く暗いだけの世界。声を出せば消えていくだけの虚無の世界だった。


「なんだ此処は……」


 歩いても歩いても、幾度歩いても何にも辿り着かない。進んでいるのかも定かではない。

 だんだんこの黒さに襲われてしまう気がして焦り、不安になって行く。


「あまくせぇ、あまくせ!」


 いつも後ろから聞こえるはずの下駄の音は聞こえない。すっ飛んで来るはずのアイツは来てくれない。

 こんなところに居たら気が狂いそうだ! 何もない、見えない、聞こえない!

 自分の声は反響せずに闇へと吸い込まれていくだけなのだ。


「助けてくれるって、言ったろう!」


 大声で叫んでも、来ない。俺以外誰もいない。この暗さは純粋な黒とでも言うべきか。混じり気のない深い黒。救われることなどない、地獄より辛い場所な気さえした。

 ずっと此処にいてはいつか飲み込まれる。


 そしてそこに、黄色い視線が2つ現れた。


「ホントにさぁ。助けにならなきゃ困るよ。ダザイセンセ」


 この世界に俺以外の人間の声がする。しかし、よかったと安堵することは出来なかった。


「あまくせ? 違う、誰だ……?」


 線香の匂いと、それから甘く燻んだ匂い。鼻が曇るような匂い。姿は見えないが、声から察するに女だということはわかる。同時に視線を確かに感じた。


 気味が悪くて体がブルルと足先から頭の先にかけて震える。


「誰だろうね?」

「ここは、何処だ……?」


 恐る恐る尋ねると、女は気になる? と含み笑った気がした。


「此処は……あの世とこの世の狭間、かな。死に際に来れる人の――要の心の中、だったりもしたり。あ、なんでとかいう質問はやめてね。面倒だから。自分が一番自覚あるだろうし」


 なんて一方的なんだ。しかし、妙に圧を感じて質問するのもためらわれる。


「今回は助けてあげる。ダザイセンセーの未来は変わるけど、まあもともとセンセ―は未来を知らないんだし、いいよね」


 女がそう言うと、黄色い瞳から涙を流したかと思えば、玉がからんと落ちる。そしてそれが足元でおちると、暗闇で突如黒い荒波が押し寄せて、息をつく間もなく体の自由を奪った。


「悪いことすると怖い目に合うって叩き込んでやんないとね。うちの小学生で達でもわかることなんだけど」

「死にたくない! 怖い、苦しい! 手を伸ばしても掴んでくれないのは何故だ!? なあ、頼むよ――あまくせ、あまくせ!助けてくれ!」


 ――しゅーさん!


 遠くから、あまくせの声がした。


「ほら、弟が呼んでるよ。二度とここに来ないためにも薬はやめな。邪神からの忠告ね」


 やっと来た。助かった。脳に響く、鎌倉で聞いたあの声を頼りに、暗闇に高く高く手を伸ばす。

 どうか、この手を掴んで救い出しておくれ――。


 ――。

 ―――。


「しゅーさん! しゅーさん! 大丈夫か!?」


 体を揺さぶられ、起こされる。

 服は濡れていないし、線香の匂いもしない。

 目の前には五反田の自宅の天井と、ハツコとあまくせ。いつもの光景。


「すごい魘されていたようだけど……要ちゃんなら隣にいるわよ」

「あ、ああ、大丈夫だ」


 心配をしてくれる2人は俺の顔を覗き込んだ。


 酷い寝汗で寝巻きはぐっしょり濡れていたが、着替える気にはなれない。眠っていたのに信じられないくらい疲れている。眠る前に飲んだ薬の空をそっと隠す。

 悪夢の原因はこれか。幸いにも2人にはバレていない。


「なんでもないならいいんだけど」


 あまくせが床に就いたのを横目に、暫くぼうっと天井を眺めた。


 すると、窓にコツンと何か当たる音がした。それは2、3度続き、ハツコは眉間にシワを寄せる。


「また?」

「シンパ活動の工藤達だな。初代さん、外を見てくる。布団被ってて」

「気をつけてね」


 あまくせはハツコに布団を被せた。もし何か言われても、決して返事はしないようにと真剣な顔つきで伝えて。

 そして護身用に買った釘抜きを片手に、あまくせは外へ飛び出して行く。


 ハツコはそれを布団から見送ると、布の隙間からこちらをすぐに見た。


「あなた泣いてるわ。どんな夢を見ていたの?」

「夢、か…・・」


 あれは夢だったのか。肌に感じる冷たさや匂いも全て。


「俺はなんて言ってた?」

「こわい、あまくせぇ、あまくせぇ、たすけてぇ! ってなっさけない声出してたわ」

「あいつは、なんて?」

「要ちゃんは……最初は大丈夫だよって言いながら、肩にくっついてた。眠たそうな顔しながらね。でも、突然苦しいって言いだすから飛び起きてたわ」


 波に飲まれる時だろうか。

 あいつの声が聞こえた時、まるで救助船が来てくれたような安堵が全身を駆け巡った。


 ああ、そうだ。そういえば。あの暗闇は、あまくせの心の中だと言っていた。

 イヤな夢だ。あいつの心の中など、黒より白に決まっている。とくにあいつの白は汚れようにも汚れられない、白だと思っている。


 本当は俺の心の中だったのではないだろうか。


 どっちでもいい。おかげで人生で一番と言っても良いくらい嫌な夢だったからか、動悸や息切れが止まらない。


 あまくせに隠れて買った薬を出た分だけ口の中へ懲りずに放り込み、水を飲んだ。これで少しは落ち着くだろう。1秒でも早く溶けて、効いて欲しい。足りないだろうと思って、もう何粒か飲み込む。悪あがきだ。


「薬、そのうち要ちゃんにバレるわよ」

「ないとやってられないんだ」


 薬中毒の俺が、簡単に辞められたら世の中の誰も苦労しないだろう。

 無いと不安になる。少しでも体が楽になるのならばと、あまくせに隠れて借金をした。借金を重ねてでも、薬と酒だけは辞められなかった。


 ハツコは口で止めるだけなので、都合がいい。消してあまくせやお国に告げ口したりはしない。悪いが、あまくせだけが知らない。


 ここ最近はとくに気持ちが不安定だ。だからあんな夢を見たのかもしれない。


 シンパでつるんだ共産党のヤツらが家まで来て金を求めてやってきたり、どこに行っても気が休まる暇もないくらい追い回された。


 五反田からの引越しも検討した。が、あまくせは、どうせバレたら同じことだと言うのでこのままで居たのだ。


 シンパの人間から受ける指示も次第に恐れに変わっていって、ハツコと2人追われる身になったのだ。それはもう新年からずっと、半年も経つ。


 梅雨の雨音で誤魔化すように奇襲をかけられるのはこれで何度目か。

外から聞こえてくる論争が聞こえぬよう、布団で身を隠して耳を塞いだ。



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