2恥目 1930、縁にしがみつく(1)
状況は最悪だ。最高に最悪だ。
「どこの人だろうねぇ」
私を物珍しそうに見る周囲の視線。物珍しいというより、近づいてはいけない不審者を見る目に近い。
その理由はバカでもわかる。
現代ではファッションとして受け入れられるモダンな服装や和服が入り乱れる街でも、この時代では私の格好はどうも目立ってしまう。
薄手の原色に近い緑色のカーディガン。
それに下ろしたてとわかるワイシャツ、七分丈の黒スキニーとスニーカー。そして背中に大きな黒のリュック。手には花。
この格好では外国人にもなりきれないだろう。瞳も髪も茶色だけど、明らかに日本人の顔。海外の人のものじゃない。
見たことのないものを、じっと見つめる興味の目。周りの反応は演技ではない。万人が演技できるかと言ったら、そうじゃない。
つまりその目は、此処が現世でないことを嫌でも思い知らせてくれるのだった。
ならば馴染む格好を! と思うじゃん?
この時代に来て服を手に入れようにも手段がない。スキニーの後ろポケットに入った財布を取り出しても、福沢諭吉と野口英世が1枚ずつこんにちは。
1930年でこの金を使ってみろ?
すぐに偽札だと騒ぎになって、警察がすっ飛んでくるぞ。金はあるのに価値がない。
つまりこれは紙同然。これもタイムスリップにおいてはよく聞く話だ。諭吉や英世に感謝しないのは今日が初めてだ。
何も分からない1930年の日本を痛んだ足で駆ける理由は勿論、「現代への戻り方」を探すためである。方法に見当はついている。
これも映画やドラマの影響だが、あの川を探して飛び込めばきっと戻れるはずだ。
私があそこにいなければ、川へ突き落として時代を遡らせるなんてできっこなかった。
悪い夢かもしれないが、夢なら夢なりに夢から覚める方法を探してやるのだ。
で、玉川上水はどこでしょうって話でさ。
「あのぉ……すみません、玉川上水ってどこにあるか知ってますか?」
この時代にスマートフォンなんて使えるわけがない。
じろじろ痛い視線を送られながらも勇気を振り絞り、道行く人に川の場所を尋ねる。こっちが丁寧に立ち止まって尋ねているのに、誰1人答えはしない。
全身を見るだけ、見て終わりの見られ損。手がかりゼロ、疲労感100。あぁ、しんどい。
ドタキャンをされた後よりも歩いたし、走ったろう。いつの間にか陽は落ち始めていた。
周りは家路を急いでいる。
私は平成よりも大きく見える、それはそれは絵になる夕日に向かって足を進めるしかない。
スニーカーはさらに汚れ、砂埃のせいですっかり黄色に変わっていた。
「マジでどうしよう」
酷く絶望している。
ポキッと心が折れて、その場に座り込み、顔を伏せた。腹も減ったし、喉も乾いた。休みたいし、頼れる人が欲しい。
けれど、解決するものは1つもございませんでした。
「終わりだ……」
座り込んだせいで、かえって疲れが増した。座ったことを後悔し、けれどもすぐに頭を切り替えた。
落ち込んだりしていても仕方がないと自分に言い聞かせて立ち上がり、また歩く。
下を見て歩いていると、此方が避けなくてもすれ違う人が避けてくれていたのに、どういうことか1人だけぶつかった。
というより、立ち塞がってきた。
勘違いかな。私がよそ見をしていたからか?
怒られるのも嫌だし、目は合わせないでおこう。「すみません」と疲れた声でなるべく申し訳なさそうに言ったが、避けてはくれない。
相手が本気で怒っているのかもしれないと思い、頭を上げて顔を見る。
すると、おかっぱの可愛らしい顔をした少年が、三つ折りになった紙を差し出していた。
「こ、これ落ちました……」
「え……あぁ、どうも」
記憶にない紙を渡され、中は見もせずにカーディガンのポケットに突っ込む。どうせバカ長いレシートか何かだ。
しかし、少年は「その紙は、み、見たほうがいいです!」と恥ずかしそうに体をもじもじさせて言うのである。
「だって、ホ、ホントウは落としてなんかないんですから……」
「は?」
なんで嘘をついた。
嘘を吐いた意味はなんだ。顔を赤くして、照れてる場合か。
決して立ち去ろうとはしないので、さっさと済ませようと仕方がなく見ると「東大に来てください。支援します」と細く綺麗な字で書いてある。
東大というと、東京大学のこと?
日本で一番頭のいい学校。平成にだって縁のない場所が1930年に来てみたら縁がある、なんてことがあるのだろうか?
「渡す相手を間違えてない?」
からかわれているのだと、そう思った。
「いいえ、先生が……あなたって。う、噂になっている変な人、変わった格好だからすぐにわかると言われました。だって、あなた、へ、変だから。せ、先生が荷物を背負った人を探して呼びなさいと。す、すぐに分かりました。だって、その、誰よりも変ですから」
ちょっと、変って何回言った?
オドオドしながら、曇りのないキラキラした目をしやがって。悪意がないのが腹立たしい。そう言いたいが、こっちが申し訳なくて怒れないじゃないか!
「初対面なのに随分と毒を吐くんですね」と嫌味たらしく一言返してみる。
「ああ、すみません! 唾がかかりましたか? 僕、今日はあまり水分もとってないですし……毒と言うほど臭かったんですね……」
毒って――違う、唾ではない。
嘘はつけないタイプなんだろうが素直すぎる。出会って2分くらいで、名前も知らないこの子の悪気のない素直さが、傷ついた心に塩を塗ってくる。
男の子にしては髪が長く、ツヤツヤで、キューティクルが眩しい。その輝きが純粋さをさらに引き立ててしまうから罪深い。
顔は夕陽に照らされているのもあるとはいえ、真っ赤に恥ずかしがっているのがまた可愛らしく見えてくる。
「あ、あのぉ、一緒に来ていただけますか? 先生が帰ってしまいます……」
無慈悲に夕陽が傾いていく。
もうすぐ夜になる。もしかすると、ついて行ったほうがいいのだろう。
「東大の先生」だというのだから一般人よりは信頼できる。根拠は――頭が良さそうだから。それだけです。
今日もこれからも、私の帰る場所はない。誰も頼れないのなら、この縁にしがみついたほうが良いはずだ。




