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12恥目 世話好きと別荘(2)


 食べ終わって一息つくと、藤重は文句を言いながら茶の間に戻って来た。


「まったく、人ん家の台所にのこのこと……」

「後片付けぐらいしなきゃと思ったんだよ! ごめんってば」

「俺は台所に立ち入られるのが嫌いなんじゃ。何か欲しけりゃ俺に言え! 何もしんさんな!」


 台所に一歩踏み入れただけで、こんなに言われるのだ。


 よく母親が、台所は自分の仕事場だから踏み入れられたくないと言っていたが、それに近いのだろうか。


 世話になっておいてなんだが、本当に小言が多い奴だ。中原さんもそれを面白がって、茶々を入れて楽しんでいる。


 僕は、そういえばと気になっていたことを問いかけてみた。


「それはそうと、さっきの古稀庵記っていうのは、何が書いてある本なんだ?」


 僕は「古稀庵」という言葉を初めて聞いた。

 庵というからには建物のことなのだろうが、現代では似た言葉すら耳にしなかった。


「名前の通り、古稀庵のことが書いてある。古稀庵っていうのは、今お前がおる場所のこと、つまりこの家じゃ」


 ちょっと何を言っているのかわからない。

 この建物の本、ということか? 建物の歴史が書いてある、的な?


「ここに来た時、何か見えなかったか? ……って言っても、あまくせさんは空腹で朦朧としていたな」

「お恥ずかしい」


 中原さんの言う通りだ。


 僕はこの家に上がるまで空腹でどうしようもなく、ふらつきながら体を支えられていた。


 だから、何を感じたかと言われても、「風呂も良くて、ご飯が美味かった」としか感想が出てこないわけで。


 ヘラヘラ笑って、誤魔化した。


「なら初めからじゃ! 馬鹿野郎!」


 藤重に袴の襟を強く掴まれ、立たされたかと思うと、下駄もきちんと履けないまま外に連れ出された。

 景色は高速で過ぎ去り、あっという間に門の前だ。


「あまくせさん大変だね、これからが長いぞ」


 中原さんの言うことは、さっぱりわからない。


「回れ右!」


 軍隊の号令のような張りのある声に、体が勝手に反応した。


 振り返ってすぐ目に入ったのは、茅葺き屋根の門。

 素人目にもわかるほど、高級感のある造りだ。


 門に掲げられた額には「古稀庵」の文字。


「……本当に、僕が居た場所か?」

「さっきから言いよるじゃろ。俺の家じゃ!」


 同年代くらいの男が、門構えだけでも豪邸とわかる家に住んでいるだと?


 僕は掛け持ちでアルバイトをして、貯金と先生に渡す金だけでヒィヒィ言っているというのに。


「どうやって建てたんだよ! 金はどうやって稼いだんだ!」


 詰め寄ると、藤重はさっきまでの怒りが嘘のように、悲しげな表情を浮かべた。

 視線を落とした先、彼の手は強く握りしめられている。


「俺が建てたんじゃない。有朋さんが別荘として建てたんじゃ。俺はここを守っちょるだけ。この扁額の文字も、有朋さんのじゃ」

「有朋さん?」

「お前、有朋さんも知らんのか」


 呆れた声だったが、僕はなんとなく察した。

 鎌倉駅で藤重が「対象者は死んだ」と言っていたことを思い出したからだ。


 この悲しい顔は、その人を思い出したからなのだろう。


「山縣有朋。国軍の父と呼ばれた軍人で政治家さ。あまくせさんには馴染みがないか」

「ごめんなさい。政治に疎くて」


 フルネームを聞いても、正直ピンとこなかった。

 藤重はそれ以上何も言わず、門をくぐって中へ入って行った。


「司。あまくせさんは何も知らない未来の人だろう?

 お前が知っている山縣有朋を話してやればいいじゃないか。俺は、お前の話を聞いてから、世間が言うような悪人だとは思わないぞ」


 ――未来の人。


 今さらのように、さっきの会話が脳裏で反芻される。


「まだ話す仲じゃない。けど、どう話そうかは考えちょる。中也さんにだって、しばらくしてから話したじゃろ」


 藤重の声は低く、迷いが混じっていた。


「俺は有朋さんの……どうしたら誤解は解けるんじゃ?

 誤解さえ歴史にしてしまうのか?

 ……結局、何も出来んのかもしれんな」


 僕は後ろで黙って聞くことしか出来なかった。


「俺は庭園の手入れと家のことをやるために留まっているようなもんじゃ。

 歳を取らず、年齢もそのままなことをいいことに、八年をなんとなく過ごしてきた」


 立ち止まった先には、手入れの行き届いた日本庭園が広がっていた。


 後悔の大きさは計り知れないが、亡き人の大切にしたものを守り続けることも、また一つの答えなのかもしれない。


「やっぱり、俺一人じゃ大きいものには敵わないんじゃ」

「一人? あまくせさんが居るだろ? なあ、あまくせさん」


 突然話を振られて、体がびくりと跳ねた。


「そ、そうだよ! 一宿一飯の恩義があるぞ、藤重!」


 わざとはしゃいで敬礼してみせる。


 藤重は腕を組み、照れたように睨んできた。


「お前、ええのか。対象者がおるんじゃろ。

 勝手に泊まる気満々じゃが、帰った方がええんじゃないか」

「あー……それが、その……」


 帰れと言われても、帰れない。腹を括った。


「金がないから帰れない。だから、金貸して?」


 手を合わせて、ウィンク。


「男のウィンクなんて気色悪いわ!

 ほんま図々しい! しっかり働け、馬鹿野郎!」


 怒鳴られたが、金は貸さないとは言われなかった。


 過去に影を抱えながらも、根は優しい男だ。

 藤重司との縁は、きっとこれからの僕の支えになる。



 そして同日、その頃の東京では――。


「ええっと……あの、要さん、をですか?」

「修治が世話になったと聞きまして。訪ねて参りました」


 飴屋に、訛りの強い男が二人、僕を訪ねて来ていた。


「か、要さんは、まだ帰って来ていません……」

 

 吉次は明らかに動揺していた。


「申し遅れました。私、修治の兄の津島文治と申します」

「鎌倉で要さんにお会いしました、中畑です」


 ――しゅーさんの親族が、上京して来ていた。


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