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11恥目 腹が減っても戦は続く(2)


「ダメだ! 帰んなきゃ!」


 自分が示す道を行くだけ。いつだって自分が自分の背中を押してくれる。


 考えてもわからないなら直感で動くしかないんだ。

 今の自分にだって出来るはずだ。大丈夫、行ける。東京まで、頑張れる。


 少しずつ進めばいいんだから、休みながらでもかまわない。


 人間、空腹で死ぬなんてそうそうないんだ。

 それに昨日ご飯を食べているじゃないか。あの時のように、何日も食べられなかったわけじゃない。


 思い出した嫌な記憶は「甘ったれんな!」と、昔の自分が背中を押してくれているに違いない。


 そうだ。残された手段は過酷だってなんだって、無いわけじゃないんだから。


 汚い服でがむしゃらにやって、それでも“恥ずかしい”って言われるなら、それだっていいんだと思う。


 腹が減っても、割と戦は出来る。


 とりあえず鎌倉駅まで歩いてみよう。そしてまた休む。目標を決めて少しずつ進もう。


「よし! イケる!」


 僕は気合を入れるように頬を両手で二回叩いた。

 それから力強く右足で踏み出し、左足で地面を蹴る。


「東京に着いたら、しゅーさんにうな重を請求してやるからな!」


 鎌倉まで助けに来たお礼なんて言ったら恩着せがましいが、高くて美味い食べ物を要求するという野望を企てれば、なお一層、足は動いてくれるんだ。


 それから、永遠にも感じる距離を歩いて鎌倉駅に着いた。


 さすが鎌倉。人はそれなりにいる。どうやらこの汚い袴でも、それほど悪目立ちはしていないようだ。ちょっと臭うけど、それも味ってことで。


 もちろん汽車になんて乗る金はないので、鎌倉駅のベンチに腰を下ろして足を揉むだけ。下を向いて、疲れた足を揉んだり叩いたり。


 足が軽くなっていくのを感じた時には、両隣はいつの間にか別の人間に変わっていた。


 一瞬顔を見る。左隣の男はやけに距離が近い。なんかヤだなあ。


「奇遇だね、あまくせさん。何してるの?」

「金がないから東京まで歩いているんだ……ん?」


 あまくせさん。


 そう呼ぶのは帝大の学生ぐらい。飛び跳ねるように隣を見ると、いつもノートを買いに来る男子学生の一人がそこにいた。


 話さない方の美形の学生だ。なんか、急に、胸が……熱い!


「て、帝大のノートの人!」

「うーん、帝大の学生じゃないけどなぁ。うん、ノートの人だね」


 この人、帝大生じゃなかったのか。僕はマヌケな疑問形の「え」をしつこく繰り返す。学生は驚きすぎだよ、と笑んだ。


「こんなところまで津島修治探しかな。困った奴だね。帝大生の友人からよく聞いているよ」


 気を使うように静かな声で言うが、言い方は悪戯っぽく聞こえた。


 気のせいか?


「あのよく喋る奴か……でも、帝大生じゃないって、なら、どこの学生なんですか? あと、何故ここに?」

「さあね。どこかの学生さ。ここにいるのは、小田原の友人との待ち合わせ。もう時期来るよ」

「友人……」


 よく話さない方のどこぞの学生は、待ち合わせをしていたのか。

 それっきり会話は途切れた。なんだか気まずい。


 いや、友人が来るなら僕はさっさと居なくなったほうがいいんだよ。


 でもこの頭、嫌なことを考えている。


 もう一度言うが、僕は東京に帰りたい。東京に帰りたいが、金がない。金がないから、歩いて行こうとしている。


 しかし、だ。

 何の縁なのか、名前は知らない学生と久々にばったり遠方で出会ってしまった。


 決して知らない人じゃない。


 これは逃してはいけないチャンスなのでは? ああ、なんて卑しい!

 何を考えているんだと自分を止めようにも、それしかないんだもの。


 恥ずかしいから、言いたかないけど!


「あのぉ……折り入ってお願いが、ありましてぇ」

「なんだい?」


 大変言いにくいことで、口も、足もゴモゴモしていないと心がもたない。つまりそれは、ええと。


 ――金を貸して欲しい。


 これだ。これにてクズの極まれり。

 さっきまで東京へ歩いて帰るなんて考えていたくせにコレだ。昔の自分が呆れる。


 だってさあ! 思った以上に足が辛いんだ! 下駄が足裏にぶつかるたびに涙がちょちょぎれる。それに、座ってみたら思った以上に腹が減っている!

 グウとか、キュウとか。お腹に小さめの小動物か何か住んでますよね!


 意思が弱くて申し訳ないけど、是非とも知り合いという希望に縋りたい。もう土下座でもなんでもするので、とにかく金を貸して欲しい。絶対返す、必ず返すから貸して欲しい。


 しかしこの熱意、やっぱりそう簡単に伝えられやしない。

 ギリギリだが、クズになりたくない自分がプライドを守ってくれている。だがクズの自分も弱くない。むしろ強い。どうしてこうも人間は楽な方に流れてしまうのか。


「あまくせさん?」


 お願いがあると言いながら、黙ってしまった僕に声を掛けてくれる。声から察するに心配してくれているんだろうか。


 ああ葛藤! そうこうしているうちに、友人が来てしまうじゃないか!


 勢いで言ってしまえ、僕! はい決めた! 言います!

 覚悟を決めたときには、大体ときすでに遅しだ。


「あのぉ、ですね!」

「おう、待ったか」

「少しな」


 決意を固めれば駅の外から、その友人とやらは来てしまった。


 長身で、しっかりとした体つき。黒髪にキリッとした目の青年。現代にいそうな顔つきだけど……。


 袴は体に合ってるし、この時代の人っぽそうな。


「ん?」


 その袴の胸元にチラリと、ツルのような植物が見えている。植物を持ち歩いているのか。何のために?


 これは、まさか、このツルは――。


「そちらさんは?」


 青年が僕に声を掛けた。


「えっ、あっ、あ、あ」


 彼は吃る僕を鋭い目で睨むように見ている。僕の汚い心を見抜いているような目だ。


 学生は「ああ」と言った後、「あまくせさんだよ。名前は……聞いてなかったな」と続けた。


「お、生出要です」


 名前を名乗ると、青年はあからさまに嫌な顔。


「随分汚い袴じゃのぉ。本当に《《中也さん》》の知り合いか?」

「あまくせさんは苦労人さ。司は思ったことをすぐ口に出すなよ」

「フン。男のくせに女みたいじゃな。付き合いは選ぶべきじゃ」


 青年は失礼なことばかり言って笑うが、気になることを言っていた。このどこかの学生のことを「中也さん」と呼んだのだ。


 中也さん。袴から見え隠れするツル。


 もしも、だ。中也さんというのが、僕の知ってる中也さんだったとしたら、この青年は仲間なのではないだろうか。


「あんた、名前は! どこの人!?」


 青年の袴をがっしり鷲掴んで、名前を問う。しかし近づくとすぐ、鼻をつまんで僕を突き離した。


「お前臭うで! 寄りんさんな! 俺は藤重司! ふじしげ、しんじじゃ! いやぁ、磯臭いで!」


 青年は藤重司ふじしげしんじと名乗った。あまくせと呼ばれているが故に、本当に臭くなってしまったようだ。


 んなことはどうでもいい。そして次は学生に確認する。


「あの! 名前! もしかして苗字は中原さんですか!?」


 僕の知っている中也は、中原中也しかいない。


 ノートの人? バカ言え、多分この人は国語の教科書に載っていた人だ。

 間違いない。もしこの青年が持つツルに花言葉があるならば、対象者は中原中也。


 僕や先生と同様に突き落とされた現代の人間に違いない!


「ああ、そうさ。言っていたっけ?」


 学生、いや、中原中也は首を傾げていた。ビンゴだ。つうか、太宰の記憶がないのに中原中也の記憶はあんのかい!


「あの、藤重さん。もしかして川とかどこかに突き落とされた人?」


 尋ねてすぐに藤重司が僕に飛びかかって来て、派手に押し倒されたかと思いきや、胸ぐらを掴まれる。


「おい! お前! もしかして!」


 彼は面白いくらい目を見開く。


 やっぱりそうなのか。袴にツルなんて、意識的に持ち歩かなければそこにあるわけがないのだ。


 藤重に僕はまた聞いた。しかし、中原中也には聞こえないように小声でのやり取りだ。


「僕の対象者は太宰治、あんたの対象者はあの人か?」

「お前も先の人間か……!」

「おい、僕の質問に答えろよ!」


 藤重は首を横に小さく二回振った。


 明らかに偉人がそこにいるのに、対象者は中原中也じゃない。


 じゃあ、誰だ?


「俺の対象者は」


 藤重は驚いた顔から一転、目に涙を浮かべる。なんで泣くんだよ、と言いかけると彼は言う。


「もう、死んだんじゃ」


 確かに現代から来た彼と、花言葉を持つ植物がある。


 しかし、藤重司の対象者は、もう居ない。



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