11恥目 腹が減っても戦は続く(1)
「やべぇ、やべぇよ」
今回の事件についてのすべてが終わり、僕は一人で鎌倉をふらついていた。
しゅーさんは迎えに来たお姉さんの自動車で東京に帰って行った。
東京まで乗せていくと言われたけれど、自転車を思い出して慌てたんだよね。
呑気に送ってもらうなんて、そんな場合じゃないんだよ。
無くしたんだよ。自転車。終わり!
本気でヤバいでしょ。
あんぱんも買わず、店に帰らず、連絡も遅れ、あげくに自転車まで無くせばクビは間違いないよ。顔が青くなる。
お金を貯めなくて良くなったのだから、クビでも良いじゃないかと思うでしょう?
これからの生活がある。
先生のところから、いつかは出て行かなきゃいけないし。
金を稼ぐことができなくなり、また就活しなくてはいけないことを考えると、疲労の溜まった体だろうと走れてしまう。
ここ数日走りっぱなしだった足は、鉛のように重たい。だが、自転車を見つけなければクビは必至。
今の僕には宿もない。海の中に入ってから、落としたのか金もない。知り合いもない。しゅーさん達は帰って行った。東京に帰る術は徒歩のみ。
心身ともに、すでに限界に近い。腹が減って動けなくなってきているんだから。揚げ物、炭水化物、ジャンキーな食事が恋しい。
ふかふかの布団に入って休みたいよ。腰は何度も休みたがるしさぁ。
さあ、どうする。僕、どうする。
何も考えていないわけではない。案が一つある。病院に戻り電話を借りて、先生に迎えに来てもらおうか。そうして今日中に帰る。そうすれば布団に入れる。ご飯にもありつける。
名案! 考えるだけでヨダレが出るじゃないか! 天才かよ!
最悪ね、自転車は弁償しよう。そうしよう。貯めた金で買おうじゃないか!
もう100円が無くたって、きっとしゅーさんは今回で話をしてくれるようになったんだしさ。
「そうしよう」
独り言を言いながら、希望を想像する。が、体が軽くなったわけではない。また一歩踏み出すと、疲れが体にのしかかり我に返る。
あと少し、がんばれ!
――が。うまくいかないのが、人生。
「なんでだよぉ!」
ダメだった。病院は電話を貸してはくれなかった。理由はわからないが、とにかく貸してくれなかった。汚い叫び声を出せば、すぐに締め出される。
きっと子供だからとか、そんなくだらない理由だろう。実年齢は22歳なのに。ばあか!
しゅーさんが入院していた時に電話が使えたのは、中畑さんが病院に伝えてくれたからだったんだ。
結局、残された体力で走るしかない。下駄をガランガラン言わせながら、鎌倉をがむしゃらに走り続ける。ついでに自転車も探す。やっぱり見当たらない。
あと少し走れば、鎌倉駅が見えるはずだ。ええい、この勢いで東京まで走ってしまえ! 無賃乗車万歳! 金は後で払いますって頭を下げよう!
「屑にだろうけど、かまうもんか!」
言葉とは裏腹に、涙が出ている。
口の中にしょっぱい水滴が入り込んでくる。汚い話だが、このしょっぱさすらいいと思えた。視界が揺らぐと、線が切れたように足の力も尽きて、体はゴロンと地面に転がった。
起き上がろうにも体力が無いので、もう立ち上がれない。
ぎゅう。
「お腹空いた……」
虚しく鳴く、腹の虫。
これが自分以外の誰かのために走っていたなら、もっと走れたんだろうか。
しゅーさんのためなら走れたのだろうか。そんなの、その時じゃなきゃわからない。僕はもう動けない。鎌倉駅はきっと近くなのに。限界だ。
空腹と疲労がピーク。目を閉じた。ここで死んでも納得できる。
諦めた途端、ずいぶん昔のことを夢を見るように思い出す。
もしかして走馬灯的なものなのか。もうなんだっていい。楽になりたい、休みたい。
――。
――――。
『母さぁん。お腹空いたよ』
その古い蔵は暗かった。隙間風が強風だと感じられるくらいおんぼろで、ネズミだって当たり前にいる。
埃っぽくて、カビ臭くて、不衛生。人が長時間居られる場所ではないということは、幼い子供でもわかるくらいに汚かった。
そんな蔵の中から、ドンドンと扉を叩く子供が一人いて。
それが僕。悪戯でもして叱られたんだったろうか。たぶん、お仕置きに小屋で反省しろと入れられたに違いない。
そうでなければ、こんな蔵には入れられるはずがないんだから。
もし他に理由があるとしたら、なんだろうか。幼い子が空腹に喘いで、親を呼ぶ理由は。
力無い声で泣けもせず、ただ弱々しく扉を叩きながら、そばにいて欲しい人を呼ぶ。
寂しくて寂しくて、ご飯がほしくて、お風呂に入りたくて、ただ人間らしい生活がしたいだけだったのに。
求めたら誰もが怖い顔をして、毎日、悪いことをしなくても頬を叩かれた。
おかげで常に左頬が赤くて、泣くたびに手当されては“誰か”にガーゼを当てられていたもんだ。
ああでも、結局《《その人も僕を嫌った》》んだっけ。
決して悪いことをしたわけじゃないのに「恥知らず」なんて言われたりして。
不幸ではないのに、周りと比べるとなんだか普通じゃない。
皆口を揃えて「あの人の子じゃあね」と、母さんや他の兄弟ではない人のことを悪く言う。その人は誰だっけ。
忘れてはいけない人の名前と記憶は、走馬灯の中でも思い出させてくれやしない。私が一番求めた人の名前、顔、声――どれも忘れてしまった。
何が誰のせいで“恥ずかしい”のかな。
こんな私に出来ることはなんだろう。幼い頭は考えた。汚い小屋で考えた。答えは出せる、決して疑わなかった。だけど、シンデレラのようにネズミ達は味方になってはくれない。
それでも裏切らないで、いつも、行くべき道を教えてくれる人がいるのだ。それは大人になっても変わらない。
変わらないから、私は、僕はまた――。




