10恥目 生きる責任(3)
「……ここ、じゃない、か」
「え」
しゅーさんは岬の方を指差している。
それこそ、心中現場だ。
確かに……ここは探していない。
でも大丈夫だろうか。しゅーさんに行く勇気はあるんだろうか。
今度こそ過呼吸になって、具合が悪くなってしまったら?
心中現場に行けるかと口には出せず、しゅーさんを見つめた。
「……」
こくんと、頷く。
しゅーさんは殴られる準備をしている。
手を引いて、足場の悪い岬を進む。
岩場に出ると、やけに細い人影が箱を抱いて泣いている。
それは田部さんだった。
「田部さん、探しましたよ」
「うぅ、うぅあ……」
声をかけると、なお一層泣き出した。
しゅーさんは視界に入っているんだろうが、責めることも、殴りにかかって来ることもない。
「しゅーさん、言わなきゃ」
「……」
「ちゃんと言わなきゃ、ダメ」
「……」
怯える子供みたいに背中にべったりくっつく彼を、肘で突いた。
ごめんなさいでは済まないことでも、言わなきゃいけないことがある。
それを、しゅーさんはまだ口にしていない。
何度も躊躇っていたが、しゅーさんは、徐々に泣く声が大きくなる田部さんを見て、たまらなくなったんだろう。
岩場に膝をついて、頭を下げた。
「すいません、でした。殴ってください」
しゅーさんが一言。
しかし田部さんは――「いいえ」と、身体を横に振る。
すいませんでした。ごめんなさい。
しゅーさんが何度それを言っても、田部さんは同じようにした。それで何度目だったか。
田部さんは、シメ子さんが亡くなった場所にうずくまり、叫び出したのだ。
「僕が、僕が駄目でした! 僕が駄目だったのです。ごめんなさい、ごめんなさい! シメ子、悪かった、すまなかった、ごめんよ」
――シメ子さんへの懺悔だ。
幾度叫んでも、骨になった彼女からの返事はない。
僕らは、それを見ていることしか出来なかった。
この場所にも警察や中畑さんらが駆けつけて、田部さんは病院へと連れて行かれた。
僕としゅーさんは、あまりにも綺麗な水平線に浮かぶ夕日に照らされる。
「これでよかったのか」
「わかんない……だけど……」
しゅーさんもまた、岩場に座ったまま、静かに泣いている。
「頑張ったね」
田部さんが何故、ああ言っていたのかはわからない。
史実ではどうだったかもわからないが、しゅーさんが田部さんに謝った。
もちろん、罪が軽くなるとは思っていない。
それだけだったとしても、今は、しゅーさんを褒めていいんじゃないだろうか。
だから僕は、彼に手を差し伸べたのだ。
「疲れたろ。一緒に休もう」
「……」
しゅーさんは無言で僕の手を握り、立ち上がった。
大きい手なのに、小さく感じる手を引く帰り道。
彼は小さい子供みたいに、ぐずぐずと鼻をすすりながら泣いていた。
*
次の日。
朝早く病院を退院し、しゅーさんは警察から取り調べを受けていた。
そこには、田部さんも同席していた。
しゅーさんの自殺の理由は、やっぱり金が回らなくなったことからだった。
シメ子さんが勤めていたカフェに通ったが、いろいろと出費があって、溜まっていたツケの支払いができなくなったんだ。
溜まったツケは、シメ子さんがお店に支払わなければならなくなり、もともと金に困っていた彼女も、同じくどん底にいたというわけだ。
彼女の自殺の動機は推測でしかなかったが、田部さんは自分のせいですと言うばかり。
田部さんはもともと役者を目指して東京に来たという。が、役者にはなかなかなれず、就職も出来ず、所持金も無くなって、ついに神経衰弱になってしまったようだ。
それで、妻であるシメ子さんが生活費のためにカフェで働き始めた。
田部さんはきっと、自分が役者になれず、就職先も決まらず、彼女に苦労をさせなければ、こんなことがなかったと思っているんだろう。
しかし、シメ子さんが最期に叫んだ名前が田部さんだったと、しゅーさんが伝えると、涙の理由が変わる。
もう渡す場所がない愛が、どばっと涙になって溢れたらしい。
中畑さんが、この後のことはまとめてくれた。
刑事さんに立会人になってもらって、田部さんとは今後一切無関係という念書と、津軽のお兄さんから預かってきた金を出して、終わりにしたようだった。
どうであれ、これで自殺幇助の疑いはなくなったのだ。無実を金で買った。
気分はよくないけど、それは僕の感情の話。
当人たちがよければいいんだよな。
さて、これで一件落着といったように見えるが、終わってはいない。
罪で問われることがなくなったとしても、シメ子さんが亡くなった責任は、少なからずしゅーさんにもある。
そんな彼を、僕はずっと留置所の外で待っていた。
すると、しゅーさんはトボトボと僕の方に、下を向きながら歩いて来る。
僕より十歩くらい離れた所で立ち止まり、顔を上げて「あまくせ」と暗い顔で呼んだ。
「ん?」と首を傾げて返す。
「次は、どうしたらいい?」
「次って?」
「お前は未来から来たんだろう。なら俺は次、どうしたらいいんだ」
「あー……信じてくれちゃうんだ」
しゅーさんにとっての未来。
僕はこの先の出来事を思い出せない。まだ必要ではないから、思い出せないんだろうか。
しかし一つだけ、シメ子さん関連で成さなければならないことはわかる。
「シメ子さんを忘れない、ことだなぁ」
人は死んだ時に死ぬのではない。死んで、忘れられたら死んでしまうのだ。
どこかで誰かが言っていた言葉だ。忘れなければ、生きている。
そんな生きている人のための、まやかしでも、今はそれくらいがベストだろう。
「忘れない……か」
漠然とした答えに空を見上げて、どうやって、と言いたげにしている。
「しゅーさんには、そんなに難しいことじゃないさ。忘れないようにする方法を知ってるだろ?」
「毎日思う、とかか? そのくらいしかないね」
言葉と記憶で忘れないようにして生きていく。それも大切だ。
しかし津島修治という男は、のちの「太宰治」――すなわち、文豪と呼ばれる人間になる男である。
「しゅーさんは文章があるだろ。君の文章は、人を救える」
僕がシメ子さんを知っているのは、太宰治がそれを文章にして書き残したからだ。
それが、彼女の生きた証を残す証明になっている。
しゅーさんは「ああ」と言って、顔に皺を作って笑った。
何度間違えても、僕は君の味方だから。
太宰治を救うのが僕の使命なら、全うしてみせるさ。
不思議だね。
現代に帰ることよりも、この人を守っていたいと思えるんだもん。
この人の笑顔のために過去を進んでいくなら、悪くない。
味方というのは、笑顔を守る人のことなんだ。




