1恥目 三鷹で見たかった景色(2)
「本気で離してください! 警察に電話しますよ!」
声が荒くなる。
それでも離そうとはしない。柵に背負うリュックのチャック部分が当たる度にカンカンと音がする。大きく体を左右に振っているからだ。
死にたいのかを執拗に聞いてくるのが、とにかく気味が悪い。同性でも同年代でも、この人が怖い!
人じゃないものと話してるみたいで、怖い!
「おぉ、怒ってんね。でも、その怒りはアタシに向けるだけのモンじゃないでしょ?
全部嫌だから、ここに来たんだろ?」
「は……? 意味わかんないです! 私はただ迷って此処に着いただけ!」
と言ったら、女性は「いや?」と被せて来た。
「ここに来るの、迷ってないでしょ。ちゃんと意思を持って来た。友達にドタキャンされて、何かねぇかなって期待してここに来たんでしょ」
「そんなのなにも!」
ちゃんと迷った。ナビがあてにならなくて、ここに来れなくてムカついて――
アレ? なら、ここは、玉川上水――?
「そりゃこれるだろうさ。ここは、アンタにとって特別な場所だから。神にはお見通し」
今さっき初めて会った人に、過去1時間程の出来事を把握されている。
もしかしてストーカーなのか? これは立派な恐怖だ。ゾゾゾと鳥肌が立つ。確かにドタキャンを超える大きな出来事を望んだ。
だけど、こういうのじゃない!
望んでいた展開はホントにコレジャナイ。犯罪臭のする出来事は望んでいない。誰だってそうでしょ!
「あー、アタシに嘘ついても無駄だよ? 全部知ってるからね。時間ないから早く認めてくれる? 次に進めないんだけど」
この女の人頭おかしい。絶対なんか、白い粉とかやってる。
関わっちゃいけない人だ!
靴擦れした足の痛みなんて、と構い無しに走り出していた。歩き疲れた重たい両足を交互に出して、川沿いを全力で走る。
「助けてください! 誰か!」
絶対に振り返らない。前だけ見て走るのだ。
しかし、走れど走れど人なんて1人も居ない。まるでこの街に私しか居ないような静けさだ。
もしかして、これは夢なの? 電車の中でいつの間にか眠っていて、ひどい悪夢を見ているのだろうか?
「はぁっ! ゔええっ!」
走り過ぎて気持ち悪い。けれど現実は残酷だ。夢でアレ。でも夢じゃない。この息苦しさは絶対に――。
「夢じゃないのかなぁ!?」
「夢じゃないよ?」
「ダッー! びっくりしたぁ!」
一直線の道、突然現れたのはあの女性。
スイッチで電気を点けたように、パッとどこからともなく現れたのだ。
それに――どういうこと?
辺りを見渡すと、走り出した場所に戻って来ているじゃないか。もしかして同じところをぐるぐると回っていたのか?
勘違いだとまた走る。
そして、振り返ると絶対にあの川の上にかかる橋の柵がある。走っても走っても、同じ場所だけを周っている。
なるほど、意味不明!
「走って満足した? 残念だけどなぁ、夢じゃないんだよ。かといって死んだ後でもない。さて、同じ場所がぐーるぐる。ここは、どこでしょう……? なんて聞いてもわかんないよな」
「み、三鷹市でしょう! 新手のドッキリなのか!?」
最近は素人にドッキリを仕掛けるテレビ番組があるくらいだ。
ほら、ここ東京だし?
きっとどこかにテレビカメラがあるのだろう。そうだと思って草木の中に手を突っ込んでカメラを探すが、溶けるようにすり抜けてしまう。
まるでファンタジー。女性は柵の上に腰掛けて、パーカーのマフポケットに手を入れて話だす。
「今の状況を無理に理解しようとしなくていいよ。どうせわかんないだろうし。これが神のみぞ知る……ってヤツよ」
「神のみって……まるであなたが神様みたいな言い方ですね」
「うん。だってアタシは神だもん。今んとこは邪神だけど」
「痛々しい発言!」
「嘘だと思うならいいよ? 神である証明は出来るけど、あんま時間ないんだよ」
まぁ見ててよと、私の肩を掴む。
「生出要さん。アンタには今からちょっと昔に行ってもらうね。で、アタシ達のために考え方を改めてきて」
ちょっと昔に行ってもらう?
随分頭の悪い発言だ。思わず鼻で笑っちゃったもん。
あまりにアホくさいので、話だけは黙って聞いてあげてようか。
神と名乗る女性は、ムッとする。そして人差し指を私のこめかみにうりうりと押し付けて、声を荒あげた。
「全てが嫌で玉川上水に来たんだろうが! そのリュックの中に死ぬのが好きが沢山詰まってんの、知ってんだかんね!?」
「そんなの入ってない!」
「入ってんの! それが何か思い出せないのはアタシのせい。アンタの大事な記憶も、忘れたいことも、アタシが忘れさせてんの! そのほうが生き易いからね。あ、でも心配しなくて大丈夫! 意識が変われば元に戻すし、自力でも戻れるから」
何もない掌から、人参の葉に似た青紫色で可愛らしい花を手品のように咲かせて見せた。それを私の胸に抱かせる。
「これはね、ムラサキケマン。花言葉は喜び、それから、あなたの助けになる。アンタに必要なこと。でも解釈は好きにして」
そのまま笑みを浮かべながら柵に背中を押し付けられると、体の触れる部分が溶けてしまう。
もちろん支えがなくなるのだから、体は川に落ちていく。
「過去に戻って自分を知っておいで。自分が死にたい理由ときちんも向き合うの。そうしたら、戻って来た時には――」
何も、わからない。
抵抗しても無意味。されるがままに、打撲か、もしくは「死」を受け入れなければならない。
ムラサキケマンを抱きながら、眩しい太陽の光に目が眩む。
「”要”でいられるように」
――最後の声は、男の人のものだった。
どこかで聞いたことのあるような。
しかし、誰の影も見えないまま、体は降下していく――。
*
「痛……くないな」
死を覚悟したはずだった。
賑わう街の真ん中で尻餅をついている。目に入る街並みは見慣れず、教科書で見たような古さも感じてしまう。三鷹市とは明らかに違う、見知らぬ街だった。
古いのにちょい現代的というか、昔と今の境にいる気分だ。なんて現実味のない景色。
左を向くと、掲示板のような木板に「娘売買相談・人探し」と書いた紙が沢山貼られている。
首を右に向ければ、モダンガールにモダンボーイ、というのだろうか。洋装と和装の人々が混じって道を歩いている。
パニックも超えると声が出なくなるらしい。口をポカンと開け、ムラサキケマンを握り締めた手は強張って開かない。
あの女性を探してキョロキョロ見渡しても見当たらないし、歩けど歩けど、落ちたはず川は場所はない。
たくさん歩き続けて見つけた川は、玉川上水とは違う水の多い川だった。
これじゃない。帰れない。どこなの?
どうしてよいか判らず、とにかく人の多い道を選んで歩いた。暫く歩くと学生らしき若者が多い街に着いた。
建物から推測するに、此処は古さと新しさが混ざり合う都会の成りかけなのだ。
「本当にさぁ、何処だよ、ここ……」
道行く人に珍しそうに見られながら、道に落ちていたボロボロの新聞紙を拾い上げる。
「1930年、4月……?」
1930年4月。新聞には確かにそう書いてある。何度見てもそう書いてある。ああそうか。理解はしないが理解した。
――過去に戻って自分を知っておいで。自分が死にたい理由ときちんも向き合うの。
あの人の声が、頭に響く。揶揄われているとは思えない。本気だったんだ。本当の神様だった?
世の中には普通に生きていれば信じられないようなことが、時々起きたりするのだろうか。
常人には嘘だと笑われてしまうようなことが、平気で誰かの身に降りかかってしまうのだろうか。
私の名前は生出要。
今年で22歳になります。
信じられないと思いますが、信じてください。
私はえらく神経の通った夢で、1930年に突き落とされてしまったようです。




