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9恥目 金で買う絶望(2)

「こんなもん、いらねぇよ!」


 渡された金を床に叩きつけた。金はふわふわ舞いながら下に落ちていく。


 音も立てずに、虚しく、床に。しゅーさんも中畑さんも警察官も驚いている。


「どうして金を渡されるんだ! 1人死んだのに、死んだ原因の家族から、ありがとうって金を渡されて何が嬉しい! なんの金だよ! 今は違うだろ! 亡くなったシメ子さんのことを考えろ!」


 もう止まらなかった。言いたい放題言ってやる。

 

 気づいたらしゅーさんの胸ぐらを掴んで、鈍い音を立てて一発、頬を殴っていた。もみくちゃさ。


 彼は痛がって顔をあげない。泣いたって無駄だ。


「痛いだろ! なあ! シメ子さんも、いっぱいいっぱい、苦しかったんだよ! 本当にあんたと死にたかったのか! 本当にあんたを想って死んだか!?」

「落ち着きなさい!」


 警察官に取り押さえられてもお構いなしに吠えた。狭い病室に反響する声が虚しく飛び交っている。どれだけ吠えたって、今が変わることはないのに。


 散々喚いて、息を切らす。

 部屋がしんとなると、警察は僕の体から手を解いた。


「……では、私らは火葬に行きます」


 警察官の1人が言う。


「僕も行く!」

「あんたも憔悴しとるんじゃろ。ここで待ってろ」


 部屋から、警察官と中畑さんが出て行った。僕はしゅーさんと2人にされた。あんなに怒り狂ってどうしようもなかったのに、散らばった金を見て急に冷静になってしまう。


 一瞬カッとなって周りのこともお構いなしに暴走してしまうのは、この時代に来てから。


 現代ではこんなことしなかったさ。理由はわからない。熱くなって、恥ずかしくなって、ばら撒いた金を拾い上げてごまかすしかない。


 すると、後ろで布団が捲れる音がした。


 それは頬を押さえたしゅーさん。そんな彼を見ては「やりすぎた」と少し後悔した。殴り返されるなら、それは受けるつもりでいる。


 ――もし本当に、シメ子さんとしゅーさんが好き同士で心中しようと決めていたら。

 僕はお門違いなことを言ってしまったことになるし。


 相手に旦那がいようとも、感情の制御が利かないなんてあるあるだ。


 何か理由があって一緒に死のうとなっていたなら……謝った方がいいのか、謝らなくていいのか。

 そうしたら、僕の「ごめんなさい」なんて、謝罪にもならない気がする。


 あたふた、あたふた。山の天気より変わりやすい感情が気持ち悪い。


「……俺の名前じゃなかった」

「何?」


 ボソボソと何か言った。聞き取れず、聞き返す。


「最後に言った名前」

「名前?」

「お前が聞いたんだろう。本当にあんたを想って死んだかって」


 確かに言った。答えてくれるのか?


「なら、誰の名前だったの……?」

「多分、旦那の名前」

「……なんで心中したんだよ。気の迷いで?」

「……」


 都合の悪いことなのか、理由を聞くとすぐに黙った。なんだろう。


 この人が言いにくいこと。少し考えると、今回はパッと思い出すことが出来た。


 必要な時に必要な分だけ、しゅーさんに関する記憶を思い出す。僕は『道化の華』をしっかり読んでいたんだ。


 心中した理由は金に困っていたんだ。2人とも。


「カフェへの支払いが出来なくなった。違う?」


 丸椅子を起こして座り、記憶の通りにしゅーさんに聞いた。

 彼は僕を見たまま何も言わず、黙ったまま。ああ、図星なんだと、話を続ける。


「カフェはさ、溜まったツケはシメ子さんが払わなきゃいけない仕組みで、彼女も支払えなくて困ってたんじゃないか? どうしようもないから、一緒に死のうとしたんだろ。だから最後に旦那さんの名前を呼んだんだ。支払いさえ出来ていたら、死なずに済んだんだから」

「……気味が悪い。なぜそこまで知っているんだ。まるで、ずっと見られていた気分だ!」


 全部図星。だから気味が悪い。僕から逃げようとして病室を出ようとする。


 死ぬ時よりも震え上がって、全て暴かれる前に消えようと逃げる。

 扉の前で彼の腰にしがみ付いた。

 それを振り払おうとするから、揉み合いになる。


「逃げんなよ!」

「どうして知っているんだ! お前は!」

「だから、未来から来たって言ってんだろ!」

「ならこの後俺はどうなる! 捕まって刑務所行きか! 殺人罪で捕まるのか!」


 えっと、どうだったっけ。

 肝心な時に思い出せない! 本当に役に立たない頭だ。


「それは……わかんない、けど……」


 わかんねぇよ! 嘘も下手だし、どうしろと!


「ほらな。答えられない。なら今言ったままになるんだ!」


 定かじゃない。今できるのは、僕の中にある正義感を貫くことだけだ。

 それがしゅーさんのためになるはずだから。


「もし、殺人罪を犯したと思うなら、逃げたら本当に罪人になるんじゃない?」


 挑発的に腕を組む。そして知っているような態度を取った。


「やってしまったことはなかったことに出来ない。しゅーさん自身が怖いと思うことに立ち向かわなきゃ、ずっと怖いものに追いかけられるままだ。シメ子さんのことは変えられない。責任もある。その覚悟があったから、薬だって死なない程度に飲んだんだろ?」


 起きたことからは逃げられない。


 それを理解したしゅーさんは大人しくなった。やっぱり「死なせてしまった」ことには、確実に胸を痛めている。


 心が痛いから、狸寝入りをした。死のうとした、逃げようとした。


「なら、どうしたらいいんだ」


 僕が来なかったら、金で解決していただろう。


 でもそれで、この人の心は救われない。

 あの調子だと、中畑さんや家族がうまく取り繕ってこのことを有耶無耶にするだろう。


 それでいいんだろうか。助けるって、そういうことだろうか。


 金で解決してしまったら、それこそ辛いままにならないか?


「ちゃんと向き合って、ちゃんと傷付こう」

「それは嫌だ!」


 傷つきたくない、それは誰だってそうだ。責任なんか背負いたくないんだから。


「わがまま言うな!」


 ほら、僕が怒鳴るとビクッと体が跳ね上がる。


「人を死なせてしまったんだ。それは受けなきゃいけない痛みだよ」


 しゅーさんは睫毛を伏せた。あなたは生きることを知らない。


 常に絶望の隣にいる人。

 幸せを信じないくせに希望を探しているような人。シメ子さんもそれを嗅ぎ取っていたのかもしれない。


 もしかしたら可哀想だと思って、心中に付き合ってしまったのかもしれない。


 しゅーさんがなんだか寂しい人に見えるのだ。この人の欲しいものはなんだろう。僕は彼の背中にそっと右手を添え、撫でた。


「僕は金がないけれど、痛みを半分引き受けることなら出来る。このことを知っていたのに救えなかった。なら僕も同罪じゃないかな。それに、ほら。僕が助けるって言ったろ」

「嘘だ!」


 彼は差し伸べる手を必要以上に拒む。


「そうだよね、そうだ。嘘に聞こえるだろう。でもなあ、しゅーさん。僕は本気であなたを助けたいんだ」

「いいや、信用出来ないね」


 僕が怖いかい。いいや、全部が怖い、そうでしょう。


 信用なんて今すぐ得られるものじゃない。怒って、支えて、一緒に居てあげる。


 そうやって、信頼を積んでいくしかないんだ。


「でも、僕は……遅くなったけど、しゅーさんを助けに、鎌倉まで来たよ」


 しゅーさんは少し目を大きく開いた。この人はお金持ちの世間知らずだから、きっと人一倍、痛みに弱い。


 弱いから立ち向かう術さえ知らない。僕がこの人を「恵まれたダメ人間」だと思うのは、そういうところだったのか。


 自分で向き合わなきゃいけない問題から、うまく逃げようとする。


 それを周りの人間が気付かぬうちに支援する。金でなんとかしようとしてもらう。

 ドラマや映画で見るようによくある、簡単だけど贅沢で悲しい話だ。


「“人の心を疑うのは、もっとも恥ずべき悪徳”だよ。すぐに信じなくて良い。君を助けることが嘘じゃないって、時間が掛かってもちゃんと証明する。どんな意味でも、助けるよ」


 口から出た台詞は、僕の言葉だったっけか。

 しゅーさんは鼻で笑ったが、その場を離れずにいた。


 呆れたのかと思ったけれど、少し間をおいて一言、「お前、海くさいなぁ」と小さく笑った。


 海水に濡れて、おまけに2日くらい取り替えていない服だ。

 金をばら撒く前までの僕なら、笑うなんて不謹慎だ! と怒鳴ったかもしれない。


 けれど今は、しゅーさんが僅かでも僕に責任をくれたんじゃないかと思うだけで、よかったと思えた。

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