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7恥目 迷うな、道化の花(2)

 ――それから季節はあっという間に移り変わった。

 ちらちらと雪舞う季節が間近に迫る。


 9月には浅間山が噴火して、東京にまで灰が降り大騒ぎになった。


 まさか昭和に来て初めての降灰に遭うとは思わなかったが、先生だけは不謹慎にもテンションが上がってたや。


 この噴火に関わらず、毎日の新聞を見ては、学生時代に習った歴史を思い返す。時々、その先を知っている事件を見てしまうと心苦しくなってしまう。


 まるで人の人生を決めつけているようで。


 それでも日常を過ごしても、しゅーさんには相変わらず会えていない。

 

 100円を貯めることがどれだけ大変か。思い知らされているんだ。

 今は48円溜まっている。半分もいっていないなんて。毎日数えても、増えるの微々たる金額。


 はあとため息をついていたら、あっという間に11月ですよ。時の流れ早すぎ。


 帝大近くのこの店の前を大学生達は、冬支度と共に試験だと忙しそうに通って行く。

 黙っていてもノートや鉛筆は売れていくし、僕の顔を知っている人は試験の愚痴を言いに来たりもした。


 こんな事、現代じゃなかった。

 どんな話でも僕はしっかり聞いて、笑ってくれるまで付き合った。


「もうすぐ試験だっていうのに、津島は来ないよ。あ、ノートを頂戴」

「また、シンパってやつ?」


 お金とノートを引き換えながら、今日も情報収集だ。


「さあなぁ。飲み屋にいるという話は聞いたが。しかし、あまくせさんも会ってないのか」

「うん。見かけてもないね」


 例のよく話すスピーカー学生を含めた男子学生達が、買い物に来るたびに情報をくれるようになった。

 しかし、最近は試験だからとさっさと帰って行ってしまう。


 生きてるならいいんだけどさ。しゅーさんが心配だ。


 せっかく東大に入学したのに、それでいいのか? 人生が学歴じゃないのはわかっている。それでもよ? 退学することになったりしては、そこでつまずいてしまうんじゃないだろうか。


 助けに来たなら、まずはそこから正すべき?

 ――とは言っても、学校に通ってもらうにはどうしたらいいんだろう。


 頭を悩ませても、怒涛の「あまくせ」返しで撒かれて、と安易に想像できてしまう。


「要、ちょっと用事を頼みたい」

「なんだよ。便所の手伝いか?」

「バカ。買い物だ」


 店先で悩んでいると、店長が声をかけて来た。腰が悪いから大抵は便所だ。


 しかし今回は買い物だと言う。

 普段は無理してでも自分で行くクセに、今日はニコニコと機嫌が良さそうだ。


「買い物? 何を、どこに?」

「あんぱんを銀座に。娘夫婦には話をしてある。明日1日休みをやるから買って来てくれ。どうしても食いたいんだ、あんぱん」

「いいけど……腰大丈夫かよ。1日1人になるんだぞ? 店のこと出来んの?」

「それは! ぼ、僕が、お手伝いします!」


 爺さんと僕の会話に、聞き慣れた恥ずかしがり屋さんの声。


 店の前に学生服を着た少年が「ただいまです」と笑う。

 学校帰りの吉次だ。


「吉次! おかえり……って、その、店のこと、出来んのか!?」


 吉次は恥ずかしがり屋で、人前に立つと泣き出してしまうような男の子だ。


 しかし、変人だとわかっている奴にはナチュラルに毒を吐ける才能を持っている。

 極端すぎる吉次に、店長の世話と店番、初対面の人間と会話が出来るんだろうか?


「心配するな、顔見知りだ。お前んトコの先生が朝早く来て、急に古在って人と用事が出来たから預かってくれってよ。お前も吉次も、今日は泊まりだ」

「先生から一言も聞いてねぇ……よ?」

「か、要さんとは、最近、お話しできてませんから。僕らが、帰ってきたら寝てましたし、起きる前にお仕事へ行っちゃいましたから……」

「確かにそうだな」


 先生と吉次とは生活が完全にすれ違っていた。だから吉次とは久々に話す。

 しかし、飴屋に泊まるなんて今初めて聞いたけど、吉次はとても嬉しそうだ。


「要さんにも、息抜きは必要です! だから、あの、僕なんかでも、お手伝いしたら、お、お役に立てますか?」


 吉次もこう言っている。爺さんも「心配すんな」と、あんぱん欲しさにそう言っている。


「まぁ、吉次なら大丈夫か」

「はい! ぼ、僕なりにしっかり、やらせて頂きます!」


 力強い返事を信じる事にした。


 吉次だって成長したいのだ。大人になりたい、そうなんだろう。それなら、あんぱんのついでに久々の休暇をのんびり楽しむ事にしよう。


「あ、あの……だから、僕もあんぱん……を」


 モジモジと恥ずかしそうにあんぱんを強請る。やっぱり吉次は子供だ。


 *


 翌日、店長から渡された金と風呂敷、それからなんとなく中身の無い小説一冊を持ち、自転車で銀座に向かった。


 店長はバス賃なんかをくれると言ったが、銀座だけではなく、いろんな所を見て回りたかったので自転車を選んだ。


 僕の知っている東京は駅と駅が近すぎる迷路のような大都会だけど、昭和は違う。


 コンビニや高いビルは無い。


 ペダルを漕ぐたびにギシギシと音を鳴らす錆びた自転車を走らせる。

 うろちょろしていると、太陽は西に傾き始めている。

 やっぱりバス賃をもらえばよかったと後悔したが、迷う事もまた旅だ。


 さて、そろそろあんぱん買わないと。

 銀座はどっちだ? あっちか、こっちか?

 角を曲がって、道をまっすぐ、ここが銀座か? 


 なんか全部違う気がする。えぇ……? 絶対違う。


「――銀座? あらやだ、あなた迷ったのね」

「えっ、じゃあここは?」

「品川」

「品川」


 通りかかったご夫人に声をかけてみた。

 そうしたら銀座の「ギ」の字もあっちゃいない。だから思わず繰り返す。夫人はクスッと笑った。


「そう、品川。嘘じゃないわよ。ヒモくれるから気をつけてね」

「あ、ありがとうございます……」


 ご婦人はここを品川だと言う。


 僕の出身は宮城県女川町。


 いくら情報技術が発達した現代に生まれたからと言っても、東京の地理はちんぷんかんぷんだ。


 つまり品川と言われてもピンと来ていない。この方向音痴と計画性のなさ。毎度の事だが、そろそろ学習してほしい。

 どこからどう来たか道を忘れちゃった……やば。


 これはまずい、非常にまずい。

 あんぱんの買い物は謝って許してもらおう。自腹を切って出直そう!


 吉次達には申し訳ないけど、こればっかりは勘弁してほしい。

 僕が方向音痴なの忘れてたんだもん!


「か、帰ろう! 帰ろう!」


 焦りすぎて笑ってしまう。

 しかし胸はドキドキ、バクバク。気が気でない。とりあえず自転車を来た方向へ向き直し、立ち漕ぎでタイヤを転がした。


 しばらく漕げば、海が見えて来た。


「……やだな」


 思わず、一言。

 僕は港町の出身だが、あいにく海は苦手だ。一度、命を落としかけたからだ。

 助かったけれど、あの日、あの瞬間の事はきっと永遠に忘れないし、忘れられない。

 

 海は冷たい。広くて、深くて、恐ろしい。


 しょっぱい、辛い、暗い、最期に還る場所。そんな場所を自らの命を断つ場所として選ぶ奴がいるのを、僕はとても信じられない。


 海で死のうとする奴なんか――。


「海……」


 また、だ。こめかみが痛んだ。


 そしてまた、あの花を意識した。


 海の事を考えたら、ムラサキケマンが気になって仕方がない。絶対に何かある。


 海としゅーさんが、確実に何かで繋がっている。

 すると頭の中で、古い新聞記事と小説の一部だと思われる文章が鮮明に浮かんでくるのだ。


【鎌倉で心中を図る 女は遂に絶命 修治氏も目下重態】

【その前夜、袂ヶ浦で心中があった】


 妙な胸騒ぎがして、袴の中にしまっておいた真っ白な小説を開く。


「道化の華」


 真っさらなページに文字が書き込まれている。


 頭の中に、今までなかったこの話に関する知識が急に入り込んで来た。思い出した、ああそう! そうだ、道化の華には心中描写がある。


 葉蔵と園という男女が、鎌倉市袂ヶ浦に身を投げて心中するのだ。


 道化の華の作者は太宰治。つまりしゅーさんが書いた作品だ。


 なぜ、今この作品をきちんと読まずとも内容がわかるのか。

 なぜ、僕は大嫌いな海の記憶と海での自殺志願者の事を考えたのか。

 

 今日、僕が銀座に買い物を頼まれて道に迷ったのはきっと意味がある。

 海が見える場所に来たのだって、偶然じゃない。きっとそうだ。先生が言っていた。


『――花がそうさせたと思えばいいんですよ。僕だってありましたよ。大事な時に急に意識させる』


 ムラサキケマンを意識したのはそういう事なのだ。心中、海、修治と書かれた新聞、鎌倉。そうか、そういうことなのか。


「すいません! 鎌倉ってどっちですか!?」


 また、道行く人に尋ねる。


 案内を受けたその人に示された指のさす方へ、自転車を走らせる。

 道は悪いが、構ってはいられない。


「おい! 鎌倉まで自転車で行くのかい! 君子供だろう!」

「迷ってられないんだ!」


 僕は迷ってちゃいけない。


 しゅーさんを助けに行かなきゃいけないんだ。どれだけ遠くても、この足と気持ちが止まる事は絶対に許さない。


 待って、まだ早まらないで。ダメだ。いけない。間違えてはいけない。


 貴方に生きていてもらえなければ!

 

 高ぶった感情に自転車のスピードが追いつけないほどであった。

 気持ちと漕ぐ力が上手く合わず、ペダルから何度も足が離れてしまう。

 

 それでも叫ばずにはいられない。


「しゅーさんの、助けになるから! 待ってて!」


 ギシギシ、ギシギシ。


 自転車の軋む音は、僕の気持ちを焦らすばかりだった。



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