これだから私の相棒は!
「……本当に、マッサージ、なんだな?」
「そうだ。誤解させるようなこと言って悪かった」
ああもう。顔が、熱い。
さっきの自分の発言は……なんて恥ずかしい勘違いだったんだ。
あんな失態を犯してまだそう日も経ってないというのに……よくよく考えればヴィクトールがそんな不純なことに手を染める訳がないと、すぐ気づけたはず。
二度目だ。二度目の大誤解。しかも前回のハーレム発言より遥かに質が悪い。
前回は「女を連れている」という視覚的な事実があったが、今回に至っては会話の断片だけで勝手に妄想を膨らませて──ああもう、思い出すだけで自分を殴りたい。
そして真実は──ただのマッサージ。体のマッサージ。それだけ。
……いやそれでもだいぶ際どい気がするが。
男と女が? 装備も薄いまま、体の触り合いに揉み合い?
なんとか飲み込んだ私は偉いと思うぞ。私が潔癖なだけか?
「離せよヴィク! オレ何もしてねェだろ!」
「悪い、悪いんだが……もう少しだけ頼む、リュト」
「チッ……」
すぐさま「ヴィクトール! 取り押さえろ!」と言えたのは良かった。おかげですぐにヴィクトールはリュトの両手を拘束してくれたが……本人はずっと申し訳なさそうな顔で掴んだまま。
そんな、「どうすればいい?」なんて目で訴えられても。肝心の指示を出すべき私がこの有様なんだが。
というか、ヴィクトールはリュトほどの怪力でも抑え込めるのか。強すぎないか。
……ああ、穴があったら入りたい。
「……シュヴァ、もう放してやっていいか? 心苦しいんだが」
「テメェ。相手がヴィクだから許してやってんだぜ。覚悟はできてんのか」
「やめてくれ、リュト」
「チッ……」
そして、ヴィクトールがリュトと知り合いであることは規定事項、だと。
もう最悪それはいい。正直かなり複雑だが、今の状況を想えば、背に腹は代えられない。
私があらぬ誤解をしたことは認めるが、それでも彼女を無罪放免として見逃すのはできない相談だ。
なんてったってリュト。
ここで放したら、この女は間違いなく逃げる。前回がそうだった。
ここでリュトと別れてしまっては、次にいつ会えるか分からない。この女の行動範囲は予測がつかないし、行動も速い。今日を逃せば、それこそこの大馬鹿者を数年単位で機会を失うかもしれない。
世界に魔王が復活しようとしている今、使命を放棄したシエルを野放しにしておいていい訳がない。説得の機会は一回でも多く確保すべきだ。
しかし、ヴィクトールとの約束も──先延ばしにはしたくない。
このまま拘束し続ける訳にもいかないのは事実だ。
往来のど真ん中で、彼が若い女の両手と襟首を鷲掴みにしている。そんな図は……どこからどう見てもただの暴漢。彼の名誉に関わる。
「シュヴァ」
「……なんだ、ヴィクトール」
「予約の時間も近いし──三人で飯でも食いながら話すのはどうだ。何かあったのは分かる、リュトも一緒に仲直りしないか」
……それは。
あの約束を、この場に合わせて変えるという提案か。
二人きりの食事ではなくなる。せっかくの、数年ぶりの、ちゃんとした再会の場が。
よりにもよって、この女は。どうしてこんなタイミングで。
こんなのが自分自身だっていうのか。
「……ヴィクトールがそれでもいいなら、構わないが」
「ありがとう。リュトはどうだ、飯奢るぞ」
「……ヴィクが言うなら仕方ねェけど。一回だけだからな」
……奢られるだけで折れるのか、この女は。
いや、ヴィクトールの言葉が出た途端に態度が軟化した方に引っかかるべきか。
なんにせよ。
予定とはだいぶ違う形になってしまったが──これはこれで、必要な時間なのかもしれない。
ヴィクトールとの話も、リュトへの説得も、どちらも先送りにはできないのだから。
さっきの大声を聞いていたであろう通行人たちの視線が、まだ背中に突き刺さっている気が。
……ああ止めだ。もう考えないでおこう。
*
……やっと個室に通された。
もうとにかく視線が痛かった。ただでさえ知名度があるのだから本当に恥ずかしかった。
ここならもう誰にも見られないだろうし、ようやく落ち着ける。
「で、さっそくオレからの文句なんだが」
……本当にさっそくだな。
まぁいい。なにを言い訳するつもりなのか……。
「オレは勇者シエル教の大仕事を終えたはずだぜ。今更拘束しようって理由はねェだろ」
……ん?
「えっシュヴァまでそうだったのか?」
……ん?
勇者シエル教?
大仕事?
何を言い出すんだこの女は。
気でも狂ったか。
「……は?」
「(察せ、合わせろ)」
「え、あ、うん」
……なんだその目は。
何をこんな状況で急に。「信者」なんて意味の分からない単語を持ち出して……。
「というか、なんだその集まり。俺も興味あるんだが」
「素人は黙ってな、ヴィク」
「そんな……」
……待て。
ヴィクトールが、いるんだった。
そうか。隠語か。
ヴィクトールの前で「勇者シエルの生まれ変わり」なんて口にできる訳がない。だからリュトは「シエルのファン」という体裁で、自分の立場を語ろうとしていると。
今まさにそれに乗らないといけないのか。
勇者の威厳を保つために口調を作ることはあっても、嘘の設定に乗っかるなんて。
しかも「信者」って。私がいつシエルの「信者」に。私は本人……いやもういい、考えるな。
「……まぁ、そう、だな。昔からの、その……筋金入りだ」
「そうだったのか、シュヴァ……だからリュトとも知り合いで……」
苦しい。あまりにも苦しい。
だが、ヴィクトールは何故か一人で納得してくれている。
あの素直さに救われるのは何度目だろう。今回ばかりはその純粋さが痛いのだが。
とにかくセーフだったらしい。
こんな綱渡り、二度とやりたくないぞ。
「で、だ。本来のオレの仕事はもう済んだだろ。自分のやるべきことはやった。なのに今更『まだ付き合え』なんて道理が通ると思ってんのか」
……仕事。
そうか、魔王討伐のことか。
勇者シエルとしての使命。あの死に物狂いの日々。それを「終えた」と。
確かに、前世の我々は魔王を倒した。命を賭して、世界を救った。
だからリュトは「もう義務は果たした」と主張している。自由に生きる権利があると。
確かに、前世の僕は一度使命を全うした。
だが。
「いや、私もそう思っていたが……まだあの仕事は終わっていない」
「あ?」
「実際には解決すら、していなかったんだ。例の問題そのものが──今、再燃している」
「……マジか?」
……あんまり、動じていないな。
表情は動いていない。腕を組んだ姿勢も崩れていないが……いやでも、この女、気づいたか。
向こうからこの体で話を振って来たんだ。リュトは馬鹿じゃない。隠語が隠語であると分かっている以上、「再燃」の意味も一発で読み取ったはずだ。
「事実だ。エスクリ達にも聞けばいい」
「他の皆まで信者だったのか……俺は一人だけ……」
さっきの声に混ざった動揺は隠しきれていないぞ、リュト。
顔色だって僅かに青い……当然だな。いくら使命を放棄したと言い張っても、あの恐怖だけは身体が覚えているはずだ。
一々ショックを受けているヴィクトールも可愛い。
いやそうじゃなくて。
「だから、お前の力が必要だと言っているんだ。まだ仕事は終わっていない」
「……冗談じゃねェぞ。あんな想いは二度とゴメンだ。オレはあの日々、嫌な思い出しかねェってのに」
……知ったことか。
世界が滅びかけている時に「嫌な思い出だから嫌だ」で通ると思っているのか。
それでも使命は使命だろう。やらなきゃいけないことから目を背けて、自由だなんて──
「二人共」
……っ。
……ヴィクトール。
「口を挟んで悪いが。リュトは解放感が、シュヴァは責任感が強すぎるきらいがある。その……問題? とやらも、それで対立しているんじゃないか」
「それは……そうだろうな、多分」
「まァ、図星だな」
「じゃあ、一度本題は置いておいて、相手の気持ちを考えてみてくれ。二人の要求はどちらも至極真っ当なもののはずだろう」
……相手の気持ちを考えろ、と。
真っ当な要求。リュトの「もう自由でいたい」が──真っ当?
「……」
「……」
……いや、待て。
リュトは、「嫌な思い出」と言ったな。
あの日々のことを、ただ「嫌」と。苦痛と。
怒りではなく、拒絶。あれは──ただの怠惰じゃない可能性があるのか?
私にもあの記憶はある。
一日中訓練に次ぐ訓練。自分の時間なんて欠片もない。
ただその頃の記憶を全部覚えている訳じゃないし、その時の辛い過去は使命感で乗り越えていた気がする。
ならもし──その使命感を受け継げなかったら。
私よりずっとあの日々を濃密に受け継いでいれば。
あの記憶だけが、支えも意味も無くただ苦痛として残っていたら。
「まァ、そうか。それも……そうか」
……この女は、そういうことなのか。
あの抑圧の記憶を、勇者としての誇りで包み込めなかった方の「僕」。
使命感というストッパーが外れた状態で、あの苦痛だけを生々しく背負い続けている。
だから使命を嫌う。束縛を嫌う。命令を嫌う。自由に固執する──あの全てが、ただの怠慢じゃなくて。
それは……不憫だな。
私ですら辛かったあの記憶を、もっと鮮烈かつ大量に──もっと苦しい形で抱えているのだろう。
それを全部「使命だから耐えろ」と押し付けていた自分は……確かに、抵抗されてもおかしく、なかったのかもしれない。
「……リュト」
「……なんだよ」
「……お前の、背負っているものは。私が思っていたより重かったのか」
……だからといって、私は自分の意思を撤回する気はない。
世界の危機は事実なんだ。感情論では覆せない。
勇者に自由は許されないのは事実だし、この女は相変わらず嫌いだ。
ただ配慮を──言い方を、考えるべきだった。
「オレの、自由は……あの仕事が終わったご褒美だと、思ってた」
「それは……」
「だって、そうだろ。オレは、一度片付けたから、だから自由でもいいだろって、大義名分を得た気でいたんだ」
……褒美、か。
あの地獄を耐え抜いた対価として、今度こそ好きに生きる権利を手に入れたのだと。
だから旅に出た。だから束縛を嫌う。それがこの女の「自由」の正体か。
「だから、もしそれがまだ終わってねェってんなら……ちょっとだけ、手ェ貸してやっても、いい」
「……本当か?」
「嘘つくかよ……はァ」
そんな大きく息を吐かなくても。
ただリュトも逆に、私の事情が分かったのか。
目が合った訳じゃないし、色眼鏡の奥は読めない。
けれど──何かが通じた気がする。
さっきまでの殺気立った空気がほんの少しだけ、マシになった気がするのは……都合のいい思い込みだろうか。
「本当に、本当に仕方ねェ。次の街へ行くまでだ。その間だけ──テメェらの使命に付き合ってやる」
「……ありがとう、リュト」
期間限定。次の街まで。
首輪が嫌だからせめて紐の長さだけは自分で決めるという、この女なりの精一杯の譲歩だろう。
……まぁ、十分だ。
正直かなり不満だが、この女から「イエス」の三文字を引き出すのに、前回は大喧嘩の末に逃げられたんだから。そこから思えば、相当な進歩だ。
「礼なんざいらねェよ。恩に着られるのが一番ゾワッとすんだ」
「素直じゃないな」
私も人のことは言えないが。
「じゃあ──これで仲直りってことでいいか? 飯が冷めそうだ」
「……ああ、そうだな。冷める前に食べよう」
「おう。奢りなんだろ? 遠慮なくいくぜ」
リュトはもう少し遠慮というものを覚えた方がいいと思うが。
……まぁいい。ここまでの苦労を思えば、多少は仕方ないと割り切れる。
もしヴィクトールがいなかったら、今頃まだ睨み合っていたか、もう一度掴み合いになっていたかもしれない。
おかげで二人きりの食事が、そうではなくなってしまったが。
よりにもよって一番苦手な相手が一人増えた三人の食卓に変わってしまったが。
それだけは本当に後悔しているし、おかげでこの女のことは本当に嫌いだが。
未だにそのスタンスを認めたくはないし、まるでいい印象は抱けないが。
……でも。
ヴィクトールが笑っていて、向かいにはもう食事に夢中になっている奴がいて。
想定していたよりは、悪くない光景なのかもしれない。
口には出さないぞ。
*
「あー美味かった! マジで良い店だったな!」
「そうだな。楽しんでくれてよかった」
「そう、だな……」
……終わってしまったな。
いや、実りのある食事ではあった。
リュトとも一応の決着がついたし、ヴィクトールとも久しぶりにまともな会話ができた。三人で食べる飯も、認めたくはないが悪くなかった。
それでも、本来の約束とは、違ってしまった。
二人きりで、ゆっくり、積もる話をして。そういう時間になるはずだったのに。よりにもよってこの女のせいで。
……もう何度目だ、この後悔。
「シュヴァ、これ」
「……ん?」
え、なんだこれ。
小さい。掌に収まるぐらいの……金属の、円盤か? 見た目の割にずしっと来るな。
中には……針? 一本? しかも変に震えていて……え、なんだこれ。
……方位磁針か? 船とかについている。
いや、それにしては小さすぎるな。こんな手持ちサイズなんて……見たことがないぞ。
それに普通の磁針じゃない。針の動きが滑らかすぎるし、そもそもこの素材……何か魔力が通っていないか。微弱だが確かに、針そのものに術式が組み込まれているような。
「……これ、よく手に入ったな」
「たまたま市場で見つけたんだ。役に立つと思ったから」
たまたま、か。こんな希少品? 「たまたま」?
あの性別の件で迷惑をかけた埋め合わせ……ということか。
だが……。
「その……すまない。使い方が、分からない」
恥ずかしいが事実だ。普通の方位磁針なら見れば分かるが、これは魔道具で、知っているものと大きさが違いすぎる。
針がくるくる動き回ってるし……手の上で動かさないといけないから妙に安定しない。これはどう、どういう方向を向けば、どうなるんだ? 間違った方向を向いてしまっては元も子もないぞ?
せっかくの贈り物にぐちぐち文句を言ってしまって申し訳ないが……。
「ああ、難しいよな。慣れるまで俺が教えよう」
……なん、だと。
え、それって。「慣れるまで」ってことは、つまり。
それまでは一緒にいる……ってことだよな。すぐに別れるつもりなら、わざわざそんな言い方はしない。
これは──これからも、一緒に旅を続けるという彼の意思表示じゃないか。
違うか? 私の思い過ごしか?
いや、ヴィクトールは無意味なことを言わない男だ。意味のないリップサービスをする器用さも持ち合わせていない。なら、あの言葉は額面通りに受け取っていい。
え、えー?
そんな。そんなー?
「で、実は予備の店も考えてたんだ。甘いものなんだが、行かないか?」
……は。
「いやな。今日は久しぶりの再会を祝う日だろう。絶対に失敗する訳にはいかないから、な」
つまり、今日の食事がダメだった場合に備えて、もう一軒用意していた……と?
私との、今日の日のために?
……っ。
だめだ。胸の奥が、どうしようもなく熱いんだが。
「……行く。行くに決まっているだろう」
彼は、ずっと変わっていなかった。
使命に一直線ではあるけれど、私のことをしっかり気にしてくれる。
気配りも出来て、人のことをよく見てくれて、良いリーダーのまま。
今日だって、私のことを大事にしたいという気持ちを、隠しも無い。
重圧を背負えど、私が背中を預け、互いに認め合った彼の姿そのままだった。
君は本当に私の……いや、僕の──永遠の、相棒だ!
「(で、オレのマッサージは?)」
「(別日じゃダメか)」
「聞こえているぞ二人共」
……私の気持ちに鈍感なところも変わってはいなかったが。
あとリュトは、私の純粋な友情に水を差さないでもらえるか。
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