エピソード20 山脈
TIPS
この時期は鍋が美味しい
その日は騒動だった。
〝塵討ち〟レイルの言葉は世界を揺らした。
あと十日。
十日で世界の命運は分けられてしまう。
あの日より、レイルの兄クチェカ・カハナヌイは飯が喉を通らない日々が続いた。もし弟が死ねばきっと自分はとても悲しむし、母や妹、そして父なんて言うのはきっと有り得ないほど悲しむ。「お前は家族に愛されているんだ」と、どの口で言えばいいのか分からないから、手紙の一枚だって書けやしない。筆の一つも持てやしない。
母リゴレ・カハナヌイは表向き笑ってはいたけれど、それでも内心気が気でない。息子の面倒臭いカスみたいな性格も、それでも拭いきれない善性への信頼も全部あるから、「頑張れ」とも言い難い。レイル・カハナヌイという男はカハナヌイ家の男という要素を煮詰めて凝縮したような人間だから、「頑張れ」と言われたら、死ぬまで頑張り続けてしまう。
妹ルチュー・カハナヌイもまた同じだった。きょうだいの中で、あるいは村の中で一番信頼している男がこれから過去の遺物と殺し合いをするのだから、きっとそれで死ぬことも視野に入れないといけないはずなのに、それでもやっぱり嫌だった。死んでほしくないし、でもきっと兄が死にたがっているということもわかっているから、「死なないで」とも言い難く、毎晩部屋の隅で「だいじょうぶ」と曖昧な言葉で自分を慰めるしか無かった。
父ラフ・カハナヌイは息子とよく似ていた。若い頃の自分もたいがい泣き虫で、すぐに問題に首を突っ込むからいつも大怪我をして死にかけていて、それでも支えてくれる人がいたから立ち直って、親から牧場を引き継いで。でも、にていないところもあった。ラフに比べ、レイルは自分のことをあまり好いていないように見えた。
シン・U・リーはただ待つことにしていた。待って、あのバカタレが死にでもしたら葬式でデスメタルでも歌ってやろうと。
「勇者くん」
「…………ん?」
山の前、クレエルがレイルを呼び止めた。
「シューくんのところの偉い人が頼みに来たよ。魔王と戦うところを放送するってさ。エンタメに振り切るつもりかって思ったけど……遠くにいる君のご家族がさ、君の戦いを見られないってのはやっぱりダメだと思って、何かどう駄目かは言えないけど、なんというか、その……」
レイルは足を止めて、少し後ろを歩いていたクレエル向き直った。
「俺のかっこいいファイナルファイトを見た全世界の美女が俺にこぞって駆け込んでくるかも」
「…………」
「そうしたら君、俺の隣にいる暇なんてなくなるぜ」
「なんでフラレてるの、僕。この期に及んで」
「ハハ……。なあ君、俺の事どう思う?」
「なんだい、藪から棒に。なんて言えば正解なの」
「俺は昔から人に好かれていたり嫌われていたりがわからないんだ。つまり、人の心の機微というのかな、そういうものを認識する能力が人より劣っていて、好いてくれていると思っていた相手に実は嫌われていたり、逆に嫌っていると思って距離を置いていた人には好かれていた……なんてことがよくあって、それで、人のことを理解しようと努めてみたこともあったけど、どうしても理解できなくて。たまにつらくなるんだ」
「そういうの気にするタイプだったんだね、意外と」
強く風が吹く。山の気候。
「……俺は……あまり自分が好きじゃないんだ。いつもね、夢を見るんだ。泥の中に沈んでいる夢で、俺のすぐ目の前には大きな姿見があって、そこには汚い自分の姿が映ってて、俺はそれを殴り続けるんだ。でも殴る度に鏡の中の俺は汚くなっていって、だからなおのこと俺は俺を嫌いになるんだ」
「君が自分のこと嫌いなの、知ってるよ。いまさら言われなくたってさ。そういつのってすぐわかっちゃうんだよね、そういうもんだから。でもそういう君だから僕は支えたいと思ったし、そばにいたいって思ったよ。兄弟でも友人でもマネージャーでも良いから、そばにいて支えたいって思ったんだ」
「…………」
「ちなみにこのやりとりは放送されているけどどう思う?」
「そういう事をなんで言わねぇんだ馬鹿野郎」
「気づいてると思うだろ、水晶浮いてんだから」
レイルの瞳が黒く染まっている。
自分を救えなかった人間だから、黒く染まる。
「たぶん俺、戦ってるときおかしくなるけど、よろしくな」
「いつもおかしいでしょ、頭」
「この野郎……」




