表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4


 布団が体に見事フィットし始め、まだまだ寝足りないというころに目覚まし時計が鳴った。ジリジリと鳴るのは小型の時計で、どうも携帯のアラーム機能では起きられないから近場の店の百均で買ったのだ。金属音はあまりに温かみも人間味もなくて、いかにも人を叩き起こすために作られたようで、かえって起きやすいのだ。

 今田庄司が布団からむくりと起き上がり、なにか胸のあたりに違和感を覚えた。中に着ていたシャツでも盛大にくるまったのか、胸のあたりが膨らんでいる。服の下からそれを整えようと右手を差し込んで、シャツが上がって固まっていることではないと気づいた。

 右手で掴んだのは、胸板から飛び出した柔らかい肉の塊であった。無造作に揉みしだいてみても、明らかに神経が通っているとしか思えない感覚をしっかりと理解した。自らの胸に乳ができてしまったことを、次第に庄司は理解し始めた。

 ベッドから立ち、ユニットバスのあるほうへ歩く。朝のあのせいか、なんだか歩きづらい所もあり、体のバランスと均衡がどこか崩れたように感じた。洗面台の鏡を見る。

 果たしてこれが自分の顔なのかと、庄司は輪郭をなぞった。一重だった目は二重になり、鼻も南国育ちのふくよかな鼻から、北国を彷彿とさせるか細い鼻になっており、北に住む知り合いの顔のようだと思う。唇の厚みもなくなり、血色も薄くなっている気がした。なにより、女のような顔であった。顔のパーツを触る指も細く白く、汚れを知らないかのようにすべすべとしていた。寝汗をよくかいているタイプとは思えないほど、肌も綺麗になっている。その汗で首に髪の毛が引っ付いていた。細い首に数本付いた、滴る髪の毛はエロシズムを感じてしまうが、いかんせん鏡に映っているこの女は自分なのである。髪の毛はポニーテールにできそうな程伸びており、昨晩坊主にしたばかりだったため、自分はどれだけ寝ていたのか不思議に思った。

 庄司は眠気からだんだん覚めていく中、やっとのことで自分が女になっていることに気が付いた。その時、また人間味を感じない音でインターホンが鳴った。

「大丈夫かぁ、庄司ぃ、お前最近大学にも顔出さねぇし、メールも見ねぇし、聞こえてんのかぁ、おーい」

 訪ねてきたのは友人の新田尊だった。金属製の扉をコンコン叩いてそう言っている。鏡の中の庄司は戸惑いを隠すことができず、出会うわけにもいかなかった。

「あだいじょ……」

 庄司は咄嗟に口を押さえた。擦れたような声で出てきたのは、自分の声ではない、まさに女のような透明感のある声。朝起きてから何も飲んでいないことを幸運だと感じた。もし女がいると尊に悟られれば、面倒なことになるのは明白だ。

「おーい、寝てんのかぁ? ここ、ポカリとか置いとくから、また連絡しろなぁ」

 扉の向こう側でビニール袋のガサガサとした音が鳴る。足音が遠のいてゆく。申し訳ないと思いつつ、扉を開けて、そのビニール袋に手をかける。

 実際、庄司はここ一週間は誰とも会ってはいない。というのも鬱になっただとか、死にたくなっただとか、そういう理由でもなかった。自宅の鍵を失くしてしまったのだ。ただそれだけだった。心配性もここまでくると困ったもので、庄司は鍵を閉めないと心が四六時中落ち着かない。それは空き巣が入るかもしれない、入っても自分が鍵を失くしたというのが原因だから自分が悪い。八方ふさがりもいいところであった。

 大家に早いとこ相談しておこうと勇気が出てきたところであったが、今度は女になってしまうというのだから、結局状況は変わることがない。

 どうしようか——

「お、出てきた」

 ビニール袋に手をかけたその細い腕を、尊の血管が浮き出た腕で掴まれた。扉の前で待ち伏せしてまで友人に会いたいものか、それが女になった友人であったとしても。庄司と尊が目を合わした時の、その瞬間はそう形容したものか。人によってはラブソングを流して恋愛の目覚めにしたがるだろう。しゃがんでビニールに手をかけた庄司と、待ち伏せて上から見下ろすように腕を掴む尊。尊が「あ、すみ」と謝ろうとして、扉にある部屋番を確認しながら腕から手を離した。尊は何度見してきたのだろう。そういえば鏡に映る姿は意外と美形だったかもしれないと思い出す。

「あう、すみません、あ、あの、彼女、さん……?」

 頬を赤らめた尊の視線が、どうも合わず、庄司はニヤリと笑みを浮かべた。

「たけるぅ? 胸ばっか見てんじゃねぇよ」

 それを聞いた尊は、言葉にならない言葉を吐き捨てた。

「庄司? え、庄司なのか、庄司?」

 尊は庄司の背後に続く、家の中と、目の前にいる女をチラチラ見ながら、どこかこれが夢であってほしく、そして現実であってほしく思った。そして部屋の奥には誰もおらず、この目の前の女が庄司としてしか、この状況の説明がつかないとなったとき、尊もようやく胸を見ることをやめた。シャツは一枚のようで、やけに白くなった肌の奥にあるそれが、男としての本能を揺さぶるのはそうだが、やはり友人かもしれないと考えると、それを人間的な尊厳が止めてゆく。それでも、つま先を立てて少しでも見たほうがよかったかもしれないと、尊は少し後悔した。

「まぁ、入れよ」

 庄司はそう言って尊を招き入れた。部屋の中は既に、女の匂いが充満していた。



 事の経緯を話すこともなかった。庄司ですら混乱しているのであって、尊と同じような混乱であったから、この現象を整理することから始まるのだった。庄司は椅子に座り、尊は壁にもたれかかって腕を組んでいた。尊はいつもベッドに座りたがるが、たとえ友人だとしても女の寝た、ましてや汗のあるベッドに座るなどダメだと我慢した。さらに尊を困らしたのは庄司の見た目である。学びの場にいては、その学びすら妨害してしまうほどの美貌を持ち合わせている。座ったその女を庄司だと思うのは無理があるように思えたが、やはり庄司だと思わなければいつ恋に落ちてもおかしくはないと言い聞かせたのだった。

 ただしその尊の葛藤を踏みにじるかのような庄司の存在があった。椅子に座った庄司は内股に、その可憐な簡単に折れそうな腕を太ももに挟んでいる。壁にもたれかかる尊をまた上目遣いで見ており、その黒い瞳と小さな顔のパーツたちが、集中線のようにそこを見ることを強要しているようだった。

「なんか朝起きたら女になってたんだ」

 尊は目をつむってその声を聞いたが、どうやっても庄司に変換することができなかった。目の前にいるのは、ただの美女だった。

「どうしよう、誰にどう説明したらいいんだ? 逃げ続けてもさ、行方不明届だって出されて探されるだろうし、でもこのことなんて誰も信じてくれないだろうし。尊は信じてくれるよな?」

 その顔が、また尊を苦しめた。

「俺は、まぁ信じるけどさ、でもやっぱ変わりすぎっていうか、その、まだドッキリを疑うな。本当の庄司がどっかに隠れてて、彼女ができたことを良いことに、こういうことしてんじゃないかって思ってるよ」

 尊はそう言いながら小さな部屋の中をうろうろと歩き、ベッドの下や、積み重ねられた洗濯物の山の中、冷蔵庫の中などを物色し始めた。それはどこかに庄司がいることの願いでもあり、そして目のやり場に困る美女に対するせめてもの抵抗だった。庄司のいつもの短パンにシャツ一枚は、性別が変わるだけで途端に露出が増えたように感じたのだ。

「やっぱり庄司なのかぁ、正直別人であってほしかったな」

 尊はそのまま壁にもたれかかった。未だどこかに座ることはできなかった。

「どうしよう、これ性転換ってやつじゃん。なんか嬉しくも悲しくもないな。なんか声も違うし、違和感しかねぇ」

 庄司は立ち上がり、お尻を突き上げる形で洗濯物の山に手をかけた。どうも洗濯だけはするようだった。庄司の短パンも相まって、ちらちら見える白い絶対領域は尊をそこはかとなく誘った。普段だったら膝裏に見えるH型のしわも特に何も感じないが、ことこの目の前にいる庄司のに関してはやはりいつもより神秘に思えた。ただ目の前にいるのは庄司だからだと、見るのに留めた。ただ見るのは凝視だった。

 そうして庄司はいつもの通り洗濯をし始め、二人分の朝食を用意し始める。冷蔵庫の中をさっき見たときに見えた、大量の食パンが出てくる。ウォーターサ―バーのお湯をコップの中に入れて、庄司は紅茶を作り始める。庄司は昔からこの紅茶を毎朝飲むわけだが、美女になり果てた者が紅茶を作り始めると、どこか優雅というか、ヨーロッパならではの風情を醸し出していた。男が女になるだけでこうも空気は変わるのかと、尊は今一度男であることを自覚した。

「紅茶にパンをつけるんだ。美味いぞ」

 庄司はコップの中の紅茶に、食パンをちぎったものを入れる。紅茶の染みたパンを、あんぐりと口の中に入れてゆく。細く、白い首のあたりが動いて、鎖骨が浮き出て、喉仏のなくなった華奢な喉でそれを飲み込んでいく。パンにしみ込んだ紅茶が、滴って鎖骨によってできた窪みに落ちる。庄司はそれをまた細い指で拭いて、紅茶の付いた指を舐めた。その一連の動作はあり得ないほどスローモーションに見えた。朝の寝汗によって光る髪の毛と、カーテンの隙間から入り込み始めた日光が、庄司の全てを粒子のように煌びやかにさせた。尊は、幼少期に北の大地で見たダイヤモンドダストを不意に思い出した。その様子を見て、しばらくは食欲に勝る欲望に支配されてしまった。なにか理由をつけて、写真を撮りたいと、ひどい考えに尊は絶望を感じた。

「なぁ庄司」

 庄司は尊に向き直った。その時、尊は目の前の女が最初見た時よりも、さらに美しく見えてしまっていることに焦った。完全に女として見てしまい、もしかしたらこれが恋に落ちた感覚なのかと思った。心臓がいつもより大きくなっている感覚と、庄司の全てが、包み込まれた美女という輪郭線が、いますぐにでも俺のにしたいと、いけない衝動を尊に与えた。

「なに、尊」

 声も変わりその問いかけが、ひどく美人の彼女に言われているようで、尊は近くにいられることの嬉しさを感じた。ただそれは、庄司の、友人として近くにいられるからではなく、ただ目の前の美女という存在に価値を見出したのだった。そうして、尊は庄司にこう言った。

「なんかの記念に、写真でも撮っとくか」

 と冗談のように。庄司の返答を待たずとも、すでのカメラのアプリは開いてあった。写真を撮った尊は、いますぐに帰って、この短時間で溜まった鬱憤を晴らしたかった。

「まぁ、明日になれば戻ってるかもな。とりあえず俺は帰るから」

 庄司と尊はそうして別れた。


 庄司は残っていた紅茶を飲み干した。プハァと言ったその擦れ声も、根っから女の声になっており、どこか声の出し方にも違和感があった。男のころは、腹の底から声を震わすように出していたものだが、女というのは鼻から声を出しているのかと思った。常に裏声を出しているようで、変に神経質になってしまいそうだった。

 そして庄司は、両手で顔を覆った。いつもとは違い、顔の肌も触り心地が良く、なによりヒヤリとした体温を感じた。女の体温が低いというのは知っていたが、自分で自分の肌を触っても感じるほどに冷たいとまでは思わなかった。その冷たい顔も、尊の顔を思い出していると熱くなっていった。庄司は庄司で、また別の絶望を抱いていたのであった。

 尊の顔が、庄司にとっていつもより格好よく、猛々しく見えたのだった。腕に浮き上がる血管と、腕に携わる筋肉の締まりによって硬質的に部位を形成しており、あの腕に最初掴まれた時、どこか男らしいなと感じたのだった。ベッドに座らないのが尊のせめてもの気遣いで、女であることを認識した特有の動きに、どこか嬉しさを感じていた。壁にもたれかかって、カーテンから漏れた日光が、尊の顔に濃い陰影を生み出し、大きな瞳にある薄い茶色の瞳孔が鋭く見えた。光のように格好よく、光のように芯のある、はるか昔に見た、北国の空に浮かぶ太陽のような顔だった。

 なにより、写真を撮っていくことは、その後尊がどう使うのかもわかっていた。それは実際、褒めたものではない。状況から見ても、変態だと言ってもいい。罵ったって良かったのかもしれない。しかし、庄司にとってその尊の行動は、自分が女になってしまったことの価値を決定づけたのだった。

 庄司は、尊にそういう目で見られることにどこか、嬉しさを感じた。そしてまた、庄司も尊のことをそういう目で見てしまっていることを知った。


俺って変態なのかなって思いました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ