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「提案」と「代償」

サクの言葉が、しんと静まり返った病室の空気に、鋭い氷の杭のように打ち込まれた。

「……私個人からの、『提案』だ」

 それは、拒絶を許さない、静かな響きを持っていた。

「風見家の人間とは、もう接触したようだな。君のトラブルは、まだ始まったばかりだということを、理解した方がいい」

「生き残りたいのであれば、賢明な選択をすることだ」


 アカが、ヨルの前に立ちはだかったまま、低い声で唸った。

「……提案、ですって? あんた達、こいつをどうするつもり?」

 サクはアカの敵意を意にも介さず、その視線をヨルに固定したまま、淡々と告げた。

「単刀直入に言おう。ヨル、我々の『被験体』になれ」

「ひけんたい……?」

「そう、実験の対象だ」

 サクの言葉には、一片の躊躇もなかった。

「君の能力は、我々のあらゆる記録、あらゆる知識体系に存在しない、全くの未知アンノウンだ。それは極めて危険であると同時に、計り知れない価値を秘めている。我々『第四種特別公安課』は、君に最高レベルの環境を提供することを約束する」

 彼女は指を折りながら、その“対価”を並べ立てていく。

「一つ、最新鋭の訓練施設の使用権。君の能力を安全かつ効率的に解析、強化するための専用プログラムを提供する」

「一つ、妖術杯に関する全ての情報へのアクセス権。対戦相手のデータ、過去の試合記録、我々が持つ全ての情報を君たちは閲覧できる」

「そして一つ、我々の『保護』だ。君が我々の管理下に入ることで、風見家のような外部勢力からの不当な干渉を、我々が公式に阻止する」

 それは、今のヨルとアカにとって、喉から手が出るほど欲しいものばかりだった。あまりにも、魅力的すぎる提案。だからこそ──。


「ふざけないでッ!!」


 アカの怒声が、部屋の空気を震わせた。

「被験体ですって!? あんた、こいつをモルモットにするって言ってるのよ! 冗談じゃないわ! あんた達の施しなんてなくても、あたし達は自分たちの力で勝ち進んでやる!」

 それは、アカの誇りそのものだった。何の後ろ盾もなく、生まれつきの才能もなく、ただ己の拳と剣だけでこの血生臭い世界を渡り歩いてきた彼女にとって、それは絶対に譲れない一線だった。


 だが、サクの表情は、能面のように変わらない。

「自分の力、か」

 彼女は小さく呟くと、手にしたタブレット端末を操作し、二人の前に新たな情報を投影した。

 そこに映し出されたのは、二人の男女のプロフィール。

「君たちの、第二回戦の対戦相手だ。傭兵コンビ、コードネーム『双面ドッペルゲンガー』」

 アカは息を呑んだ。その名は、選手村でも噂になっていた。勝つためには手段を選ばない、残忍な実力者として。

「彼らは、術師と戦士の二人組だが、その術師の能力が極めて厄介だ。自身の姿を完全にパートナーに偽装する幻術を得意とする。どちらが術師で、どちらが戦士か。それを誤認した瞬間、死ぬ」

 サクは淡々と、まるで天気予報でも読み上げるかのように続けた。

「特に、君たちのような、術師を持たない(あるいは、まともに機能しない)チームに対する勝率は、過去の記録上、100%だ」

 サクはアカの顔を真っ直ぐに見据えた。

「我々のスーパーコンピューターが弾き出した、君たちが外部の支援なしでこの試合に臨んだ場合の生存確率を教えてやろう」


「7.8%だ」


 その数字は、アカの激情とプライドを、一瞬で氷点下まで凍らせるのに十分だった。

 7.8%。それは、希望と呼ぶには、あまりにも無慈悲な確率。

「……っ!」

 アカは唇を噛みしめ、何も言い返せない。サクの提示した“現実”は、それほどまでに重かった。


 沈黙が、部屋を支配する。

 アカの握りしめた拳が、悔しさに震えているのを、ヨルは見ていた。

 彼は、この数日間で起こった全てを、頭の中で反芻していた。

 路地裏で、死の淵を彷徨った夜。

 闘技場で、アカが自分のために血を流した瞬間。

 蓮に告げられた、戻れない日常。

 サクに救われた、一条の光。

 そして、今。自分たちの前に横たわる、絶望的なまでの生存確率。


(俺は……)


 ヨルの脳裏に、蓮の言葉が蘇る。

『部外者は黙っていてください』

『術式を授かる資格すらない者が』

 そうだ。俺たちには、何もない。力も、情報も、後ろ盾も。あるのは、正体不明のこの能力と、無鉄砲なパートナーの、傷だらけの拳だけだ。

 アカのプライドは、痛いほどわかる。彼女の言うことは、何一つ間違っていない。

 だが、それで死んでしまっては、何の意味もない。

 プライドを貫いた結果、アカが自分のせいで命を落とすことだけは、絶対に許容できない。

 もう、誰も自分のせいで傷つくのは見たくない。


 ヨルは、震えるアカの肩を、そっと制した。

「アカ。……ありがとう」

 彼は、まず、自分のために怒ってくれたパートナーに、礼を言った。

 そして、サクの方へと向き直る。その瞳には、もはや怯えも、戸惑いもなかった。あるのは、腹を括った者の、静かな覚悟だけだった。


「あなたの提案を、受けます」


「ヨル!?」

 アカが、信じられないといった顔で彼を見つめる。

 だがヨルは、彼女から目を逸らさずに、続けた。

「俺は、強くなりたい。……自分のためじゃない。もう、アカが俺のせいで血を流すのを見たくないからだ」

 彼の声は、静かだったが、その一言一言に、彼の魂が込められていた。

「そのためなら、俺は、何にでもなる。モルモットでも、実験動物でも……構わない」

「……っ!」

 アカは、息を呑んだ。

 ヨルの言葉が、彼女の全ての反論を封じ込めてしまった。彼の決意は、彼女のプライドよりも、ずっと重く、切実だった。


 サクは、二人のやり取りを無感情に見ていたが、ヨルの決断を聞くと、小さく一度だけ頷いた。

「賢明な判断だ」

 彼女はそう言うと、踵を返し、部屋の出口へと向かった。

「話は決まった。契約の詳細は、後ほど端末に送る。よく読んでおけ」

 ドアに手をかけ、彼女は最後に、氷のような声で言い放った。


「君たちの新しい訓練プログラムは、明朝5時より開始する。遅れるなよ」


 パタン、とドアが閉まる。

 部屋には、ヨルとアカの二人だけが残された。

 アカは、俯いたまま、何も言わない。

 ヨルも、彼女に何と声をかけていいのか、分からなかった。

 二人の“共同戦線”は、こうして、一人の少年の覚悟と、一人の少女の沈黙の上に、静かに始まった。

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