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オレンジレッドの少女

「見知らぬ、天井……」

 それが、ヨルが目覚めて最初に抱いた感想だった。彼は億劫な体を腕で懸命に支え、起き上がろうと試みる。しかし、腹部に走った鋭い痛みが、気を失う直前に何が起こったのかを思い出させた。

 傷口は包帯で覆われ、明らかに適切な処置が施されている。周囲の壁は一面真っ白で、部屋には装飾品の類は一切ない。窓さえもなく、ここにあるのはベッド一台と、何かの機材が置かれたテーブルだけだった。


「目が覚めたのですね。ベッドの上で、動かないでください。すぐにそちらへ向かいます」

 どこからともなく優しい女性の声が聞こえ、ヨルは不思議な安心感を覚えた。

 やがて、ドアが「吱」と音を立てて開き、ナース服のようなものを着た女性が入って来た。ヨルが奇妙に思ったのは、その女性が典型的な欧米系の顔立ちをしているにもかかわらず、流暢な日本語を操ることだった。


「ヨルさん、お加減はいかがですか?」とナースは尋ねた。

「えっと、まあまあ、です。ここは、病院なんですか?」

 世界中のどこを探しても、こんな様子の病院があるとは思えなかったが、彼はとりあえずそう尋ねた。


「ええ、まあ病院のようなものですよ。ご安心ください」


「ようなもの、って何ですか?」ヨルは少しずつ不安になってきた。


「ええと、つまり、ここは元々ヨルさんのような一般の方を治療するための場所ではない、ということです」


 俺のような、一般人?

 気を失う前の出来事を思い出し、彼の頭は混乱を極めていた。謎に満ちた危険な女と、刀を持った女。ただ家に帰る道を歩いていただけなのに、どうしてこんな事態になってしまったのか。


「ご心配なく。多くの疑問をお持ちなのは分かっています。簡単に言えば、私たちは特別警察のようなもので、あなたは保護対象者、ということです」

 まるでヨルの心を見透かしたかのように、ナースはそう答えた。


 ヨルがさらに何かを問い詰めようとした、その時だった。突然、轟音が響き、一人の男が部屋に乱入してきた。

 男は金髪で、彼もまた日本人ではないようだ。その容貌は、北欧の冬に吹き荒れるブリザードのように、端正でありながら人を寄せ付けない鋭さに満ちている。彼の存在そのものが強烈な自己主張であり、たとえ黙っていても、全身から「俺に構うな」という警告が発せられていた。

 その姿は細部まで精巧に彫刻されたかのようでありながら、同時に歴戦の荒々しさをも感じさせた。

 彼の金髪は、柔らかく陽光を思わせるような色合いではない。トネリコの木や砂丘の色に近い、温度を感じさせない冷たいアッシュゴールド。硬そうな髪が、無造作に額にかかり、眉が隠れるほどに伸びている。根元が少し色が濃いのは、彼が生まれつきその髪色ではないか、あるいは単に手入れを怠っているせいかもしれない。


「おい、サクを見なかったか。司令部ではついさっきまでここにいたと」男は明らかにヨルを無視し、ナースに問いかけた。


「グンナルさん、サクさんは彼をここに送り届けた後、すぐに目標を追って引き返しました」ナースは慌てて答えた。彼女はこの男を恐れているようだ。


「そうか」グンナルはヨルの方へ顔を向けた。その氷のように青い瞳は、砕けた氷河の欠片のように鋭く澄み渡り、まるで鷹のような視線で彼を射抜いた。「こんな奴一人のために、千載一遇の好機を逃すとはな」

 そして、彼は一度も振り返ることなく部屋を出て行った。


 ヨルは腹が立ってきた。昨夜から異常なことばかりが続き、自分はまるでまな板の上の鯉のように、好き勝手に翻弄されている。

「一体どうなってるんだ、ここは!病院なのか!?早く帰せ、俺は家に帰るんだ!」ヨルは募る疑問と怒りを、もはや抑えきれなかった。


「落ち着いてください。まだ体調も万全ではありませんから、数日はお待ちください。そうだ、着替えをお持ちしますね。この部屋から出て、少し周りをご覧になれば、色々とご理解いただけるかもしれません」ナースは慌ててヨルをなだめた。


 着替えを済ませたヨルは、部屋のドアを開けた。廊下からは他にも部屋があるのが見えたが、ひどく静かで、他の患者の声は聞こえない。さらに奥へ進むと、やがてだだっ広いホールに出た。

 ヨルはホールの椅子に腰掛けて一休みしたが、やはりここにも他の人影はなく、病院なら当然あるべき標語やポスターの類も一切見当たらない。

「ダメだ、ここは絶対に病院じゃない。外に出る道を探さないと」ヨルは心に決めた。


 コツ、コツ、コツ、コツ……。

 廊下の突き当たりでハイヒールの音が止まると同時に、跳ねるようなオレンジレッドが視界に飛び込んできた。それはありふれた赤色ではない。まるで昇り始めた太陽が空を焦がすような、鮮烈なオレンジレッド。その長い髪はまるで炎に点火されたかのように、情熱的で奔放に肩先で揺れている。緩やかにカールした髪は、一筋一筋が生命力に満ち溢れ、今にも風と共に舞い上がりそうだった。

 彼女の双眸もまた炎のように輝き、活力と好奇心に満ち、淀んだ空気を一瞬で燃やしてしまいそうなほどだった。彼女が着ている鮮やかな黄色のキャミソールドレスからは、滑らかな鎖骨のラインが覗き、オレンジレッドの髪色がその白い肌を一層際立たせている。彼女の全身からは熱烈なオーラが放たれており、まるで移動する、無視できない炎の塊のようだった。


 ヨルの心臓が、警鐘のように胸の中で激しく脈打つ。全身の感覚が、この瞬間に一斉に赤信号を灯した。あのオレンジレッドが、危険で、それでいて魅力的な周波数で、彼に無言の警報を発している。これは本能的で、抗いがたい引力なのだと、彼は悟った。


 少女は誰かを探しているようにきょろきょろと辺りを見回し、やがてヨルに視線を定めた。彼女はひどく怒っているようで、頬を膨らませながらずんずんとヨルに向かって歩いてくる。ヨルはどうしていいかわからず、手の置き場にさえ困り、挨拶をしようと片手を挙げたまま、言葉を発することもできなかった。


 ところが、少女はヨルの手をいきなり掴むと、大声で言った。


「あんたねえ、ちょっと怪我したからって、いつまでも訓練サボってんじゃないわよ!このままじゃ二人とも落第しちゃうでしょ!ていうか、あんた別に不細工じゃないんだから、なんで今までずっとマスクなんて被ってたのよ!」


「え、何のことだよ、俺は…」ヨルが言い終わる前に、少女は彼をぐいぐいとエレベーターホールまで引っ張っていく。そして手慣れた様子でエレベーターを呼び寄せると、ヨルを中に放り込み、すぐさまボタンを押した。


「俺、怪我してんだけど!もうちょっと優しくできないのかよ!」ヨルの不満が口をつく。先程までの好感度はかなり下がってしまった。


「はいはい、怪我人ね。どうせあんたは術師なんだから、殴り合いするわけじゃないし、どうでもいいでしょ」


「俺はあんたの知ってる奴じゃない!一体どうなってんだよ、早く帰せって、うわあああああああ――っ!」

 エレベーターが下降していくのに合わせて、ヨルの悲鳴もまた、次第に小さくなっていった。

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