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狩人の盤上、四つの異端

 広場に満ちていた血と硝煙の匂いは、新たな同盟者たちの間の気まずい沈黙に取って代わられていた。ほんの数分前まで殺し合いをしていた敵の骸がまだ温かい中、ヨル、アカ、そして神崎凪と凛と名乗った兄妹は、互いに腹を探り合うように距離を置いて対峙していた。


「……で、これからどうすんの?」


 沈黙を破ったのは、アカだった。彼女は騎士剣を肩に担ぎ、その視線は凪と凛の間を鋭く行き来している。助けられた恩義はある。だが、この異常な状況で、初対面の人間を無条件に信じられるほど、彼女はお人好しではなかった。


「決まってるだろ! 他の奴らも、さっきのドデカい雷みたいに、どっかーんとやっつけに行くんだよ!」


 凪が、まるでピクニックの行き先でも決めるかのように、屈託なく笑う。そのあまりにも能天気な答えに、アカは思わずこめかみを引きつらせた。


「凪、黙りなさい」凛が、兄の言葉を氷のような声音で遮る。「思考が単細胞すぎる。神崎の名が泣くわ」

「なんだよ、凛! だって、それが一番早いだろ!」

「非論理的ね。いい、よく聞いて」


 凛は、その黒曜石のような瞳を他の三人に向けた。その眼差しは、ただ相手を見ているのではない。まるで性能の低い機材でも分析するかのように、冷静に、そしてどこか侮蔑的に、三人の状態をスキャンしていた。


「現状、我々は四人。そして、この『黄泉比良坂』にいる他の全てのチームが、我々の敵です。なぜなら、主催者は我々二組に、他の参加者とは比較にならないほどの高額なポイントを設定した。これは、我々を“餌”として盤上に配置し、他の“駒”に互いに潰し合わせるための、極めて悪質な罠よ」


 凛の言葉は、ヨルとアカが肌で感じていた不安を、的確に言語化していた。


「我々のチームの戦力は、凪の『雷獣』による広範囲殲滅力、ブレードダンサーの近接突破力、そして……」彼女はヨルを一瞥した。「あなたの、未知数のサポート能力。個々の能力は高い。けれど、連携はゼロ。特に凪の術式は、敵味方の識別ができないという致命的な欠陥を抱えている。このまま無策に戦えば、我々は他のチームの連携攻撃によって消耗し、いずれ共倒れになる。これが、私が一分で導き出した結論」


 凛は、すっと息を吸い、最終的な判断を告げた。

「よって、最善手は一つ。一時的に戦闘を避け、この都市の構造を把握し、情報を集める。そして、我々の連携を最低限のレベルまで引き上げること。異論は?」


 その完璧な状況分析に、アカはぐっと言葉を詰まらせた。凪は「えー、つまんないのー」と口を尖らせている。ヨルは、ただ圧倒されていた。自分たちが何時間もかけて必死に逃げ惑っていた状況を、彼女はほんの数分で解析し、最適解を導き出してしまったのだ。これが、旧家と呼ばれる術師の実力なのか。


「……分かったわよ」アカは、しぶしぶといった様子で剣を下ろした。「あんたの言う通りにしてやる。ただし、コソコソ逃げ回るのは性に合わない。チャンスがあれば、こっちから仕掛けるからね」

「合理的と判断すれば、許可します」


 こうして、奇妙な四人組の最初の目的が決まった。凛が先行し、その解析能力で安全なルートを割り出す。アカと凪が左右を固め、ヨルは後方から「法則の視界」で、物理的な罠や隠された術式の痕跡を探る。それは、即席にしては、恐ろしく強力な探索チームだった。


 彼らが選んだルートは、都市の地下深くに張り巡らされた、巨大な下水路だった。そこは、カビと汚泥の匂いが充満し、天井からは絶え間なく不気味な水滴が滴り落ちていた。壁には、妖力の影響か、青白い光を放つ苔が不気味に群生している。


「うわっ、くっさ! なんでこんなジメジメしたとこ通らなきゃいけないんだよ!」

「凪、文句を言うな。ここは上層よりも妖力の残滓が濃く、我々の気配を隠しやすい。それに、他のチームも好んで通りたがる場所ではないわ」


 そんな会話をしながら進んでいくと、不意に、前方の通路の角から、悲鳴と金属音が響いてきた。四人は咄嗟に身を隠し、息を殺して様子を窺う。


 そこで行われていたのは、一方的な「処刑」だった。

 三人のチームが、既に戦闘能力を失い、地面に這いつくばっている一人の選手を、嘲笑しながら嬲っていたのだ。


「おいおい、ポイントだけじゃなくて、その腕についてる装備も、なかなか良さそうじゃねえか」

「や、やめろ……! 試合には負けた! ポイントはくれてやる! だから……!」

「ああ? 馬鹿言えよ。この妖術杯は、ただの試合じゃねえんだ。敗者は、勝者の“糧”になる。それがルールだろうが!」


 リーダー格の男がそう言うと、巨大な戦斧を振り上げ、懇願する選手の腕を、容赦なく断ち切った。噴き出す血飛沫と、絶叫が、暗い下水路に響き渡る。


 その光景に、ヨルの全身が凍り付いた。これが、この世界の現実。ただの競技ではない。敗北が、死や尊厳の喪失に直結する、本物の殺戮の舞台。彼は、自分がとんでもない場所に足を踏み入れてしまったのだと、改めて痛感させられた。


 アカは、苦々しげに顔を歪め、舌打ちした。凪は、それまでのおちゃらけた表情を消し、純粋な嫌悪感に眉をひそめている。「……最低だ。あんなの、戦いじゃなくて、ただのいじめじゃねえか」


 凛だけが、無表情にその光景を分析していた。

「……無駄の多い行為ね。感情的な報復は、余計なエネルギーを消費するだけ。だが、同時に、この狩り場が、もはや理性よりも本能が支配する領域に変質している証拠でもある。警戒レベルを一段階引き上げるわ」


 彼らがその場をやり過ごそうとした、その時だった。

 処刑を終えたチームの一人が、ふと、ヨルたちが隠れている方向を向き、にやりと笑った。

「……ん? そこにいるのは、ドブネズミか?」


 見つかった!

 敵は三人。だが、今の彼らは、血の匂いに興奮した、最も危険な状態だ。

「ハッ、ツイてるぜ! あいつらのポイント、確か五万だったよな!?」

「ここで奴らを狩れば、一気にトップだ!」


 三人が、狂喜の表情で同時に襲いかかってくる。

「凪、下がりなさい! ここで『雷獣』は使えない!」

 凛の鋭い声が飛ぶ。この狭い通路で凪の術式を放てば、敵もろとも自分たちも吹き飛んでしまう。

「ちっ、分かってるよ!」


 凪が後退し、アカが咄嗟に前に出て、三人の攻撃を受け止める。だが、相手は勢いに乗っており、連携も巧みだ。アカ一人では、すぐに押し込まれてしまう。

 敵の一人が、アカの死角に回り込み、毒が塗られた短剣を突き出した。


「させるか!」


 その瞬間、一条の紫電が、アカの脇をすり抜けた。凛が放った『紫電』だ。それは、敵を攻撃したのではない。アカと敵の間の床に命中し、高圧電流の壁を作り出して、短剣の軌道を逸らしたのだ。

「ナイス、凛!」


 だが、敵はそれだけではない。もう一人が、壁を蹴って跳躍し、後方にいるヨルへと襲いかかる。狙いは、最も無力に見える術師だ。

「ヨル!」アカが叫ぶ。


 ヨルは、恐怖に身が竦む。だが、サクとの地獄の特訓が、彼の身体に染み付いていた。

 彼は、目を閉じた。

 世界から、色が消える。

 襲いかかってくる敵の姿が、無数の光るコードの集合体として、彼の脳内に映し出された。その全身を覆っている、身体能力を強化する術式。その流れ。その次の動き。全てが、彼には“読めて”いた。


「――右に一歩! その後、左に飛んでくる!」


 ヨルは叫んだ。それは、ただの予測ではない。彼が読み解いた、敵の行動プログラムそのものだった。

 その声に、咄嗟に反応した者がいた。凪だ。

「おうよ!」


 凪は、ヨルの言葉通りに、右に一歩踏み出した。すると、空を切ったはずの場所に、敵が姿を現す。凪は、そこに待ち構えていたかのように、雷を纏っていない、純粋な威力の拳を、敵の鳩尾に叩き込んだ。

「ぐ……ぉえっ……!」


 敵はカエルのような呻き声を上げ、通路の壁に叩きつけられる。

 残るは、リーダー格の男一人。彼は、仲間が瞬時にやられたのを見て、一瞬呆然とし、そして、怒りに顔を歪めた。

「てめえらぁっ!」


 だが、彼が次の行動を起こす前に、アカがその懐に踏み込んでいた。

「あんたの相手は、あたしでしょ!」

 騎士剣の鋭い一閃が、男の戦斧を弾き飛ばす。返す刀で、剣の柄が、がら空きになった男の顎を打ち抜き、その意識を刈り取った。


 戦闘は、一分もかからずに終わった。

 四人は、荒い息をつきながら、互いの顔を見合わせた。不格好で、ちぐはぐで、お世辞にも完璧とは言えない連携。だが、彼らは、初めて四人で、一つの勝利を掴み取ったのだ。


「はぁ……はぁ……、まったく、無茶苦茶な連中ね」アカが、息を整えながらも、口元に笑みを浮かべていた。

 その時、凪が興奮した様子でヨルに駆け寄ってきた。

「おい! お前、すげえな! なんで分かったんだ? 未来でも見えるのか!?」

 その純粋な、力の強さに対する憧憬の眼差しに、ヨルは少し戸惑った。いつもは「足手まとい」「守られるべき存在」として見られることが多かったからだ。

「いや、未来とかじゃなくて……ただ、そう見えた、だけだ」

「なんだよそれ! ますますすげえじゃねえか!」

 凪は、豪快にヨルの背中をバンバンと叩く。その単純な賞賛が、ヨルの心にじんわりと温かく沁みた。


「凪、騒がしい」

 凛が、静かに歩み寄ってきた。彼女は凪を制止すると、その探るような視線をヨルに向ける。

「あなたの能力……興味深いわ。あれは、確率論に基づく未来予測ではない。まるで、世界の設計図を直接覗き込んでいるかのようだった。あなたには、何が見えているの?」

 その問いは、これまでの誰とも違っていた。ただの結果ではなく、その原理を理解しようとする、純粋な知的好奇心。

「設計図……そう、かもしれない。僕には、世界が、たくさんの光る線と文字でできてるように見えるんだ。術式とか、人の動きとかも、全部……その線と文字で書かれてる」

 ヨルは、拙い言葉で、自分の見ている世界を説明しようと試みた。

 凛は、その荒唐無稽な説明を、一切否定しなかった。彼女はただ、黙って耳を傾け、そして、深く、何かを思考するように目を伏せた。

「……構成原理そのものへの干渉。なるほど、月詠家の『箴言』が破られたわけね。あなたの存在は、あらゆる術師の天敵になり得る」

 凛の顔に、表情はなかった。だが、その瞳の奥に、初めて「面白い」という感情以外の、畏敬に似た、強い光が宿ったのを、ヨルは見逃さなかった。自分が、初めて、朱以外の人間に、一人の“戦力”として、そして“個”として認められた瞬間だった。


 その、束の間の静寂を破ったのは、通路の奥から響いてきた、地を揺るがすような咆哮だった。

「雑談はそこまでにして」凛が、鋭い声でその場の空気を引き締めた。「……来るわよ。もっと、大きくて、厄介なのが」

 彼らの最初の共同作業は、最悪の形で、次のステージへと続いていく。

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