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新しい日常のデッサン

 第二回戦の激闘から一夜が明けた朝、選手村の全情報端末に、妖術杯運営委員会からの一斉通知が届いた。


『全選手へ通達。第三回戦は、二週間後に開始される。それまでの期間、各員は自己の調整に努めること。なお、中央区画の全施設は通常通り使用可能とする』


「……二週間、か」

 通知を読み上げたヨルが、ぽつりと呟いた。

 それは、死と隣り合わせの戦場における、束の間の、しかし、あまりにも貴重な休戦期間だった。


t その日から、ヨルとアカの、奇妙な「共同生活」と「共同訓練」が始まった。

 まず、ヨルが直面したのは、生活習慣という名の、最も平和で、しかし、最も厄介な問題だった。

 アカのテリトリーである二段ベッドの下段は、まるで小規模な竜巻に襲われたかのような惨状を呈していた。脱ぎ散らかされた服、武器の手入れ用具、ポイントで購入したらしい栄養補助食品の空き箱などが、芸術的なカオスを形成している。

「……マジか」

 几帳面に整えられた自分の上段ベッドとの対比に、ヨルは眩暈がするほどだった。

「はあ!? 人のモノ勝手に触んないでよ! どこに何を置いたか、分かんなくなっちゃうでしょ!」

「この状態でものを把握できる方がすごいよ」

 そんな些細な口喧嘩が、彼らの日常のBGMになった。ヨルが呆れながらも彼女の服を畳み、アカが文句を言いながらも、まんざらでもない顔でそれを見ている。そんな光景が、二人の部屋では当たり前になっていった。


 日中の訓練は、二種類あった。

 一つは、アカが主導する、地獄の基礎トレーニング。

「いい!? あんたの身体能力は、ハッキリ言って最悪よ! 赤ん坊レベル! そんなんじゃ、あたしが戦ってる間に、流れ弾に当たって死ぬのがオチなんだから!」

 公開訓練場で、アカは竹刀をビシッと構え、仁王立ちで言い放った。

 腕立て、腹筋、そして持久走。ヨルは、開始五分で地面に突伏した。

「はぁ……はぁ……もう、無理だ……」

「情けない声出してんじゃないわよ! 立て! ほら!」

 アカの指導はスパルタそのものだったが、不思議と嫌ではなかった。彼女が、自分のために本気で向き合ってくれていることが、痛いほど伝わってきたからだ。彼女はただ闇雲に扱き上げるだけでなく、「走り方が下手なのよ。もっと、重心を前に……そう、腕の振りはこう!」と、驚くほど的確に、ヨルの身体の使い方の問題点を修正していく。それは、サクのデータに基づいた分析とは全く違う、経験に裏打ちされた、生きた知恵だった。


 そして、もう一つが、夜ごとに行われる、二人だけの“作戦会議”。

 サクとの特訓を終えたヨルが、疲労困憊で部屋に戻ると、アカはいつも机で待っていた。

「……今日の訓練、どうだったのよ」

「ああ……今日は、複数の術式が同時に飛んでくる状況を、どう認識するかっていう……」

 ヨルは、その日の訓練内容を、拙い言葉で説明し始める。彼が見る「法則の視界」が、どれほど抽象的で、混沌としているかを。

 アカは、腕を組み、真剣な表情で耳を傾けていた。

「なるほどね……」一通り聞き終えると、彼女は言った。「つまり、あんたは世界を構築してるプログラムのソースコードを直接見てるようなもんか。だったら、一つの術式を【削除】するだけじゃ、もったいないわね」

「え?」

「例えば、火の玉が飛んでくる術式があったとする。そのプログラムには、『発生源』『飛翔速度』『着弾座標』みたいなパラメータがあるはずでしょ? それを、まるごと消すんじゃなくて、『着弾座標』のデータだけを、敵の座標に書き換えることはできないの?」

 それは、ヨルにとって、まさに目から鱗が落ちるような発想だった。

 破壊ではなく、編集。無力化ではなく、利用。

 戦士である彼女の、あまりにも実践的な視点。

「……やってみる、価値は、あるかもしれない」

 ヨルが入力し、アカが出力する。二人の間には、サクでさえ予測できない、独自の戦闘理論が生まれつつあった。


 そんな日々が、一週間ほど過ぎた夜のことだった。

 ヨルは、蓮の言葉と、イザヨイの写真が頭から離れず、なかなか寝付けなかった。

 そっとベッドを抜け出し、部屋の小さなバルコニーに出ると、そこには先客がいた。アカだった。

 彼女は、手すりに寄りかかり、選手村を覆うドームの天井に映し出された、偽物の星空を、静かに見上げていた。

「……眠れないのか?」

「まあね」

 アカは、振り返らずに答えた。

「あんたこそ。……また、蓮に言われたこと、気にしてるの?」

「……ああ」

 隣に並び、同じように星空を見上げる。

「俺は、どうしてこんな力を持ってるんだろうな……」

「さあね。そんなの、あたしに分かるわけないでしょ」

 アカは、相変わらず素っ気ない。だが、その声は、いつもより少しだけ、優しかった。

「……なあ、アカ」ヨルは、ずっと聞きたかったことを、口にした。「アカは、どうして、そんなに強いんだ? なんで、命を懸けてまで、妖術杯で戦うんだ?」

 アカは、何も答えなかった。ただ、遠い目をして、星空を見つめている。

 その横顔は、ヨルが今まで見たことのない、どこか寂しげで、儚い表情をしていた。

 長い沈黙の後、彼女は、ぽつり、と呟いた。

「……果たさなきゃいけない、約束があるのよ」

「約束?」

「うん。あたしが、世界で一番強くなるって、誓った約束。」

 彼女は、それ以上は語らなかった。

 だが、ヨルには、それで十分だった。

 彼女もまた、何かを背負い、何かを守るために、ここにいる。

 その事実が、ヨルの胸に、温かい灯火を宿した。

(俺は、まだ、自分のためにしか戦えていない)

 最初は、生きるために。

 次は、アカを守るために。

 でも、これからは。

(アカの、その夢を……俺も、一緒に背負いたい)

 それは、依存や感謝とは違う、初めて芽生えた、対等なパートナーとしての、純粋な願いだった。

「そっか」

 ヨルは、ただ、そう言って、微笑んだ。

 偽物の星空の下で、二人の少年少女は、それぞれの胸に秘めた約束を抱きながら、ただ静かに、夜が更けていくのを見つめていた。

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