灯をともす場所
朝、パンを焼く香ばしい匂いと、窓から差し込むやわらかな光。
陽菜は、自分の居場所に、今日も「ありがとう」と小さくつぶやいた。
元の職場には戻らなかった。
でも、後ろめたさはもうなかった。
一度すべてを失って、「生き直す」という言葉が自然に浮かぶようになってから、
自分のペースで暮らす毎日が、かけがえのない時間になっていた。
⸻
きっかけは、図書館でふと目にした小さなフリーペーパーだった。
「あなたの『好き』、分けてください。」
地域の人が持ち寄る、月に一度の小さな交流会。
ハンドメイド作品、朗読会、絵本の読み聞かせ、草木染めの体験…
色とりどりの“好き”が、誰かとつながる場所を作っているという。
ページをめくるうちに、胸がざわめいた。
「何もない私には関係ない」と思う反面、
「何かやってみたい」と感じる自分が、確かにいた。
陽菜は、そのフリーペーパーを持ち帰って、机の上にそっと置いた。
見なかったふりをするには、ちょっとまぶしすぎた。
⸻
その夜、眠れないままノートを開いた。
「好きなことって、何だろう?」
書き出すと、意外なほど手が動いた。
・ことば
・空の写真
・静かな音楽
・誰かの気持ちを想像すること
・小さな幸せを見つけること
「……なんだ、あるんじゃん」
自分の“好き”は、大きな才能じゃないかもしれない。
でも、それでも誰かの灯になるなら、差し出してみたい。
そう思ったとき、胸の奥で、小さな光がともった。
⸻
次の月、陽菜は交流会に参加した。
「“こころのことば”カード作り」をテーマに、小さなブースを用意した。
色とりどりの紙に、やさしい言葉や、自分が救われたフレーズを書く。
持ち帰ってもいいし、誰かに渡してもいい。
子どもが、「このことば、ママにあげたい」と笑ってくれたとき、
陽菜の胸は熱くなった。
夢って、もっと遠くにあるものだと思っていた。
でも今は、こうして手で触れられる。
帰り道、陽菜は空を見上げた。
夕焼けが、やわらかく広がっている。
「これから、私は“灯す人”になりたい」
誰かの心に、小さな光がともるように。
そのために、今日も私の“好き”を、生きていく。