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雨宿りの神社

アイライン濃いめ太夫です。

処女作です。

どうか生暖かく見守ってください

梅雨というのはあまり好きではない。

ジメジメしていて、制服が肌にぴったりと貼りつく。歩くたびに布と皮膚が擦れ合う感覚が、気持ち悪い。

6月に入って、一週間。

空は泣き止む気配もなく、雨足は日に日に強くなっていた。


僕――上岡紳助は、今日も傘を手に下校していた。

だけど、今日の雨はそれすらも許さなかった。

横殴りの風にあおられて、スニーカーの中まで冷たく濡れていく。

たまらず、道の途中にある古びた神社へと駆け込んだ。


鳥居をくぐると、急に空気がひんやりした。

境内の奥には、色とりどりの紫陽花が咲き誇っている。

雨に打たれながらも、花びらはどこか涼しげで、少しだけ心が落ち着いた。


社の前まで進むと、すでにそこには誰かがいた。


僕よりも頭一つ分、背が高い。

170センチは、きっと超えている。

深い緑のポンチョを、顔が見えないほどに深く被っていた。

屋根の下にいるのに、フードを取る気配はない。


少し離れて傘を閉じると、ポンチョの隣にそっと立った。

濡れた前髪が額に張りつく。足元でスニーカーが重く鳴った。


なんとなく、視線を横に流す。

そのとき、彼が口を開いた。


「……君も、この雨、避けそこねたんだ。……それとも、逃げてきた?」


その声は、雨音に最初から溶け込んでいたようだった。

静かで、でも耳に残る。まるで、自分の内側から響いたみたいな声だった。


「……え? ああ、うん。雨すごいから、ちょっと……」

曖昧な言葉が、自然と口をついて出た。

本当にそれだけのはずだった。

たまたま神社が近くにあって、雨を避けただけ。


でも、「逃げてきた」って言葉が、妙に引っかかった。


え? なんでそんなこと言うんだろう。

知らない人なのに、なんか……会話が始まってる。


少し混乱しながら、僕は紫陽花の方を見た。

ぼんやりと、雨の粒が花びらを滑り落ちるのを眺める。


すると彼が、また口を開いた。


「……この神社、屋根は古いけど、雨音は綺麗なんだよね」

「君も、ここの音が好きで来たのかと思った。……でも、そっか。濡れちゃってるもんね。逃げてきた、か」


まるで自分に語りかけてるみたいな口調だった。

それなのに、不思議と僕にだけ届くような声だった。


初対面のはずなのに、なぜか違和感はなかった。

ただの通り雨、のはずが――

この出会いが、雨と一緒に、何かを流し込みはじめたような気がした。

雨音が、まるで屋根に張りついた水膜を叩いて、音の帳を降ろしているようだった。

世界が、僕と彼だけになっているような感覚。いや、きっと今だけの錯覚だ。


「……学校、そっちの坂を下った先の中学だよね?」


ポンチョの奥から、また声がした。


ドキリとした。

それは“質問”というより、すでに“知っていた”ような言い方だった。


「……うん。なんで……知ってるの?」


「傘の色と、リュックの汚れ。あと、靴。あの学校、あの靴指定だから」


――冷静な分析。偶然にしては、妙に観察が細かい。


彼はあいかわらず顔を見せないまま、紫陽花の方を向いている。


「……君、変わってるね」


気づいたら、そう口にしていた。

敵意でも好奇心でもない。ただ、ぽろっと零れた本音。


すると、彼はほんのわずかに肩をすくめた。

雨に濡れてもなお、どこか清潔で、寂しげな背中だった。


「そう言われるの、慣れてるよ。でも、それってつまり――

“君とは違う”って、言いたいんでしょ?」


どこか遠くを見るような、声。


「……ううん、そういうんじゃ……」


僕は言い返しかけて、口を閉じた。

言葉にできない何かが、喉の奥につかえていた。


ただ雨が降っていた。

屋根を叩く雨音が、まるで誰かの鼓動のように、僕の胸にも響いていた。

ふと、彼が視線を社の方に向けた。

屋根から滴る雨が、木の床を点で叩く。ぽつり、ぽつりと、一定じゃない音。

それが、急に輪郭を持って耳に届いた。


「……この雨音、昔聞いたことがある気がするんだ」


ぼそりと、独り言のように言う。


「なんていうか、懐かしいってわけじゃない。

でも……思い出すと、胸が痛くなるような、そんな音」


「記憶の音」――そう、彼は呟いた。


雨音が記憶だなんて、最初は詩的すぎてピンとこなかった。

でも耳を澄ますと、確かに雨の粒は、それぞれに違う響きを持っていた。

硬い音。柔らかい音。跳ね返る音。沈む音。


どこかで、聞いたことのあるような気がする。

心のどこか、遠くのほうで。


「……そんなふうに思ったこと、ない?」


そう言って、ようやく彼はこっちを向いた――ような気がした。


だけど、フードの奥の顔はやっぱり見えなかった。


僕は、すぐに答えられなかった。

ただ、雨が音を鳴らす境内で、黙って立っていた。


沈黙がしばらく続いた。


そして彼は、まるで雨の帳の中へ戻るように、屋根の外へ足を踏み出した。

ポンチョの裾が濡れた石畳をかすめる。


「……じゃあね。きっとまた会うと思うから」


それだけ言って、彼は紫陽花の間をすり抜けるように歩いていった。

ポンチョの裾が濡れた石畳をすべっていく。


その背中に、思わず声をかけていた。


「……あの、名前。君の」


雨の音が、少しだけ間を開けた。

振り返らないまま、彼は足を止める。


「名前か。うーん……」


一拍、何かを探すような沈黙があって、

やがて、雨に混じるように声が落ちた。


「……“雨男”って、呼ばれてるよ」


それだけ言って、彼はまた歩き出した。

名前というには曖昧すぎるけれど、でも、僕にはそれで十分だった。

雨音と一緒に、彼の存在が胸に沈んでいく。


「……雨男、か」

自分でも気づかないまま、そう呟いていた。


その背中を、僕はなぜか、目で追えなかった。

瞬きの間に、音だけになっていた。


雨音にまぎれて、消えてしまったようだった。


でも胸の中に、確かに何かが残っていた。

それが言葉なのか、声なのか、姿なのか、名前なのかすら分からないけど。


(……また会う。そう、きっと)


唐突なのに、不思議と確信があった。


見上げた空は、まだ泣いていた。

僕はゆっくりと深呼吸をした。

湿った空気と雨の匂いが、喉の奥を冷たく通った。


だけど、その涙の奥には、まだ名前を持たない何かが、静かに芽を出していた気がした。


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