#39 蠢く傀儡
人工照明が無数に並ぶ直線通路は、どこまでも続いていた。天井は高く、配管とケーブルが幾重にも這い、時折、冷却ガスの噴出口が白い霧を撒く。左右の壁には同じ間隔で分厚い扉が設置されており、いずれも内側から封鎖されている。機械のうなりも、人の気配もなかった。
ただ、空気が重い。重金属のようなにおいが、ブラストの鼻腔の奥を刺す。
『左前方、死角。通気管が交差してる』
無機質な女の声が通信に入る。カームの声だ。
ブラストは即座に頷き、フルフェイスマスクに内臓されたHUDに視線を飛ばすと、スキャナーモードを起動した。
熱源反応はなし。しかし、妙な違和感だけが残る。
一瞬、歩みを止めて耳を澄ます。そして気付いた。
(静かすぎる……)
このセクターに突入した際にはまだ遠くに聞こえていた、法務部二課の防衛部隊の銃声。それが、止んでいた。
応援が間に合わなかったわけではない。現に、十五分前の通信では援護不要との報告を受けていた。
『警戒レベルを引き上げてください』
上空を飛ぶヒューズから通信が入る。彼の音声はかすかにノイズがかかっていた。おそらく、複雑に張り巡らされたコンクリートと鋼材が電波を遮断しているのだろう。
『目視で敵影を確認しました。通路前方、第二分岐の奥からそちらに向けて進行中です』
『敵の数は?』
『三体。操者は視認できず。法務部二課の小隊が三体程度に全滅するとは考えられません。私は更に後方を偵察します』
『あいよ。カーム、俺のことは気にせずヒューズの旦那と先行してくれ』
『了解』
ブラストを核としたチームは互いの役目を瞬時に設定する。
上空のヒューズが背部のメインスラスターを吹かし前方へと先行していくのを視界の端で確認したブラストは、自身は走る速度を緩めて慎重に周囲を窺う。
HUDが示す周辺マップには、分岐を一つ超えた先が細い通路上になっていることを示していた。
手持ちの武装と第一波と戦闘を行った法務部二課から共有された黄昏劇団の特徴や戦法から、最適な戦術を脳内で即座に構築していく。
周囲をぐるりと見回し、総務部が無数に配置した観測用ドローンの一台がブラストを補足しているのを確認して、フルフェイスマスクの中で小さく呟いた。
『法務部一課ブラストより作戦指令室、これより戦闘を開始する』
『……作戦指令室よりブラスト。ご武運を』
コンクリートの床を一際強く踏み込み、ブラストは駆け出した。
迷宮のような無限回廊を構成する幾重にも張り巡らされた細い通路の一つを、鈍色の人形が悠然と進んでいた。
鋼の脚が床を叩き、見た目以上の重量感を示す衝撃が通路に反響してソナーのような音を立てる。
黄昏劇団の操る自動人形が一体、通路の手前で待ち構えるブラストの視界へと入り込む。
その背後から、もう一体が踵を揃えて現れた。
脚部の駆動部品が正確なリズムを刻み、互いの軌道が寸分もぶれずに重なり合う。
ただ一つ違うのは、警戒する方向のみ。
鏡合わせのように互いの背後を補い合うその様子は、自動人形のスペックを最大限有効活用した偵察方法といえるだろう
まさしくそれは、初めから二体で一組となることを前提に造られたかのような統一された動きだった。
「……二体か」
ブラストは視線を落とし、双脚の動きを正確に観察する。
ヒューズからの報告と食い違うことへの疑問ではない。眼前の敵をどう処理するか、という自問自答だった。
二足歩行する人型の機械。自動人形を一言で表現するなら、それで事足りる。
だが、ブラストはその自動人形が他の企業の並の私兵よりも数段厄介な相手であることをこれまでの経験から嫌というほど理解していた。
自動人形の武装自体は、その運用を警戒するほど特殊なものではない。
黄昏劇団の運用思想か、はたまた開発者の趣味か、意匠は蒸気機関や歯車を散りばめたある種芸術的とも呼べるもの。
装備に関しても、操者自体が細かな制御を苦手とするからだろう。余程の手練れでなければ、剣や槍、槌といった原始的な近接戦闘武器に限られていた。
戦略性の無い意匠に、原始的な武装。しかし、そんな余裕さえ表現できてしまうほどの圧倒的な膂力と耐久性を自動人形は有していた。
二体の自動人形たちも、その例に漏れず、片方はランスを装備し、もう片方はロングソードを握っている。
金属製の白い顔面には感情の欠片もなく、目も口もないのっぺらぼうのようにヒトの頭部を模しているのみ。
自動人形たちが進む通路はわずか四メートルの幅しかなく、左手側には赤く点滅する非常灯、その奥に封鎖された金属扉が鎮座している。
右手側は無機質なコンクリートの壁が果てしなく続き、逃げ場は一切ない。
空気は乾燥していて、漂うのは埃と油、そして金属の匂いだけだった。
一気に仕留めるなら、今だ。
ブラストは通路の脇から飛び出すと、倒れ込むほどの前傾姿勢で右足に体重を預け、左脚で床を蹴った。
機動義手の出力が上昇し、抜き放った蒼い刀が嵐のような激しい風を巻き起こし始めた。
「ハッ!」
短く息を吐きながら、ブラストは一気に距離を詰める。
前方を警戒していたスピア持ちの自動人形が反応し、軸足を引いて迎撃の体勢を取った。
間合いはおよそ四メートル。
通常の剣戟では届かない距離だったが、ブラストの跳躍は突き出された槍先を躱し自動人形の間合いの内側へと伸びていた。
蒼色の刀身が通路の空気を裂き、コートの裾がはためく。
風舞断の刃が、風そのものを捻じ伏せるような軌跡で自動人形のランスを持つ腕ごと敵を断ち斬った。
切断面からは赤い血ではなく、火花混じりの白煙が立ち昇り、内部に走る導線が焼け落ちていく。
左手の鋼剣『ヘスペラス』が鈍くその切っ先を閃かせ、武器を失った自動人形の首を叩き落とした。
同時に、崩れ落ちた一体目の背後からもう一体が迫る。
逆関節の脚部が跳ね、木目のような紋様の浮かぶ特徴的な意匠のロングソードを高く構えて振り下ろそうとした。
ブラストは反射的に腰を沈め、スライディングしつつ自動人形の背後へと身体を滑り込ませる。
敵の剣先が空気を裂いて通り過ぎ、一瞬前までブラストがいた場所に深く食い込む。
擦れた金属音と粉塵が通路を満たし、赤い非常灯が埃の粒を赤く染めた。
その動作に合わせて機動義手からフックショットが射出され、先端の鉤爪が自動人形の脚へと突き刺さる。
伸び切った鋼鉄製の鎖が瞬時に収縮し、自動人形の身体を床へと引き摺り倒した。
「オラァッ!」
ブラストはスライディングの体勢から反転し、無防備になった自動人形の背面へ蒼刀を振り下ろした。
風舞断の刃が敵の頭頂部から胸元までを縦一文字に斬り裂き、胸元に埋め込まれた炉心を露出させる。
外殻を断ち斬られ淡い青白い光を放つ発熱体が白煙を吹き、火花が細い筋になって散った。
敵は膝を突き、かろうじて剣を構え直そうとする。
しかし、その瞬間にはすでにブラストの義手が電磁杭の射出体勢を執っていた。
電磁杭に込められた電力がスパークを起こし、青い光が一点に収束する。
至近距離から雷速の電磁杭が撃ち込まれ、炉心を正確に貫いた。
のっぺらぼうの頭部が震え、ショートした全身が痙攣ののちに力を失う。
黒く焼けたシリコン片と導線の断端がこぼれ落ち、金属の膝が床に沈む。
血の匂いは一切なく、ただ焦げた電子部品と油の匂いが鼻を突いた。
「……さて、後一体か」
ブラストはそう呟き、通路の奥から顔を覗かせた三体目の自動人形へと殺気を飛ばした次の瞬間、その胸部が吹き飛んだ。
一拍遅れて、雷鳴のような音と共に空気を破り捨てるような衝撃波が響く。
自動人形の足元に白い粉塵が舞い上がり、非常灯の赤がそれを血風のように照らした。
行き場を失った殺気を眉間に皺を生み出しながら霧散させ、ブラストは姿の見えぬ相棒に通信を送る。
『カーム。別に俺はピンチってわけじゃ……』
『遊んでないで、早く合流』
『へーい』
相変わらず、掴みどころの無い奴だとブラストは口端を持ち上げる。
銃弾が飛来した方向を眺めやる。数十メートルかはたまた数百メートルか分からないが、何者にも感知させずこの精密射撃をやってのけた彼女には毎度ながら戦慄さえ覚える。
『見えてるから。急いで』
『へーいへい、人使いの荒い相棒なこって』
その歯に衣着せぬ物言いがブラストにとって愉快で心地よいということは決して知られまいと、ブラストはマスクの奥でニヤリと笑い二人を追いかけるのだった。
無限回廊の上層、外部の環境光を映す厚いガラスの天井ギリギリを、黒い影が飛行していた。
最小限に絞った出力で、飛行音は無音に近い。
肩部に展開された大型ウィングバインダーが、空間制御と姿勢保持を自律的に繰り返している。
その翼の持ち主、ヒューズは何も言葉を発さず、ただ真下の標的を凝視していた。
眼下では、コンクリート迷宮のような無機質な通路を疾風のような蒼い影が駆け抜けていた。
蒼い装甲服に身を包んだブラストが、その体を弾丸のように加速させ敵群へと突き進んでいる。
ブラストの前方には十体ほどの自動人形が彼を取り囲むように展開していた。
彼は敵郡の真っ只中に飛び込むと、両手に握った双刀で手近な一体を斬り付ける。続けて左腕の義手を振り上げると、自動人形たちの反撃を躱すように走りながら電磁杭を射出する。
長剣を振り下ろしていた自動人形の胸部、ちょうど炉心にあたる箇所へと電磁杭が突き刺さり、落雷でも浴びたかのように紫電が弾けヒューズの目を一瞬だけ眩ませる。白煙を立ち上らせながら崩れ落ちた自動人形が隣の機体に激突する。
視覚、聴覚、そのどちらもがその瞬間飽和していた。その隙を、狙撃手は決して見逃さない。
雷鳴は三度。矢を継ぐよりも早く、疾く。放たれた弾丸はブラストを取り囲んでいた三体の自動人形の炉心を撃ち貫いた。
くわん、と残響するI.P.E.社製レールガン特有の銃声がヒューズの鼓膜を叩く。
(金属塊のような自動人形の装甲を容易く貫くあの威力、頼もしいですねぇ)
状況を俯瞰しくすりと笑っていたその時、ヒューズの視界の先に光沢を放つ卵のような物体が現れた。
否、卵ではない。羽を畳んだ鳥が枝に掴まっているようなフォルムのそれは、猛禽を思わせる姿を持ちながらも羽毛や嘴から放たれる色、威圧感はブラストたちが戦っている自動人形と全く同質のもの。
それは、梟を模した金属製の飛行機体だった。
灰白色の外殻と丸みを帯びた球体関節。各部に配された観測機器が、吹き抜けの下層を俯瞰している。
偵察用と判断するには鋭すぎるその眼光を、ヒューズもまた真っ向から睨み返した。
『ヒューズです。回廊上層、鉄骨梁の上部に猛禽型自動人形を一体発見しました。これより接敵します』
『こちらからは視認できず。援護不能』
『問題ありません。貴女はブラストの援護を頼みます』
カームへと短く通信を送り、言外に“複数の敵観測手に注意せよ”と伝える。
通信を終え再び意識を自動人形へと向ければ、相手は今まさに羽を広げ飛び立とうとしていた。
彼我の距離はおよそ四十メートル。
「操者に聞こえているかは分かりませんが……その不遜な態度、翼諸共撃ち落として差し上げましょう」
腰の双黒刀を抜き放ちながら、ヒューズは短く息を吐き出す。
肺の中の空気を搾り出し急加速の圧に耐えるべく腹筋を締め上げると、背面のメインスラスターの出力を急上昇させる。
大型ウィングバインダーとサブスラスターで小刻みに軌道を修正しながら、ヒューズは猛禽、梟型の自動人形の懐へと一直線に飛び込んだ。
梟型自動人形には未だ大きな動きは見られない。
反応が遅れるのも無理もない。ヒューズに出会うまで、空は彼の領域であったのだから。
ヒューズの身体が、鉄骨梁から飛び上がった梟型自動人形の下をすり抜けた。
《《ぐりん》》と梟の首がヒューズを追って回転する。
カメラの自動追尾機能、そしてこの距離なら捉え切れると判断した操者の思惑。
その全てを加速とともに置き去りにして、ヒューズの身体が跳ねるように舞い上がる。
烏は一瞬で上下を反転し、梟の両翼へと鋭角の斬撃を振り下ろした。
機械仕掛けの翼が砕け、浮力を失った梟型自動人形が体勢を崩して宙を泳ぐ。
攻撃は止まらない。蛇腹状の黒い刃尾が、背部の飛行ユニットからしなるように展開される。
その武装の名は、打突兵装、鵙。ヒューズが捻り込むように空中で旋回しながら射出した瞬間、砕けた翼の間を縫って梟型自動人形のへと突き刺さった。
「さて、これで敵の《p目は潰しましたね。操者は……」
納刀と残心を終えたヒューズは姿勢制御用のバーニアを一瞬だけ噴かすと螺旋を描くように静かに降下を始めた。
眼下では、戦場となっている無限回廊の側壁が幾何学的な模様を描いている。人工照明のもと、灰色の床と天井が濡れたように鈍く光り、視界は明瞭だった。
高所からの俯瞰によって、敵の配置はすべて把握済み。ブラストとカームが危うげなく人型自動人形の残骸の山を築き上げている姿も小さく見えている。
ヒューズが探すのは、未だ姿を現さない自動人形の操者たち。
黄昏劇団の自動人形操者は直接的な戦闘能力を持たない。その代わりに、デミ・サイコの念動力で自動人形を操る。
攻撃力、耐久力に優れた自動人形は厄介な敵ではあるが、念動力の届く範囲には限度があり、また自動人形を撃破された場合は操者はフィードバックによって激しい痛みを脳に受けることも判明している。
僅かな窪みや段差の陰を旋回しながら探して、探して、探して。小刻みに震える小さな影を見つけ、ヒューズは目を細めた。
『こちらヒューズ。自動人形の操者を発見。数はおよそ二十。撃滅します』
『了解。こっちの残りは十体程度。操者の護衛に注意して』
ブラストからの返事はないが、通信は届いている。彼は彼の仕事を、自分は自分の仕事を果たさねばと、ヒューズは襲いかかる重力加速度にその身を投じた。
ヒューズが降り立ったのは、複雑に入り組んだ無限回廊の中層。先ほどまでいた天井付近の上層、ブラストたちが戦う下層の中間に位置する細い通路と遮蔽物の連続するエリアだった。
なるほど、ここならば確かに身を隠す場所も多く自動人形を操るにもうってつけの場所だとヒューズは目を細める。
「黄昏劇団の皆さん、聞こえますか。直ちに戦闘を中止し撤退してください。そうすれば、貴方がたの命まで取る気はありません」
通常回線で呼びかけたが相手からの返事はない。しかし、ヒューズとて私兵といえども自動人形なしでは無抵抗にも等しい黄昏劇団の操者を斬り捨てるのは流石に良心が咎める。
隠れ潜む場所は上空から既にマーキングしてあった。どうしたものかと顎に手を当てていたところに、背後から大きな気配がのそりと姿を表した。
「おや、これは手荒な歓迎ですね。これを倒せば、貴方がたもさぞ撤退したくなるでしょう」
双黒刀の柄に手をかけたヒューズを睨みつけるのは、大型の四足自動人形。操者たちを守るようにヒューズに牙を剥いていた。
威圧的なシルエットは猛獣を模したものだろう。
艶のある黒い装甲。首周りには金属の鬣が施され、肩口にはスパイクのような突起がいくつも飛び出している。
全身が黄金のように磨き上げられた機械仕掛けの獅子は、その金属の脚先でヒューズの喉笛を引き裂かんと鉤爪で床を削っていた。
「梟に獅子。この十年で、黄昏劇団の顔ぶれも実に多彩になったものです。参りますよ……貴方のプライドごと、その身を引き裂いて差し上げましょう」
呟きと同時にヒューズの身体が加速する。
コンクリートの床を蹴り上げ踏み出すと、続くメインスラスターの噴射でヒューズは一条の閃光となる。
爆発的な速度で肉薄し、そのまま首を断ち斬ろうと黒刀を抜き放つその刹那、獅子の双眸がヒューズを捉えた。
顎門を開き、突起の付いた方を怒らせヒューズを迎え撃つ獅子型自動人形。
瞬きの内に、ヒューズの首を獅子が食い千切るだろう。
だが、しかし。
「反応速度は……その程度ですか」
ヒューズはそれを予見していた。
光を反射しない、艶消しの双黒刀が抜き放たれる。
姿勢は床とほぼ並行。滑るような低空飛行のまま速度を更に上げたヒューズは、獅子が振り上げた金属の爪が振り下ろされるより疾くその脇をすり抜ける。
そのまま胸を逸らせて鋭角に急上昇すると、神がかった姿勢制御で身体を反転させる。
「V-R.A.M.起動」
小さく呟いた次の瞬間、ヒューズは何もないはずの虚空を踏み締めてて獅子型自動人形を急襲した。
V-R.A.M.。Variable-Reverse-Aeromotive-Mechanismの頭文字を取ったこの装置は、ヒューズの装備する天目壱式に搭載された機体制御機構の一つだった。
空中での慣性制御を主眼に設計されたこの装置は、瞬間的に進行方向を逆転させることで、従来ヒューズが補助的に用いていた使い捨ての反重力ユニットと同等の“空間反発”のような機動を複数回実現させることを可能にした。
何もない空中を踏みしめ、瞬時に真逆の方向へ跳ね返るような挙動をすることから、『バウンス』という通称が付けられた。
急上昇した速度を倍増させて跳ね返ったような膨大な運動エネルギーをその身に纏った黒き閃光は、獅子の躯体頭から尻尾まで一刀の元に両断した。
返す刀で、剥き出しになった炉心を刺し貫く。
轟音と共に獅子型自動人形が倒れ、金属をかき鳴らすような悲鳴が無限回廊に木霊する。
その巨体の奥から現れた獅子の操者と思わしき黄昏劇団の女もまた、フィードバックを受けて悲鳴と共にのたうち回っている。
すぐさま腰のホルスターからリリアナを抜き撃ち。一呼吸の間に放たれた二発の銃弾が、操者の両膝を正確に穿った。
支えを失い崩れ落ちる黄昏劇団の兵士の首にヒューズは手を差し伸べる。
兵士の視界が大きく傾いて、次に感じたのは頬に当てられた冷たい刃の感触。
黒刀《瑞鳳》が、仮面の縁からそっと触れるように差し込まれていた。
「お静かに願います」
仮面の奥で見開かれた瞳が、冷静さを失って目まぐるしく揺れ動く。
糸の切れた操り人形のようにカクカクと小刻みに上下するのを確認して、ヒューズはそっとその身体を床に横たえた。
「仲間と共に引き上げなさい。背中を撃つような者は、ここにはいません」
周辺に潜む操者たち全員に聞こえるように声を発すると同時に、ヒューズは再び静かに宙へと舞い上がった。
湿気った空気の中に、金属同士のぶつかる音が微かに混じる。
通路での乱戦に勝利したブラストは、先に進んだ小さな広間で幽鬼のように単独で現れた人型の自動人形と息もつかせぬ高速の斬撃を交わしていた。
銀灰色の外装に関節部のみを補強されたその個体は、両手に大振りのナイフを握り、低く構えたまま突進してくる。
その動きに迷いはなく、軽微な損傷も一切意に介していない。
今までの敵とは明らかに違うその洗練された動きに、ブラストは攻めあぐねていた。
「アタリ……引いちまったかッ!」
ブラストは、風舞断と鋼剣を両手に構え、重心をやや後ろ倒しにしながら応戦していた。
二刀による防御は、速さと技量を要求される。
それでも、彼の斬撃は正確で、的確に敵の攻撃を受け流し続けていた。
(間合いが短ぇ……!)
自動人形のナイフは刃渡り三十センチ程と刀よりもリーチが短く、密着戦に持ち込まれるほどブラストに不利を強いる。
さらにその個体は、鋼の外装を持ち、人間では不可能な姿勢からでも致命の斬撃を繰り出せる強靭さを併せ持っていた。
一撃ごとの衝突で響く鈍い衝撃が、次第にブラストの腕に疲労を滲ませていく。
太刀筋が鈍る前に間合いを取るか、それとも強引に勝負を決めにかかるか。斬撃を受ける度に先の展開を何通りにもシミュレートを重ねる。
逡巡を重ねていたブラストがナイフを大きく弾いた。
『突貫します、右へ大きく避けてください』
『は、ちょ!?』
ブラストが遮二無二サイドステップを踏んだ次の瞬間、風を切るような高音と共に黒影が自動人形横を掠める。
直後、自動人形の左脚が大腿の半ばから斜めに寸断されて宙を舞った。
切断された鋼製の外装と内部のケーブル類が、弾け飛ぶように床に落ちて跳ねる。
「俺ごと挽き肉にする気かよ!」
「無駄口は後です。来ますよ」
体勢を崩すかに見えた自動人形はしかし、一切バランスを乱すことなく。
さも当然とばかりに、片脚でそのままブラストへと襲いかかった。
「こンの、カカシ野郎が!」
驚愕の声を上げつつも、ブラストは即座に身を翻して斬撃を受け流す。
敵の軸足は不安定なはずだった。
にもかかわらず、その精密なナイフ捌きと踏み込みはまるで地に吸い付いているかのように苛烈だった。
「挟撃します。この個体、危険過ぎる」
低く滑るような飛行軌道を描いてヒューズが再び広間を横切った。
天目壱式の爆発的な推進力と共に、黒い残像がブラストとは反対側から一気に敵の懐へと潜り込む。
その動きに、ブラストも反応した。
左右から同時に四本の刃が、寸分の狂いもなく敵を追い詰めていく。
二人と一体の剣圧が交錯し、火花が四散する。
だが、それでもなお自動人形は怯まず、両腕に握ったナイフで的確に受け流してくる。
(この自動人形の操者、バケモンかよ……)
頭部を覆うマスクに隠れたブラストの額に、玉のような汗が浮かぶ。
自動人形の戦闘能力は、それ自体の性能だけでなく操者の念動力の練度によって大きく上昇する。
この操者と自動人形の練度は明らかに下位や中位になりたての兵士ではない。エースと呼んで差し支えないレベルに片足を突っ込んだ、ブラストと同類の動きだった。
ヒューズと二人がかりで連続斬撃を浴びせてもなお、致命打には届かない。
目にも止まらぬナイフ捌きで、自動人形は二人の攻撃を捌き続け、隙とも呼べぬ僅かな隙に反撃の意志まで織り交ぜてくる始末。
だが、それもいつかは限界が訪れる。
高速の連撃の末、敵の左腕がヒューズの黒刀に切断され、反射的に振り上げた右腕も、ブラストの風舞断が手首ごと叩き落とした。
ようやく、二人の間で自動人形の体勢が崩れる。
「今です」
「あいよ」
ヒューズが低く唸るように言う。
返す刀で胴を薙ぎ、ブラストが一瞬遅れて首を斬り上げた。
外装を斬り裂く甲高い金属音の後、自動人形の躯体が中空で崩れる。
張り詰めた余韻が消えていくように、ばらばらになって地面へと落ちた。
頭部と胴が異なる方向へ転がり、静寂が訪れる。
だが、終わっていなかった。
数十メートル先の通路奥、隠れていた扉の奥から震える足取りで人影が飛び出してきた。
神経接続によるフィードバックで錯乱状態に陥った操者だった。
口元は泡を吹き、目は虚ろに見開かれ、まともな意識が残っているようには見えない。
それでも、今にもこちらに襲いかかるかのような足取りで、ふらふらと近づいてくる。
次の瞬間、その頭部がにわかに破裂した。遅れること一拍、遠雷のような轟音。
どこかから放たれた銃弾が正確に眉間を貫いていた。
『処理完了。周囲に敵影見えず』
『……ふぅ。ありがとうございました』
ヒューズが小さく息を吐き出す。
ぐるりと周囲を見回せば、ブラストの背後上部の換気ダクトからカームが飛び降りてくるところだった。
静かに着地して、レールガンを肩に担ぎ直しながら二人の元へと近づいてくる。
「終わりました、ね」
「だな。流石にさっきの奴は強かったわ。二つ名リストにゃ見覚えがねぇ。隠し玉か、それともなりたてのどっちかだろうな」
残響音も鳴り止み静寂が戻った広間で二人の戦士は肩を上下させながら、ゆっくりと武器を納めた。
カームも合流し、三人は背中合わせで周囲を警戒しつつ軽く補給を済ませ息を整える。
「私としては、どこかで“常闇の抱擁者”たちの襲撃があるだろうと思っていました」
「俺もだ。もしかして、今回の大規模攻勢って本当にキサラギ化成の暴走の可能性があるか?」
「ない……とは言い切れませんが、キサラギ化成がそこまでする理由がイヅナにあるでしょうか。貴女はどう思いますか?」
「分からないし、興味もない。私はただ、ブラストが戦いやすいように引き金を引くだけ」
会話を振ってきたヒューズに一瞥だけして、カームは興味なさげに携帯食料を口に含んだ。
言葉が続かなくなったヒューズはブラストを見やるが、ブラストもいつものことだと両手を持ち上げて肩をすくめる。
「で、では……」
カームとの会話のテンポに慣れていないヒューズが、機嫌を損ねたかと勘違いして慌てて言葉を続けようとした。
そのときだった。
ブラストの視界の端、マスクのHUDに司令室からの通信が表示される。
応答した途端、総務部オペレーターの女性の焦りを帯びた声が耳に飛び込んできた。
『こちら司令室。ブラストさん! セクター38での戦闘は終了していますね!? 戦闘続行不可能な負傷はありませんか?』
『あぁ、問題ねぇよ。数はちぃと多かったが俺にかかれば……』
『セクターに至急向かってください! 黄昏劇団の二つ名持ちクラスが出てきて、被害が増大しています!』
『ったく、人使いが荒いこって。セクター21だな? 最短ルートを指示してくれ。向かいながら敵の情報を聞く』
通信の背後からは、幾人ものオペレーターが喉を枯らして指示を出す声が聞こえてきた。
司令室もまた戦場なのだと、ブラストは奥歯を噛み締める。
通信を終えたブラストの指示を待つヒューズとカームの方へと視線を向け、ブラストはオペレーターから送られてきたデータと目的地を転送した。
「セクター21から救援要請だ。他の奴らは手一杯。動けるのは俺らだけだってよ」
「なら、行くしかないですね。先行して上空から偵察してきます」
「狙撃ポイントの確認をお願い。占拠されていれば、排除も」
そう呟いたカームの背で、光学迷彩のマントが揺れる。
ヒューズは空へと浮かび上がり、二人は再び走り出した。
その先、職員用の裏ルートを通り幾つかの分岐路を抜けた中層階。
狭く入り組んだ区画を突き抜けた瞬間、銃声と破砕音が交差し、空間の温度が跳ね上がる。
応援要請の入っていたセクターは、すでに火花の海のただ中だった。
ブラストは、息を吐く暇もなく、駆け込んだ。
視界に入った敵を撃ち、物陰から飛び出してくる自動人形を斬り払いながら、ひたすら前へ。
どこかで、カームの遠雷のような銃声と、ヒューズの鋼を打つ刃の音が混じっていた。
長い戦いだった。
自分がどれだけの区画を移動し、何体を斃したのかも、もはや定かではない。
気づけば腕は鉛のように重く、脚も熱を持っていた。
だが、止まる理由も、時間も、ブラストたちには与えられなかった。
床に散った薬莢が、数秒ごとに硬質な音を立てる。
それだけが、この空間に時間が流れていることを知らせていた。
そうして、時が満ちた。
向かい合ったどこかの広間の先、一体の自動人形が無言のまま踵を返した。
まるで何かを感じ取ったかのように。あるいは、時間切れのように。その後ろ姿には今までの苛烈さも、辿り着けなかった無念さも感じられなかった。
次いで、また一体。
それに続くように、残された敵影が一斉に動き出した。
誰もが、それが“逃走”ではないことを感じ取っていた。
彼らは、計画の一部として退いていた。
自らの意志ではなく、命令によって。
「何が起きてるんだ……?」
ブラストが呟いたその時、一本の通信がブラストの耳に飛び込んだ。
総務部からのものではない。個別回線で連絡してきたのは、会議に出席しているハムドからだった。
『ブラスト、聞こえる? 僕だ、ハムドだ。会議は無事終わったよ』
『お疲れさん。こっちは黄昏劇団の連中が一斉にお帰りあそばされて困惑してるとこだよ』
『会議の決定の一つだよ。京極ハイテックスが仲裁を持ち掛けたんだ。それで、今回の大攻勢での【鎧の男】の目論見の如何に関わらず、I.P.E.が報復しないことを承諾した。大企業同士で争っている場合じゃないと、今後一定期間は六大企業間の相互不可侵条約が締結されたんだ』
詳しいことは会って話すと言い残し、ハムドとの通信は終わった。
銃を構えたまま、ブラストは視線を流す。
引いていく。敵も、戦いの熱も、全てが。
やがて広間の向こう、通路の奥へ最後の一体が姿を消すまでブラストは銃口を向け続けた。。
これが津波の前の引き潮ではなく本当に戦いの幕引きであると確信が持てたのは、銃身がとっくに冷え切ってからのことだった。
こうして、I.P.E.拠点防衛戦。
キサラギ化成による無限回廊への大規模攻勢は、長い一日の果てに終息を迎えた。




