#23 朝の狭間で
本日より、6月の四日連続投稿を開始します!
下層街区の朝は、いつも灰色だった。
朝靄とも呼べぬほど薄汚れたスモッグが、傾いた看板と砕けた舗装の隙間を這いまわっている。
瓦礫の隙間から吹き出すのは蒸気なのか排気なのか判別もつかず、頭上で軋む配管は不定期に重油混じりの液体を滴らせていた。
通勤とは名ばかりの行進が始まるのは、午前六時半を少し過ぎたころ。
メディオ地区下層街区のアー27地区の一角、通称“塩街”と呼ばれるこの一帯は、かつての塩素工場跡地を無理やり住居区に改造したスラム街である。
見上げるビルは全て廃墟。吹き抜けた窓の隙間に布と板切れをくくりつけ、強引に住処へと作り替えた痕跡が並ぶ。
ファルは、その路地裏をぶらぶらと歩いていた。
右手には傷だらけのバイク用革手袋、左肩には飴色のショルダーホルスター。身なりはそれなりに整えているが、歩き方は完全に「地元の人間」のそれで、誰も彼に警戒することはなかった。
治安維持という名目はある。
が、実際には顔馴染みの連中に挨拶して回りながら、目立つ問題が起きていないかを何となく確認しているに過ぎない。
建前と本音が継ぎ接ぎになったような街には、それで充分だった。
「おう、ファルの兄ちゃん。昨日の奴ら、ちゃんと引っ込めといたぜ」
「ありがとな。ま、あんまり手荒にしないでやれよ。骨が折れたら病院代俺が出す羽目になる」
小さな酒場の主人と他愛もないやり取りを交わし、歩を進める。
露店の軒先では、油の匂いをさせた女たちが朝の仕込みに取りかかっていた。時折、目が合うと微笑んで手を振ってくれる。
それに無言で頷き返し、ファルは目的の屋台へと向かう。
瓦礫の壁際に、パイプを無理やり鉄板で組み合わせただけの屋台があった。
看板はない。あるのは形容し難い色のペンキで書き殴られた『朝飯』という文字だけ。
ファルは慣れた手つきで腰掛け、鉄板越しに一言。
「いつもの頼むぜ」
店主と思しき男は返事をせず、ただ頷いて作業を始める。
やがて差し出された丼には、粉砕再加工された栄養バーを麺状に押し出し、出汁とも油ともつかぬスープで煮込んだ、得体の知れない“ヌードル”が浮かんでいた。
茶色い麺が微かに発光しているのは、多分、気のせいではない。
「うーん……マシな靴底の味……いや、今日のは少し柔らかいな。昨日より煮込んだか?」
ファルはそう呟いて箸を進める。
味に文句はない。いや、文句しかないが、慣れれば腹には収まる。
少なくとも、胃の中で爆発するような試作食料よりは、だいぶマシだ。
朝食を終え、丼をカウンターに戻して立ち上がると、その瞬間だった。
細い路地の影から、三人の若者が姿を現した。
安物のジャケットに身を包み、足元は擦り切れたスニーカー。
手にした鉄パイプの構えも、どこかぎこちない。目は泳ぎ、肩の力も抜けきっている。
一番前の少年だけが、歯を食いしばるようにして前を睨んでいる。
腰は引けているが、その表情だけは、不器用な覚悟に満ちていた。
「ちょっと待てよ、兄ちゃん……金目のモン、持ってんだろ?」
声も震えていた。言い慣れない台詞を、喉から無理やり搾り出したような声音だった。
ファルは振り返らず、肩越しに視線だけを向けた。
眉をひとつ上げ、かすかに笑う。
「……あー、懐かしいな」
独りごちるように呟く。
あの頃の自分を重ねた。
腹は空いていて、行き場もなくて、何かを奪うしかなかったあの時代を思い出す。
「俺もよ、昔はそうやって突っかかってたもんだぜ。……でもな」
ファルは振り返り、真正面から三人を見据えた。
「そんな腰の引けっぷりで、ギャングが務まるかよ。ナメてんのか?」
言い方を考える気はなかった。
その言葉が火種になることも、もちろん分かっていた。
リーダー格の少年が、目を見開いて顔を歪めた。
次の瞬間、叫び声と共に鉄パイプが振り上げられた。
先頭の一人が鉄パイプを肩に構えたまま、ファルの背中めがけて突進してくる。
ファルは一歩も動かず、背後からの足音だけを聞き取り右足を軸に体を回転させると、肘を振り抜いた。
鋭い音が鳴り、相手の腹部に一撃が入る。膝が崩れ、少年は吐き出すような息を漏らして膝をついた。
二人目が横から襲いかかる。
ファルは左手で相手の手首を掴むと、そのまま肩ごと引き倒した。体重を乗せて叩きつけられた少年は、声を上げる暇もなく路地の地面に沈んだ。
三人目がナイフを抜く。手つきも覚悟も甘すぎる。
不安と恐怖に、刃先が揺れていた。
ファルは歩みを止めずに前に出る。
相手の腕を取ってひねり上げ、ナイフを持っていた手を無力化する。地面に小さく、金属が落ちる音がした。
ファルはその手を離すと、ナイフを拾って地面の脇へと蹴飛ばした。
「ここで怪我しても病院代は出ねぇし、俺も出さねぇ。だからやめときな」
三人は何も言えず、地面に座り込んでいた。
ファルは屋台に戻り、カウンターに手をかざす。
掌に埋め込まれたICチップが読み取られ、料金が引き落とされる。
「悪かったな、店主。こいつらの分だ」
店主は小さく頷くと、言われた通りの品を作り始めた。
再生ヌードル三杯。スープはやや少なめ。
ファルは振り返り、倒れている少年たちに声をかけた。
「次に誰かから盗ろうと思うなら、相手が誰かは見とけや。俺が教えるのは今日だけだ」
彼らは無言のまま頷いた。
そのとき、ポケットから着信音が鳴る。
取り出した携帯端末の画面には、勝手に登録された決めポーズの写真が映し出されていた。
『……おはよう、ファル。今起きた。これから向かうから、例の件、よろしく。メディオ支社で良かったよな?』
やや低めの落ち着いた声。
淡々としつつも、どこかマイペースな印象を受ける声のトーンだった。
「ねぼすけだなヒーロー。メディオで合ってるぜ。極東重工の支社で会議室が抑えてある。正面ロビーで待ってるぜ」
『昨夜の戦闘が長引いてね。それと、君が早起きなんだよ。了解、9時には着くさ』
ヒーロータイムだからな。とおどけて言い、セイナとの通信が切れる。
ファルは軽く息を吐き、店主に手を挙げた。少年たちにも目線で合図を送る。
「ヌードルはちゃんと食ってけよ。味は最悪だが腹に溜まる。もし今後困ったら俺を訪ねてこい。極東重工でファルって言やぁ通じるからよ」
夢中で麺を啜る若者たちに言い終えると、歩き出す。
背後からは誰も追っては来なかった。
だが、数歩進んだところで……。
「……ありがとう!」
か細く、だがしっかりとした声が届いた。
ファルは振り返らないまま、手をひとつだけ挙げた。
ファルは屋台から離れ、朝靄に包まれた路地を抜けて表通りへ出た。
少し歩いた先、瓦礫の隙間に隠すように停めてあった黒いバイクが待ちかねたように起動音を鳴らす。
サイドスタンドを蹴り上げシートにまたがると、ハンドルに手をかける。
排気を抑えたエンジンが低く唸り、重心の低い車体がなめらかに走り出す。
スラムの雑踏を抜け、徐々に整備された通りに出る頃には、リージョンプレートの間、遠くに見える狭い空もわずかに明るみ始めていた。
バイクの加速に合わせ、風景が変わっていく。
瓦礫とスモッグに覆われた路地裏は次第に後ろへ遠ざかり、金属板で補修された舗装路が現れる。
やがて街路樹らしき植生が歩道を飾り始め、頭上に伸びる送電パイプもきちんと外装の中に収まっていく。
下層街区から中央に近づくにつれ、街はまるで別の国のように整っていた。
壁のひび割れは少なくなり、どこかの企業のドローンが上空にちらつくのも日常の一部として受け入れられている。
通行人の顔つきも変わる。目を伏せて歩く者は減り、どこか余裕のある足取りが増えていく。
ファルは、ハンドル越しに流れていく街の景色を眺めながら、ゆっくりと息を吐いた。
街の空気が変わるたび、記憶の底から、古びた匂いや声が浮かび上がってくる。
血の匂い。煙の色。短くも強烈な笑い声。
ついさっきの若いギャングたちの顔が、思いのほか記憶を揺らした。
そういえば、あんなふうに突っかかっていた時期が、自分にもあった。
何者でもなかった少年が、初めて“名前”をもらい、居場所と呼べる場所に足を踏み入れた頃。
いまはもう破壊され尽くし、人の気配の消え失せたザフト地区下層街区の廃墟の一角。
その奥に、かつて存在した『Shadow Sun Embers』という名のギャング団があった。
ただの非合法組織。だが、あの頃の自分にとっては、それがすべてだった。
法が届かぬ闇の中で、誰よりも熱く、愚かに、仲間たちと生きていた。
ファルは軽く顎を引き、アクセルを少しだけ開いた。
風が変わる。街並みが変わる。路面が滑らかになり、建物の輪郭が整い始める。
だが、あの記憶は、どこにも馴染まなかった。
整えられた舗装の上にも、磨かれたガラスの下にも。
あの頃の笑い声や、怒鳴り声や、乾いた足音は、もうどこにも残っていない。
それでも、忘れるわけにはいかない。
かつて確かにそこにいた少年と、名前をくれた仲間たちと、そして、なぜそれが壊れたのかを。
かつて、ファルには帰る場所があった。
貧しく荒れた下層街区にあっても、そこだけは確かに“居場所”だった。
仲間たちとバカをやって、笑って、時に喧嘩して、それでもひとつ屋根の下で肩を並べていた。
その中心にいたのが、ギャング団『Shadow Sun Embers』、通称S.S.E。
ただのスラムの不良集団。
法には逆らい、秩序には従わない。
けれどファルにとっては、どんなに立派な企業より、どんなに整備された街区より、誇れる“家族”だった。
その空気が、ある時を境に変わり始める。
無愛想な新入りが加わったのは、光化学スモッグの雨がシトシトと降る夜だった。
まともに名乗りもしないそいつを誰も歓迎しようとはしなかったが、アジトのリーダーが「腕は立つ」と認めた以上、口を挟む者はいなかった。
だが、その新入りが現れてから、古くからの仲間が一人、また一人と姿を消した。
最初は、よくあるギャング同士の喧嘩沙汰か、失踪だと思っていた。
けれど、日が経つごとに、音信不通になる者の数は増え、アジトには見覚えのない顔ばかりが並ぶようになった。
誰もが気づいていた。けれど誰も、それを言葉にできなかった。
“仲間”と呼んでいた奴らが、いつの間にか“居候”に変わっていた。
酒を飲む声が変わり、笑い声が変わり、視線の温度が変わった。
ファルは、胸の奥がじりじりと焼けるような焦燥に駆られていた。
次に消えるのは自分かもしれないという不安が、常に背後に張り付いて離れなかった。
それでもリーダーは何も言わず、黙々と日々を繰り返した。
ファルは、何度も聞きかけた言葉を飲み込み、ただ古びたスクラップを集めては売り払う忙しさで、その不安をごまかした。
けれど、それは“嵐”の前の、ほんの静けさに過ぎなかった。
噂が流れ始めたのは、その少し後だった。
無愛想な新入りが、どこかで“誰か”と接触していたらしい。
その“誰か”は、黒い鎧を纏った得体の知れない大人だったという。
目撃した仲間は皆、妙なことを言っていた。
「奴の目には、生き物の光がなかった」
「銃弾が通らなかった」
「仲間が奴に手を触れられただけで、身体が焼き切れた」
最初は、誰も本気にはしなかった。
だが、噂と共にあちこちのアジトが壊滅していった。
次のアジトへ向かうと言った仲間は、誰一人戻ってこなかった。
均整局も、企業の私兵たちも、誰も気づくことはなかった。
助けて、と懇願した者もいたが、見て見ぬふりをされていた。
そして、ついにファルのいたアジトにも、そいつはやってきた。
真夜中。
警告もなく、仲間の絶叫が聞こえた。
咽せ返るような血のにおいが、寝床に満ちた。
その日はどうにも眠りにつけず、ゴミ捨て場の裏手でくずれた廃材を拾っていたファルは、叫びに駆け戻る途中で足を滑らせ、鉄製コンテナごとアジトの外へ転落した。
地面に激突し、意識を手放しかけながらも、幸運にも命は繋がっていた。
目が覚めたときには、ゴミの山の中。
焼け焦げた空気と、遠くで鳴る爆発音。
アジトに戻った彼が見たのは、血に沈んだ仲間の死体と、壁に深く残された焼痕の跡だった。
弟分も、兄貴分も、無残な姿で崩れていた。
そこにあったはずの“日常”は、どこにもなかった。
そして、仄暗い天井の下。
唯一、目を開けて立っていた存在。
真紅の視線を宿した、【黒い鎧】の“大人”。
ファルは、忘れない。
忘れられるはずがない。
あの眼差し。
感情も、慈悲も、微塵も宿していない、冷たい“死”の象徴だった。
思考を断ち切るように、ファルはブレーキを軽く握った。
記憶の底から這い出してくる過去の影は、いまだに澱のように胸に残っている。
けれど、今は振り返っている場合ではない。
バイクは高架下の連絡路を抜け、やがて中央に向かう大通りへと滑り込んだ。
メディオの工業街区は國内のどのリージョンよりも規模が大きく、特に極東重工が保有する面積は数万平方キロメートルにも及ぶ。正確な数字など、総務か会計部門の人間でもなければ到底知り得ないだろう。
高層ビル群の外壁にはホログラム広告が列を成し、浮遊看板が企業ロゴを明滅させながら旋回していた。
道幅は広く、路面は清潔に保たれている。中央に近いこの区画は騒音は抑えられ、排気も規格に準じて処理されているせいか、空気には煤煙の匂いすら感じなかった。
頭上を舞う無人搬送機と、歩道を行き交うスーツ姿の技術者たち。その間を縫うように警備ドローンが無言の監視を続けている。
それがこのメディオリージョンの工業街区一等地。イー1街区だった。
極東重工メディオ支社の正面玄関。高い吹き抜けが視界一面に広がり、ロビーの床は淡く光を反射する大理石調のタイルで敷き詰められている。
受付カウンターの奥には情報端末と観葉植物、通路には警備ドローンが静かに往来しており、スーツ姿の事務員たちが足早にエレベーターへと吸い込まれていく。
制服を着た受付嬢が軽く頭を下げ、出勤する社員たちに一様の挨拶を送っていた。
そんな整った空気の中に、少々異質な姿がひとつ。
黒いバイクスーツに身を包んだファルは、受付ロビーの中央で人波を避けるように立っていた。
その姿が極東重工の平社員でないことは腰に差したホルスターの輪郭や無言の雰囲気から周囲も感じ取っているようで、必要以上に干渉する者はいなかった。
やがて、正面自動ドアが開く。
入ってきたのは、短めのジャケットに細身のスラックスというオフィスカジュアルな装いの男だった。
前を留めずに着たジャケットの裾が軽く揺れ、鋭い目つきと整った顔立ちが、周囲の視線を一瞬奪う。
営業職のビジネスマンにしてはやや大きいアタッシュケースを片手に、青年はファルと視線を交差させた。
「やぁ、待たせてしまったかい?」
男、セイナはそう言いながら、長い脚でそのまま歩み寄ってきた。
声は低めで落ち着きがあるが、どこか芝居がかった気取りと余裕を感じさせる。
「九時ちょうどだ。ねぼすけにしては上出来だな、ヒーロー」
ファルはわずかに笑い、肩をすくめて応じた。
「……君が来るまでには着いてると思ってたんだけどな。ま、ヒーロータイムってことで」
互いに言葉を交わしつつも、視線だけで挨拶以上の情報を確認し合う。
均整局での件以来、どちらにとっても冗談の裏に隠れた緊張感は、まだ拭いきれていなかった。
「中の会議室を一つ借りてある。ロビーじゃあの手の話すんのも難しいしな」
「ああ、助かる。僕も今日はお客様だからね、丁重に案内してくれたまえよ」
セイナは小さく顎を引きながらロビーを一瞥し、社員たちの流れを読んで身を引いた。
「……ここ、前にお邪魔した末端基地とは天と地ほどの差があるな。うちの会社も、このぐらい会社の顔を気にしてくれればいいのに」
「それはお前のとこの社長に直談判、だな」
冗談半分の応酬を交わしながら、二人は受付横の端末で通行承認を済ませ、奥の通路へと並んで歩き始めた。
受付の横を抜け、案内表示に従って進んだ先は、エントランスの喧騒とは打って変わって静かな空間だった。通路は白と銀を基調とした清潔な内装で、要所に配された監視カメラと警備用ドローンが、ここがただのオフィスではないことを物語っている。
「一応、俺が今日のホストっつーことで。こっちだ、ついてきてくれ」
セイナは無言で頷き、彼の後に続く。歩調は自然と揃っていた。
来客用のミーティングルームは、一階奥の防音処理が施された簡易会議室。
白い合成樹脂のテーブルを囲むように、無機質なミーティングチェアが並んでいる。
二人は向かい合う形で腰を下ろす。
ファルが椅子の背もたれから身体を起こし、淡々と口を開いた。
「さぁて、どっから話したもんか」
「君が通信ではなく直接話そうと言ったということは、そういうこと。なんだろう?」
「ああ、均整局での戦闘時……【鎧の男】を見た」
その一言に、セイナの目が鋭くなる。
「本当か」
「ああ。クリフを倒した後、尋問してたら一瞬で現れてクリフを撃ち殺して、極東重工の中型機動兵器の動力炉まで一撃で吹き飛ばして、また一瞬で消えた。姿も、装備も、ブラストやヒューズから聞いた物と全く同じだった。あの場で一緒にいたブラストも、【鎧の男】で間違いねぇと言ってたよ」
ファルは腕を組んだまま、表情を崩さずそう告げた。
「俺があの【鎧の男】を見たのは、11年前の『法闘争』の時だけだ。君は……どこかで見かけたことがあるんだったか」
「一応な。あん時は俺らもグチャグチャだったし、よくは覚えてねぇけど、今回見たアイツと、あの時俺らを襲ったやつ、武器も体格も、全部よく似てた」
セイナが眉を寄せる。
「“あん時”?」
「アレ?言ってなかったっけか。……俺、ザフトで最悪最強のギャング団だった“S.S.E.”の生き残りでな」
首を傾げたままのセイナに、ファルは「マジかよ……」と呟きながら端末を操作し、過去の事件記事を突き出す。
『S.S.E壊滅事件』。かつてザフトリージョンで一大勢力を築いていた巨大ギャングが、たった数日で壊滅した事件。反乱を起こした構成員により仲間が一掃され、その首謀者たちは一人残らず消息を絶った。動機も行方も分からない不可解な事件として、今なお都市伝説めいて語られる。
セイナは、記事に添えられた写真に目を落とす。モザイク越しに、血と瓦礫にまみれた路地が写っていた。
「……つまり君は、この事件の当事者で、そこであの【鎧の男】と出会ったわけか」
「“出会った”なんて優しいもんじゃねぇけどな。あいつはS.S.Eを壊滅させた張本人だ。少なくとも、俺はそう思ってる」
端末をテーブルに置いたまま、ファルは深く息を吐いた。
「均整局の件も含めて考えると……あの鎧の野郎、國に属してるわけじゃねぇ。だが、あちこちに手ぇ伸ばしてやがる。あん時だって、戦術兵器並みの火力に、あの身のこなし。正体はまるで分からねぇのに、やってることだけがハッキリしてる」
「均整局ザフト支部の腐敗は明るみに出たが、他の支部が潔白かと言えば、判断材料が足りない。上からの指示だった可能性も否定できない以上、俺たちは疑ってかかるしかないな」
「そっちの組織も色々あるだろ。バード商会だの、京極だの、こっちの極東重工だってな。もしあの鎧野郎が組織ぐるみで動いてるなら、賛同してる奴らがそれぞれの企業や部署に潜り込んでる可能性だってある」
「信頼が通じない世界というのは、やりづらいな」
「間違いねぇ。それに、だ……」
ファルは軽く椅子に背を預け、言葉を切った。
「誰が味方で誰が敵かも分からねぇってのに、機動兵器を一撃で沈めるバケモンが後ろに控えてやがる。どう考えても分が悪すぎんだろ」
「それでも、こちらとしては対抗策を講じなきゃならない。無策では、いずれ何かが壊される」
セイナは窓の外へ視線を投げた。企業ビル群の向こうで、工業街区を照らすリージョンプレートの人口光がガラスに反射している。
「守らねぇとな。っつーか、そろそろ俺らもなんかこう……デカくて、ダイナミックで、ゴツいやつが欲しいところだよな」
苦笑まじりに呟いたファルの言葉が落ちきらないうちに、テーブルの上の通信端末が震えた。
「……っと、ちょっと悪ぃ」
ファルは端末を手に取ると、画面に映る着信相手に眉をしかめつつも、通話を繋げる。
『ファル君ッ!! ここに居るのは知ってるぞ! できたんだ! できたできたできたっ! 徹夜三日目の最高傑作! 新機構のマガジン式ショットガン! 重くてでかくて爆音で! 早く来い、今すぐ、今!!』
一方的にまくし立てた声が止まり、再び会議室に静けさが戻る。
ファルが通信端末をそっとテーブルに戻す。
「……タイミングってのは、本当にあるもんだ」
呆れ顔で呟いたその言葉に、セイナは思わず噴き出しそうになりながら、肩をすくめた。
「行ってくるといい。どうやら、君お望みの『デカくて、ダイナミックで、ゴツいやつ』の方からやってきてくれたみたいだな」
「悪い、ちょっと行ってくるわ。俺の権限でメディオ支社の中はある程度見学できるようにしてあるから、適当に見学しててくれ。終わったら、一緒に昼飯でも食おうぜ」
「ありがたいね。それじゃ、また後で」
ファルが足早に会議室を後にする。
扉が閉まり、室内に静けさが戻った。
セイナは背もたれに身を預けたまま、ひと息分の余白を味わう。
それからゆっくりと椅子を引き、立ち上がると、軽く伸びをした。
「ふう……固まったな、さすがに」
背筋を伸ばし、首を傾けて軽く音を鳴らす。
ようやく動き出した一日が、このまま平穏に進んでくれればいい。
そんなことを、ほんの少しだけ思った。




