#22 -幕間- そうだ、寿司で償ってもらおう
午前十時を少し過ぎた頃、メディオ下層街区のヘ-22区域。
腐食した鉄骨の影を縫って走る二人の姿があった。
乾いた風が鉄錆の匂いを巻き上げ、建材廃棄場と化した高架下には、数時間前まで小競り合いの火花が散っていた痕跡が色濃く残っている。
焦げついたコンクリートの裂け目には、血ではない、黒く乾いた薬剤の染み。壁には銃弾の跳弾跡。
「それにしてもよォ、ブラストのやつ、キサラギんとこの二つ名持ち連れてどっか行ったきりじゃねえか」
ハルカが手近なガードレールを蹴りながら、不満げに言った。
「連携を取る様子はなかったな」
蓮が静かに返す。
「あの二人に接点とかあったっけ?」
「仲がいいようには見えなかったな。だが……向こうのリーダー格を引き離してくれたのはこちらとしては好都合だ」
「はは、そりゃそーだわ。まっ、ブラストが意図してやったのかは知らねぇけど」
「結果として、いい仕事をした。いつものことだ」
ハルは少しだけ肩をすくめると、飴玉を口に放り込む。
「褒めてんだか皮肉なんだか……」
「事実は事実だ。あの場にあのまま居られては、死者が増えていた」
「……へいへい。優等生な回答なこって」
ぶつぶつと文句を垂れながら、ハルは路地の電柱に片足を掛けて体を伸ばす。イヅナの法務部制式鎧の裾が揺れ、金色の髪に薄く人工光が反射した。
蓮はその隣で、フルフェイスマスクの通信機能を起動する。
「優、今のドローン、特定できるか」
少し間をおいて、通信の向こうから明るい声が返ってきた。
『うん、やっぱりキサラギの。プロト77型、制御リモートが近くにあるね。たぶん南東の六階建て倉庫あたり』
「無人拠点か」
『ううん、周辺で動いてる熱反応もあるから、たぶん人もいる』
「どうするよ、リーダー」
「接触は避ける。こっちの意図を示して様子を見る」
「うぇーい、平和路線ね」
ハルは肩をすくめると、口に含んでいた飴玉を奥歯で噛み砕く。
ぱきりと噛んだ音が、静かな路地に妙に響いた。
『あ、あともうひとつ』
灰田の声が、少しだけ調子を変えて続く。
『均整局の車両が複数、メインストリートを抜けてヘー22区域に向かってるみたい。数、三十台以上』
蓮とハルの足が止まった。
「おいおい、なンでこっちに向かってんだ。俺ら、特に問題起こしてなくね?」
「……優、均整局に対してイヅナからの声明は」
『出てない。っていうか、向こうの動きが急で。こっちもまだ全容が把握できてないんだよね』
蓮は周囲を見渡す。廃墟となった工業ビル。シェルター代わりに使われている倉庫。雨ざらしのまま路上に並ぶ水槽つきの屋台。そのどこにも、戦闘に怯え隠れ潜む気配がある。
ここは、戦場にしていい場所ではなかった。
「混乱を避ける。こちらからの攻撃行動は避けろ。すべて明確に録画を」
「えー……録画されんのかよ」
「ハルが変なことを言わなければ問題ない」
そのとき、灰田の通信に重なるように、別の通信が短く割り込んだ。
『こちら均整局第四機動部隊。ヘー22区域周辺において違法武装組織の展開を確認。包囲、制圧に移行する』
蓮の顔が僅かに強張る。
「……こちら、イヅナ法務部一課。國の企業間抗争法に基づく合法展開を行っている。現地での衝突を避けたい」
『応答を確認した。以後、すべての交戦記録は均整局の検閲を要するものとする』
「おいおい、聞く気ねェぞあいつら」
「狙いは最初から“制圧”か……優、周囲の下層住民に退避勧告を」
『やってる! けど、まだ道が足りない!』
「くそっ、やるしかねェのかよ」
ハルが肩を鳴らす。その声音は怒りとも焦りともつかない。
蓮は一つ、息を整えてから言った。
「均整局との交戦を開始する。民間人の避難を最優先。こちらの記録を以て、均整局の武力行使を記録する」
『了解。録画回線、切らないでね』
灰田の応答の直後、建材の山が弾け、破片が夜のように空を塞いだ。
戦端が、落とされた。
蓮が気づくより早く、ハルが蓮を抱えて咄嗟に飛びのいた。
「来やがったぞッ!」
破裂音。
周囲の廃材が吹き飛び、降り注ぐ銃弾がアスファルト舗装された地面を抉る。
煙と砂塵の中から、均整局の制圧部隊が姿を現した。
急所を防護する軽装アーマー、対犯罪者用の低反動サブマシンガン、そして何より、数の暴力。
「頭数だけ揃えやがって!」
ハルが叫び、手近なゴミ袋を蹴って投擲、飛び出してきた先頭の局員の視界を潰す。
蓮は素早く側面に回り、視界を切った瞬間に足を払って転倒させる。
「非殺傷優先。民間人が近い」
「言われなくても分かってらァ!」
二人の動きは、荒々しくも整っていた。
怒鳴りながら動くハルと、沈黙のまま捌いていく蓮。そのスタイルの対比は、まるで陽と陰のようだった。
灰田の声が、通信越しに震える。
『均整局、さらに三部隊。上空からのドローン展開数、10を超えたよ! 蓮さん、ハルさん、包囲されちゃう!』
「分かってる!!」
「優、避難完了後の脱出経路を――」
瞬く間に展開されていく均整局の部隊に、流石の蓮とハルも対応が追いつかない。
民間人の避難を完了させるまでは一歩も引けないと蓮も率いる小隊に発破をかけるが、通信から聞こえてくるのは苦しい情勢ばかりだった。
そして、2人の喉元に銃口が突きつけられようとしたその時。
車両が、爆ぜた。
全身に叩きつけられる爆風と衝撃。
それまでの喧騒とは桁違いの爆音が、廃ビルを震わせた。
均整局部隊の後方、二車両分の壁が吹き飛び、瓦礫の向こうから揺らめく焔の化身が姿を現す。
静かな殺気をまとい、塵煙の向こうから歩み出るのは、一人の男。
真紅と漆黒の義肢が右半身を包み、身の丈を超える大太刀を背負っている。
赫い放熱フィンが、背にかかる熱気の中でゆらりと揺れていた。
特務機関スサノヲ。九番隊 隊長タロスと、彼が率いる部隊だった
「秩序維持のため、所属不明勢力を制圧対象とする」
低く、しかし明瞭に響くその声と共に、大太刀《禍叢雲剣》が抜き払われた
空気が凍り、戦場の空気が一段と粘り気を増す。
「……なんだ、あいつ」
ハルカの足がわずかに引き絞られる。反射ではない。殺気に対する生理的な反応だ。
この一歩を誤れば、命が持っていかれる。本能がそう警鐘を鳴らしていた。
「均整局の……増援か」
蓮の声にも静かな緊張がにじむ。
「優、聞こえるか。あの部隊の所属を至急確認してくれ」
『待って! あっちはスサノヲ、識別信号一致。タロス隊長、そっちは味方――』
通信が、唐突に遮断された。
その直後。
タロスが地を蹴る。
義足の起動音と共に地面が抉れ、踏み込みが灰色の塵を巻き上げる。
白刃が、正面から水平に振るわれた。
瓦礫の影から放たれた一閃は、質量を伴いながら蓮たちへと迫る。
「っ来るぞ!」
ハルが即座に反応し、足元の鉄板を蹴って跳躍。
空中で身体をひねり、着地と同時に背中のカットラスを抜き放つ。
だが、蓮は動かない。
ただ一歩、重心を滑らせるようにずらし、刃の軌道をほんの僅かに外す。
大太刀が空を裂き、蓮のフルフェイスマスクをかすめ、削り取られた装甲が宙に舞った。
「初手で殺す気かよ。交渉もクソもねぇな!」
吠えるように叫んだハルが踵を返して跳ねるように踏み込む。
斜め下から振り上げたカットラスが軌跡を描く。だが。
タロスは義肢の脚で地面を蹴り上げわずかに重心を逸らし、上体を捻るだけで刃を躱す。
ポニーテールのような頭部の放熱フィンが揺れ、赫い義肢が鈍い光を放つ。
「速いな。お前……」
「ハル、囲む。左に回る」
蓮の声と共に、常闇が軌跡を残さずに振るわれる。
透明の刃。光を奪う“消えた剣”。
だが、タロスはそれを見ていない。にも関わらず、反応した。
右腕の義肢が生身では成し得ない反応速度で翻り、刃の軌道を打ち落とす。
音なき接触の衝撃が蓮の肩を弾き、バランスを崩す。
「初見で蓮の斬撃を躱すかフツー。厄介極まりねぇな……」
ハルが唸りながらパトリオットのセーフティを外し、銃撃と斬撃を交錯させながら突撃する。
だが、タロスは退かない。
義肢の駆動を最適化し、銃弾の合間をすり抜ける。
太刀で弾く、受ける、逸らす。すべてが寸分違わぬ制御。
瓦礫を、柱を、窪地を利用し、僅かな起伏を読み取って有利な位置を取り続けるその動きは、まさに戦場の支配者だった。
「こいつ……場の掌握が異常に上手ぇ……!」
「下がれハル。常闇の制限解除をする。“染め”……ッ!?」
蓮の号令は最後まで言い切ることは叶わない。
空気さえ切り裂く、音すら奪う斬撃が、無音の殺意としてタロスから放たれた。
それは大太刀ではない。右腰に差した小太刀“護國”の抜き打ちの一撃だった。
「がっ……」
「リーダー!」
ハルが咄嗟に割り込み、回し蹴りを叩き込む。
タロスは赫き義肢の前腕でその衝撃を受け止めると、足元へ力を流すように押し込み、体勢を崩させる。
「ッおま、こっちは戦闘の意思はねぇって言って言ってんだろ!」
「異なことを。均整局と共に居たではないか」
「俺らも! 均整局に襲われてたんだっつーの!!」
冷静な声が落ちた直後、灰田の声がようやく通信越しに戻ってきた。
『タロスさん! 蓮さん! ハルさん!!そこ、味方! 全員味方だよ! 停戦して!』
白き大太刀と透明な剣が交差したまま、戦場には沈黙が落ちていた。
蓮とタロス、どちらも動きを止めている。カットラスを構えたハルカもまた、その一歩を踏み出せずにいた。
『タロスさん、ほんっとうに勘弁してくださいね!? こっちは交戦意思ゼロだったのに全力で襲いかかるってどういうことですか!?』
通信越しに響いた灰田の声が、乾いた空気に鋭く突き刺さった。
「……私の落ち度だ。識別確認が不十分だった。謝罪する」
タロスは静かに大太刀を背の鞘に戻し、続けて小太刀も腰へと納める。彼の声にこそ動揺はなかったが、義肢の指先が一瞬だけ強く握られる。
蓮も常闇を下ろし、再び姿を現した半透明の刃を鞘へと納めた。
「こちらも被害はない。早期の誤認解消に感謝する。優、救援と情報支援に感謝する」
『ほんとだよ!? このまま誰か死んでたら、私……』
通信の向こうからは怒りと安堵が入り混じった灰田の息づかいが聞こえる。
ハルは一歩引いて、タロスの姿を改めて見つめた。
「ったく……。一応言っとくけどな、こっちは均整局に襲われてた被害者だぞ。いきなり斬りかかってくるんじゃねぇよ」
「敵か味方か、判断がつかなかった。だが、それは言い訳にならぬ。償いはする。話し合いの席を、改めて持ちたい」
「……その言葉が最初に出てれば、こんな面倒にはならなかったんだけどな」
蓮の声に、わずかな棘が混じっていた。
それでも、相手がこちらを“誤認”していたのならばと、蓮は一つ息を吐いてその感情を飲み込む。
『よし、じゃあこれは“誤認戦闘”ってことで記録しておくね。ログは私のところで止めておくから、後でちゃんと情報共有すること。あと……』
灰田の声が、ほんの少しだけ温度を取り戻す。
『タロスさんは先を急いでるんだよね。深くは聞かないけど、頑張ってね』
タロスは少しだけ目を細めた。
「……國に仇なす者を斬る。それが私の使命だ」
『帰ってこなかったら預金残高をハッキングします』
ちょっと意地悪な声音を最後に、通信が静かに切れた。
その静けさを破るように、ハルがぽつりと呟く。
「……にしても、あの優があんな声焦った出すとはな。珍しいものを見た」
「優殿にはいつも助けられている」
タロスの答えは静かだった。
その声に、蓮も肩の力を抜いた。
「……ああ。分かった。話し合いの場は、設けよう。俺も、少し聞きたいことがある」
「私も応じよう。義務を果たすためにも」
タロスは背を向けかけたが、もう一度だけ振り返った。
その目は、先程までの殺気ではない。どこか、人としての気配を取り戻した、静かな眼差しだった。
「私は今から、均整局へ向かう。奴らの暴走を止めるために。部隊は残してゆく。貴公らは國民の避難誘導を頼む」
「無茶はするなよ」
「そっちが死んだら、今度は俺らが優にメシ奢らされる羽目になる」
ハルがやや苦笑交じりに言った。
タロスは一瞬だけ黙し、そして小さく、口の端を上げた。
「……その約束も、しかと守ろう」
そう言い残して、赫き義肢の男は灰煙の向こうへと去っていった。
後日・上層街区某所 予約制の高級寿司処「千乃鱗」前
白木の引き戸の前で、タロスは静かに立ち尽くしていた。
深い藍色の着流しに、檳榔子染の羽織を引っ掛けた装い。右半身の義肢を隠しきれはしないが、和の装束は彼の静かな佇まいに妙な調和を与えていた。
赫く輝く義肢の右腕は、さっきから三度目の“ドアノブに手をかけて引っ込める”動作を繰り返している。
「……優め、店は任せると言ったが、容赦がないにも程があろう」
さすがに躊躇いが隠せない。
『アンポンタロスの奢りで慰労会開催』という通信が回ったのは一昨日。理由は“誤認斬撃未遂および通信無視による恐怖体験の慰謝料代わり”とのこと。
「預金、下ろしてきたか?」
不意に、背後から声。
振り向けば、ややカジュアルな服装の蓮がすでに来ていた。今日はフルフェイスマスクではなく、すっきりした襟元のシャツにクラッチバッグを抱えている。
「……ある程度は」
「前にハルがやらかした時に行った商業街区の“焼肉全品トッピング付きフルコース”の時は3人で10万Cost飛んだから、がんばれ」
「……ウム」
タロスの義肢が軽く震えた。
そこへさらにもう一人。
「ウェーイ! お疲れちゃんだぜ! いやぁわりぃね奢りでシースー。よっ、タロス隊長太っ腹ァ!」
スキップでもしてきそうな勢いで現れたのはハルカだった。制服ジャケットを脱ぎ、無駄におしゃれなサングラスを頭に乗せ、口元にはニヤつきが止まらない。
「ってかさ〜、タロスぅ? テメェマジでこえーんだよ! 今度から名乗ってから斬りかかってくんね!?」
「……以後、心がけよう」
「心がけるじゃねぇ、しっかり守れ! こっちは人生三回分くらい寿命が縮んだんだからな!」
「……ウム」
急なガチトーンにタロスがほんの少しうつむくと、後ろから最後の一人が現れた。
「お待たせ〜。個室とっといたよ。ちゃんと防音・防録・反波動の三重ガード付きだから、愚痴も黒い話も思いっきりしていいからね。あ、タロスさんは財布の心配だけしてて」
にっこりと笑うのは灰田優。
今日に限っては仕事用の通信端末すら持っていない、完全私服モード。
だがその背中のリュックには、明らかに「例の記録ログ一式」が入っているのは間違いない。
「ではタロスさん、ずずいーっと奥へ、今日の主役ですから」
「………………ウム」
灰田の猫撫で声に、タロスの背筋が静かに震えた。
白木の調度と淡い照明が、空間全体に上品な静けさを漂わせていた。壁面には墨絵の如き流水紋が描かれ、空調すらも凪いだような、まるで時が止まったような空間。
その落ち着いた個室に、不釣り合いな声が響く。
「うぉおおいっ、こっちの『中トロ炙りレア一貫』ヤバいって! 口ん中で溶けるッ!!」
テンションMAXの声の主はもちろんハルカ。カウンターに肘をつき、板前に注文を飛ばす勢いで興奮している。
「……行儀が悪い。背筋を伸ばせ」
蓮が隣で箸を構えながら、冷ややかに言い添える。すでに五貫目の光物を食べ終え、次は白身を選びながらも一切の無駄がない。
「蓮さんは真面目なんだから。あ、こっち大トロ三枚目いきまーす」
「一貫ずつだぞ。それに優、さっき五貫まとめて頼んでなかったか?」
「それはそれ、これはこれ」
灰田は笑いながら湯呑みに手を添えていた。
「まあまあ。タロスさんのおかげで普段食べられないレベルのお寿司だし、今日は派手に楽しも?」
その“おかげ”とやらの主、タロスはというと……。
「………………」
目の前の白木のカウンターと、お品書きを交互に見つめたまま、完全に硬直していた。
義肢の指先が震え、羽織の裾が何度も腿に押し返されている。
恐らく「どこまで頼まれるのか」「何人分来るのか」「どう見ても予算オーバー」の三段構えが脳内でスサノヲしているのだろう。
それを見た灰田は、満面の笑みでひとつ頷いた。
「ねえタロスさん、“いちばん高いやつ”ってどれか分かる? おすすめ握りじゃなくて、裏メニューの“至高”ってやつ」
「………………何皿あるのだ」
「んー、15皿くらい? でも全員で頼めば45皿。ちょっとした資料作成と引き換えなら、まあ妥当?」
タロスの肩が、ほんのわずかに、だが確実に震えた。
それを横目で見たハルが、にやりと口角を上げる。
「タロスぅ? 男は黙って奢るもんだぜ。威厳がなきゃ部下も付いてこねーぞ?」
「……斯様な形で威厳を示すとは……聞いていない……」
「勉強になったな」
蓮がさらりと六貫目を口に運びながら言う。
今日という日は、“正義”の味方同士が少しだけ気を抜いても許される特別な時間。苦労人たちの静かな戦争の、そのほんの合間の、微かな休息だった。
「……ところで、優」
「ん?」
「デザートは……この“寿司ケーキ”というのか。……これは……」
「気になる? すっごいおいしいらしいよ! 一番高いけど! いいよね、タロスさん」
「………………ウム」
それが、タロス隊長の静かなる“諦念の承諾”であることは、言うまでもなかった。
店内は木の温もりと静かな照明に包まれ、どこか緊張していた空気も、出された最初の握りでだいぶ緩んできていた。蓮もハルも、無言で寿司を頬張りながら時折目を合わせ、灰田はどこか楽しげに茶を啜っている。
「で、本題に入るけど」
灰田が口を開いた。間髪入れず、箸を置いたタロスが正面を見据える。
「均整局の動きについて、まず報告しておくね。暴走したのは均整局ザフト支部、下層街区の取りまとめしてるとこだね。下層街区の“粛清”を発令したクリフって局長は……既に死亡してる」
「死因は?」
蓮が問いかける。
「公式にはタロスさんが討伐したことになってる。ただし、“國”のことだから本当かどうかは《《私は知らない》》けどね」
言外に何かを含ませた灰田の言葉に、場がひとつ静まる。タロスはそれに応じるように口を開いた。
「私は、秩序を護るために動いたにすぎない」
その声に、蓮がわずかに目を伏せ、躊躇いがちに口を開く。
「……いつ言おうか迷ってたけど、実はタロスとは面識がある」
「俺もだわ。昔瓦礫ん中に閉じ込められて、一緒に義足回収した」
「…………なんて?」
灰田が目をぱちくりさせる。
「え、ちょっと待って。……つまり、三人とも“知り合いだった”ってこと? それぞれ別の文脈で?」
「面識はあった。ただ、まさか彼が“スサノヲの隊長”だとは思っていなかっただけ」
「俺なんか、義足担いで壁ぶっ壊して一緒にラペリングしたぞ。身分も素性も知らないままな」
タロスは頷いた。
「蓮とはたまに盃を交わす仲である。それに、まさかあの時のイヅナの隊員がハルだったとはな。別れ際のプレゼントは気に入ってくれたか?」
「めちゃクソ趣味わりぃ奴だと思ってたよ」
ハルの反応に笑いをこらえつつ、灰田が肘をついて言った。
「ねぇそれ、誰かが先に言ってくれてたら、あんな斬りかかる展開にならなかったんじゃない?」
「面目次第もない……」
タロスが深く頭を下げる。蓮は目を伏せたまま言った。
「まぁ……それでも、誤解が解けて良かった。刃は交えても、心は擦れていない」
「おっ、上手いこと言うじゃん蓮。俺様とのコンビが染みてきたな」
「否定はしない」
灰田が湯呑を持ち上げて、すっ、と話を切り替えた。
「じゃあ、この縁を機に、タロスさんを“改めて”紹介ってことで。お二人とも、よろしくね。私のお友達兼情報共有者兼隠密ニンジャウォークの達人です」
「それは……褒められているのか?」
「もちろん。ただし、今回のツケはまだ払ってもらうけどね」
灰田の笑顔の奥に、領収書の数字以上の恐怖が見えたような気がして、タロスの義肢が機能不全を起こしたわけでもないのにガタガタと震えた。
茶碗蒸しも、赤出汁も、デザートの寿司ケーキすら平らげた後。
胃袋の満足と財布の疲労が絶妙なバランスで共存するなか、空気はすっかり緩んでいた。
「それで結局、ハルが中トロ六貫、炙り四貫、茶碗蒸し二回おかわり、あと“海鮮爆弾巻き”って何……?」
「だって名前がヤバそうだったんだもん。あとあれな、炙りウニ、ヤバすぎた」
満腹で椅子に沈んだハルが、腹をさすりながら満足げに言うと、蓮が無言で領収書をひらひらと揺らして見せる。
「それだけで俺たちの昼飯1ヶ月分は飛んだ」
「いいだろ? タロスの奢りなんだから気にすんなって」
「……よもやよもやだ」
タロスは微かに眉を動かしたが、それ以上は何も言わなかった。さすがに寿司ケーキの追い討ちで魂がどこかへ飛んだらしい。
「あの鬼の隊長がまさかこんな情けない姿を見せるなんてな、面白いこともあるもんだわ」
ハルが呟きながら、空になった湯呑を傾けて覗き込む。
その横で、蓮が淡く目を細めた。
「……ところでタロス」
「なんだ」
「支払い、終わった?」
唐突な問いに、場が静まり返る。
そして。
「…………まだだ」
重い……重すぎる一言。
「マジかよ!!じゃあまだ頼めんじゃん! 追加いっちゃう!?」
「やめておけ」
「ストップ、それ以上は死人が出るから。主にタロスさんが!」
灰田が両手をぱちんと叩いて場を収める。
「まあまあ、今日は“未来のための情報共有”が目的だったんだし。ほら、みんなに会えてよかったでしょ?」
タロスは一瞬だけ目を伏せ、それから、ゆっくりと顔を上げる。
「……ああ。こうして、席を共にできたことに、感謝する。次があるなら……」
「タロスの奢りで?」
「……その話は置いておけ」
蓮がふっと小さく笑い、ハルが「ごちそうさまでーっす!」と頭を下げる。
灰田はその様子を、満足げに記録用カメラのシャッターを切った。
――記録:良好。戦場では得られない、ある種の“平穏”。
次のメインストーリーを考える合間に、温めていた幕間を書いてみました。
この3人が本編に大きく絡んでくることはほぼありませんが、思っている以上に彼らの過ごす世界は狭く、そして戦うだけではない人間味にあふれた生活を送っていることを少しでも感じていただけたら嬉しく思います。
このお話が面白かった。続きが気になる。と思っていただけたら、評価やお気に入り登録をお願いします。何よりの励みになります。
本編の続きも半分ほどは執筆が進んでいますので、もう暫くお待ちください。




