第78話 ルイス・ブラットフォードの思慕
いつだったか、君はもう忘れていると思うけど。
グリーナワ公爵が一度だけ、小さな君を王城に連れてきたことがあるんだ。
君はごく普通の女の子で、だけど今まで見たどんな大人よりも強く意志ある瞳を持っていて、他のどんな大人よりも思慮深く言葉を発していた。
その時の君の姿を、僕は今でも覚えている。
「……わあ」
横で思わずといったふうに感嘆の声をもらしたシャーリーンの瞳は、あの頃と同じく雄弁だ。
今思えば、僕が彼女に惹かれたのは自然なことだった。
それは魚が水を求めるように、魔法使いがこの大陸の空気を必要とするように。
「これが、君が見たかった景色なんだね」
「……遠い昔から、多くの者が見たがっていた景色ですよ。覚えていますか? エルフの国で見た壁画を」
いとおしそうに目の前に広がる景色を見つめるシャーリーンの横顔を見つめながら、エルフが住まう街へ行ったとき、一緒に見た壁画を思い出す。
人間とエルフと魔物が穏やかに寄り添いあっていたその壁画は、かつて人間がまだ国家を持たなかった頃は存在した、そしていつしかなくなってしまったエルフたちの悲願の光景だった。
──────魔物もエルフも人間も、お互いを愛し、慈しんで共生していた時代。
それは何度もあきらめられながら長らく切望され続けた平和の象徴であり、この大陸の生態系の理想的な在りようでもあった。
「ルイス様! シャーリーン様! おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
数えきれないほどの大きな声が、シャーリーンと僕への祝福をつむぐ。
その時、眼下に集まる大群衆が、上から降ってきた花びらのシャワーに気づいて一斉に空を見上げた。
花を吹きながら悠々と空を泳ぐドラゴンたちの艶やかな黒の巨体に、見上げた誰もが息を呑む。
地上のどこかで沸き起こった歓声が波のようにつながり、ひとつの大きな音になる中で、ほかの魔物やエルフたちも、皆が誰かに肩を抱かれて笑みを浮かべていた。
「シャーリーンと出会って僕の世界は本当に広く明るくなったんだ。一所懸命な君が色んなことを切り開いていくのを見て、とても勇気づけられたんだよ」
長い睫毛の後ろでいつも強い意志をたたえているエメラルドを、シャーリーンが驚いたようにぱちぱちと瞬かせた。
君の瞳はいつだって雄弁だ。
その視線が狂おしいほどやさしく、この世界の誰しもに等しくそそがれていることに、僕がどれほど嫉妬したことか。
──────そんな君がいつしか、僕を見つけたときに少し安心したように目じりを和らげるようになって、それに僕が気づいた時の喜びは……想像もつかないだろうね。
「この世界が多くの者にとって美しく眩しいものであれるように、ともに尽力しよう。彼らも……みんなで、手を取り合って」
「これよりご結婚および戴冠の儀をおこないます」
そのとき、戦後に宰相として返り咲いたアラン・グリーナワ公爵が、少し涙ぐんだ声を張り上げた。
戦後、我が父母──────つまりはラートッハ王国の両陛下は、様々な問題の責任をとって廃位し、王位はそのまま空白のままになっていた。
そのあいだ、実質的にこの立場ですべきことを担っていたのはシャーリーンと僕だ。
それが今日、ついに正式に戴冠の儀をおこない、この国は新たな君主を迎える。
それは多くの民から強く望まれたことであり、舞台上には外国からも代表して、恭しい格好をした人々が並んでいた。
「アノーリオン様、御前へどうぞ」
最初に我々のもとへと歩み寄ったエルフ代表としてアノーリオンさんが、流ちょうなラートッハ語で祝辞を述べる。
そして、大陸の観測者としての彼らの何千年続く使命や、これまでにこの大陸で行われてきたこと、各国の王族がしたことや真の歴史をよくとおる声で語った。
最後にアノーリオンさんは、これからの人間、そして僕たちへの期待を述べた。
そうしてシャーリーンと僕への祝福を授けるというと、雲一つない晴れた空からきらめく星の雨が降り、民たちを大いにわかせた。
次に魔物代表のレヴィン様が、人と魔物、そしてエルフという異種族の共存がこの先紡いでいくであろう未来について穏やかな声で語った。
そして、シャーリーンを大事にしないとゆるさない、と唸るような声で僕に向かってつぶやき、シャーリーンが感極まって泣くという小さな事件が起こった。
レヴィン様も祝福の魔法を授けてくれると言い、その瞬間、空には七重に虹がかかった。
そのあと、アーシラ王国とグアラ王国、クマルタ帝国や植民地化されていた海外の国々を含む様々な国家の元首らが祝辞を述べた。
魔力耐性がなくどうしても大陸に来られない者もいたが、彼らからはシャーリーンが映像をつなぐ魔法を使って、大陸の外から言葉をもらうことになった。
グアラの代表はあのオスカーで、シャーリーンや僕の過去にまつわる暴露話を面白おかしく話したから、僕たちはかなりムズムズさせられることになった。
──────それはシャーリーンも同じだったのか、たまに下を向いてプルプルと震えていた。
「それでは陛下よりお言葉を賜ります」
アランの声に、僕は微笑みながら、改めて遠くまで見渡した。
この人々を、この景色を、僕は一生忘れてはいけないだろうと思ったのだ。
「…………ここにいる多くの者が思っているだろうね。あまりに多くのことがあった、と。この短い間に百年をこえる沈黙が破られ、友であったはずの国同士に戦がおき、異種族の友を知り、大陸の外の世界を知り、ついに僕たちは大海原……この広い世界へと漕ぎ出しさえした。僕たちがしていることはとても大きな冒険で、だからこそこの先、嵐にあうことも、大波に流されてすべてを失うこともあるかもしれない。それでも僕たちは、必ず朝日はのぼり、北極星が道を示し、引潮を待てばなかったはずの道が現れることを、知っている。横にいる者たちを信じ、手を取り、恐れずに進もう。その先にある景色を、僕は皆と共に見に行きたい」
僕の言葉に、群衆たちが声をあげる。
それを感慨深く眺めながらシャーリーンにも話を振ると、シャーリーンは少し目を細めてこちらを見た後に、強く通る声で話し始めた。
「生まれたとたんに死ぬはずだった忌まわしい魔女が、こうして皆さんの前に立つ未来を。恐ろしく危険で邪悪なはずの魔物と並び、笑って肩をたたきあう人間の姿を……誰が想像したでしょうか?」
過去の王族によってつくられた嘘の歴史によって、身分の高い家では女の子が生まれると同時に間引いていたという、悪しき風習。
シャーリーンがその風習を逃れたのはまさに奇跡であり、この国や世界、そして僕にとっての僥倖だった。
「いままで誰も想像だにしなかったことでも……信念をもって行動しつづければ、実現する理想もあると、私は知っています。エルフによれば、人間の最もすばらしい点は、たくましい想像力で理想を掲げられることだそうです。私はこれまでの人生で、ずっと思い描いてきました──────魔物やエルフと、そして人と人とが、手を取り合うことができる世界。そしてこれは今、まさに形になろうとしていますが、この穏やかな世界は何の努力もなしに続くものではないと、皆が知っておく必要があります。平和や友好という言葉を愛するのではなく、平和とは何で、何によってもたらされるのかを知り、考え、備え動くこと。それなしに、私たちが今手にした喜びを維持することはできません」
シャーリーンの言葉に、静かに群衆は聞き入っていた。
「私たちも今や、大きな世界の大きな流れに組み込まれました。今まで以上に、世界は有機物のように、動き、進み続けます。だからこそ、私たちはこれからも慢心せず、前進しつづけなければなりません。しかし、進むということは過去を置いていくということではありません。戦争で被害を受けたすべてのものを、人を、その恐怖を、忘れてはいけません。彼らの魂と事実はこの先も我々とともにあり、長く続く我が国の歴史の中で、語り継がれることでしょう」
エルフが言うには、世界には大きな流れがあるらしい。
同時期に全く別の場所で同じようなことが起こったり、どこかで起こったことが伝播して世界が大きく揺らいだり、そうやって世界は徐々に足なみをそろえながらひとところに向かって動いていくものなのだそうだ。
この世界は、どこへ向かっているのだろう。
──────いや、たとえこの世界がどこへ向かおうと。
君のみる景色が、これからずっとやさしく、幸せなものであるように。
「……思い返せば色々あったけれど、悪いことがあったときはなぜか、いつもルイスが近くにいてくれた気がします」
「これからもそうだよ」
「……なんだか不思議な気持ちです。こんなに素敵な景色を見ているのに、嬉しいというよりも緊張や不安や焦りや恐れが大きくて」
「多くの命や生活、国民の命運を背負う覚悟と責任を、それだけ真剣に君が捉えてるっていう証拠だね」
「でもルイスがいるからなんとかなるという漠然とした安心感もあります。この景色を一緒にこうして見られて嬉しいし、これから何度もこうして、ルイスと一緒にこういう景色を見られるのかなと想像すると……」
「うん。つまりシャーリーンは今、けっこう幸せってことかな」
そういうと、シャーリーンはしばらく真顔でかたまったあと、突然何度も咳ばらいし始めた。
ほら、君の瞳は雄弁だ。
そんな瞳をしたら、今すぐ連れ去りたくなるだろ。




