第72話 私が主人公なら
「やっぱり、あなたも罹ってしまっていたのね」
「やめて! 近づかないで」
「あら。今にも死にそうって顔をしてるのね?」
私が言うと、私をにらみながら後ずさりしていたエルシー・ローグが、びくりと肩を震わせる。
ぱっと見ただけで首が異様に腫れあがっているのはわかるけれど、熱や変な呼吸などはまだないようで、私は少し胸をなでおろした。
エルシーは、陛下の配慮もあって学院から居室を提供されている。
だからこそ私も、彼女の居場所がすぐにわかったんだけど……。
一定の距離を置いて私が座り込んだので、エルシーはびっくりしたように私を見た。
「あなたと帝国のやり取りを、しばらく監視させてもらっていたの」
「へ…………は、はあ? なんのこと?」
「だけど、たいして重要な情報がないから残念だったわ」
「なっ……どういうこと? なにを知っているの?!」
「あなた、一日に何本も本国に報告を送っていたのに、突然途絶えたじゃない? おかしいと思って来てみたの」
帝国のスパイだということは、誰にも知られていないはず。
そう思っているエルシーにとって、私の発言は二重にも三重にも衝撃的だったらしく、彼女は困惑しながらも目を白黒させていた。
けれどしばらくした後に、エルシーは自嘲するような笑みをもらしてつぶやいた。
「……この病気はね、かかったら高確率で死ぬわ。たくさんの人がこうして死んでいったのを知ってるから。あんた、本当に最低ね。私をずいぶん邪魔してくれて、死ぬ間際にもわざわざ私の姿を笑いに来たなんて」
「あなたの邪魔をしたつもりはないけど」
「存在が邪魔だし、あんたのせいで計画は半分以上うまく進まなかったわ。本当に迷惑な女……でもね、帝国の皇帝は恐ろしいわよ。なんで突然こんな病が流行りだしたかわかる? ペストにかかった死体を投棄して、生物兵器になさったのよ」
かつて、そのようにして戦争を勝利に導いた国があったことは史実では知っている。
……けれど実際にそんな、心ないことをする人がこの世界でもいるなんて。
ゲームの中の物語は、いまや私たちにとって厳しくむごい現実となっていた。
「どうしてそんなことしたの? 皇帝陛下は。内乱や戦争を起こして、魔法使いを減らそうと計画してたんでしょう?」
「なんで…………。はっ、やっぱり、魔法使いがどうとかじゃなく、あんたを最初に殺しておくべきだったわね。シャーリーン・グリーナワ」
私が本当にいろいろ内情を知っていると認めたのか、エルシーは少し気を緩めた様子で私に言った。
「もちろんそうだけど、それだけだと時間もお金もかかるじゃない。病気は手間なく一瞬で、多くの命を奪う……その方が手っ取り早いでしょ。魔法使い以外も、最後にはどうせジャマになるし」
「……人の命を何だと思っているの」
私が出した低い声に少し驚いた様子を見せた後、エルシーはフフッと笑って寂しげに言った。
「大義の前ではなにもかも、チリのようなものよ」
エルシーの言葉が頭の中で響く。
前世で紛争地に派遣されるなかで、私も紛争を止めるという大義のため、時に正義を犠牲にすることがあったように思う。
紛争を止めて民間人たちへの悲惨な被害の拡大を食い止めるという大義のためには、数多の人を殺戮してきた軍閥の人間とさえ、関係性を築いたことがなかったとはいえない。
けれど、それはけっして、大義のもとでは何もかもが無意味で蔑ろにされていいものだということでは、ない。
「あなたは、帝国やあなたがしていることは、大義のために必要なことだと信じているの? そしてその大義は……あなたが心から信じているものなの?」
「あんたみたいなお貴族様にはわからないと思うけど、誰かが押し付けてくる大義だって背負わなきゃ、命の保証もない人だって、この世にはいるのよ」
そのあきらめたような、疲れたような表情をみれば、エルシーが私の想像より壮絶な人生経験を積んできたのだと感じられる。
──────私は貴方のことが知りたい。
あなたが根っからの悪人なのか、救済できる人間なのかということを。
「エルシー。あなたが今までしてきたことは、多くの人間の運命や人生を変え、最終的には数多くの命を危険にさらすための行為の扶助よ。感染病にかかって死んだって、当然の罰だと思わない?」
「……ッハ! きれいな顔して、とんだ悪魔ね。それが本性? そうね、死んで当然だわ。でも、世の中はそんなに単純じゃないの。本当に死ぬべきクズがのさばって、何もしていない人間が踏みにじられる……それがこの世界の在り方なのよ」
「私はそうは思わないわ」
「いいえ、そうよ。私の民族はね、なにも罪を犯していないのに、歴史上ずっと迫害されてきた。帝国に侵略されてからは私も奴隷として……けれどこの魔力耐性のおかげで、父も母も殺したゴミの懐に入って利用されて生きながらえたの。やつに貢献して、信頼させて、いつかあいつの首を掻き切ってやろうと思ってた!」
エルシーの表情に、私は彼女はこんなにも人間らしかったんだと感心していた。
「……でも、この病にかかったから、それももうかなわない。なんのための人生だったの? 疲れたわ」
「……そうでしょうね」
「ねえ、もういっそ、殺してくれない? どうせ死ぬんだし、長い間苦しむのもいやよ。あんたに殺されたら、もともと大嫌いだから、心おきなくあんたを憎んで死んでやれるわ」
「……わかった。じゃあ、私があなたを殺してあげる」
そういって魔法で強引にエルシーの口を開き、そこに水と毒薬を飛ばして流し込む。
彼女はむせながらそれを飲み込んで、なんなの?! と叫び声をあげた。
「遅効性の毒よ。そこに書いている通りに、その毒薬をなくなるまで飲み続けることね。そうすれば楽に死ねるわ。今みたいに中途半端に少しだけ飲んだだけの状態だと、ものすごく苦しい死に際を迎えることになるわよ」
私が微笑みながら言うと、エルシーは唖然とした表情で私を見つめた。
「…………ははっ。私がもし物語の主人公なら……あなたは仇敵の悪役令嬢ってところでしょうね」
「そうかもね」
「……でも私は主人公にはなれなかった」
「そうかしら? どの視点から見るか、それだけの話よ。あなたは間違いなく主人公だし、私もそう」
私の言葉を聞いて、エルシーは腑に落ちないという表情で黙っていた。
「……ねえエルシーさん。私の生まれ育った環境ではね、死んだら輪廻転生と言って、また新しい命に生まれ変わると信じられているの。次の人生は、自分をまげて憎しみに生きるのではなく、あなたの幸せと心の平穏のために、生きられる場所を探してね。もしかするとグリーナワ領はうってつけの場所になるかもしれないわよ」
「はあ……?」
「さようならエルシー・ローグ」
エルシーを振り返らずに、私は言った。
「せいぜい楽に死ぬことね」




