第70話 死に至る病
ある日、新聞社で活躍してくれているロンドおじさんが訪ねてきた。
「よお。相変わらずか?」
「ロンドさん、新聞の売り上げはすっかり安定してますね。いつもありがとう」
「あの時チキン屋であったお嬢ちゃんに雇われて、ここまで稼ぐことになるとは。人生って何があるかわからんもんだなあ」
かつてユアンお兄様と二人で平民街へ視察に行かせてもらったとき、「ゲンダッギーブライドチキン」と書かれた看板がさがっていたお店で出会ったロンドさんは、今では新聞社になくてはならない存在だ。
私が提供した通信器具のおかげで大陸中どこにいようが情報を提供したり新聞記事を書いたりができるため、ロンドさんは常にあちこちを旅しながら仕事している状態で、対面で会うのはずいぶん久しぶりのことだった。
「最近はどうだ? 平民向けの塾もやってるんだろ」
「平民向けというわけではないですが、平民が多いですね。あちこちの国から参加していただいて、日々生徒数も増えていますから、最初と比べると五倍くらいに」
「何か最近変化はあったか?」
「……そういえば、最近数が増えていませんね。いえ、正確には増えているけど、減ってもいる……ってことだわ。どうされたんですか? そんな質問をして」
「ああ……」
私の部屋に迎えられたせいで若干居心地が悪いのかとも思ったけれど、それにしたってどうにもバツが悪そうな、なんとも言いづらいことを抱え込んでいるような様子を察した私は、ロンドさんの言葉を促す。
すると、ロンドさんはぐっと目をつむって、下を向いたままで言った。
「シャーリーン様。アーシラ王国に関することで……。流行り病の話をご存じですか」
ロンドさんは仕事モードに入ると、私を雇い主として扱うからか敬語になる。
今では慣れたけれど、大人の男性から敬語をつかわれるって、やっぱりたまにムズムズするのよね……。
「……流行り病ですか? いいえ、知りません」
「だと思いました。知っていたら既に、何かしておられるに決まっていますね」
ロンドさんのカップを持つ手が震えていたので、私はつい、その手に自分の手のひらを重ねる。
そしてそのままロンドさんが話し出すまで、じっと続く言葉を待った。
「……アーシラ王国では先月、はやり病で三百人の死者が出ました」
「三百人?」
私がびっくりして復唱すると、ロンドさんは静かにうなずいた。
「……その病も、最初は流行るかと思えば鎮静化して、の繰り返しだったので、そこまで気に留めていなかったんです。しかし、いつのまにか被害が少々拡大してきているようで」
「詳しく教えてちょうだい」
ロンドさんが言うにはアーシラではこのところ、一部地域で街にネズミの死骸が増えているという噂があったらしい。
そんな気味の悪い様子をゴシップとして新聞に載せたらウケるだろう、と考えたロンドさんは、その街のどこかに取材を検討していたそうだ。
ところがその街へ向かう途中、行商人からロンドさんは変な噂を聞き、いったん取材を断念した。
その噂というのは、奇妙な症状を患った病人までもが現れはじめたというもので、彼らは鼠径部や首がパンパンに腫れているのだという。
「ひどい咳や高熱をだすものもいるそうです。恐ろしい話ですが面白がっている者もいるのか、突拍子もない噂まで出てきて……なんでも体が腐ったり、黒いまだらがでた人もいるとか。で、私の相談は、これを新聞記事にするときにどんなトーンで書けばいいかということで」
「嘘でしょう……」
「そうですね、さすがに私もそこまで信じては」
「いいえ、その噂は本当である可能性が十分あります」
「えっ」
そわそわとしているロンドさんを前にしながら、私は両手で頭を抱えてじっと床を見つめた。
増えるネズミの死骸と流行り病。
その言葉で真っ先に頭に浮かぶのは、前世ではヨーロッパ人口の三分の一を死に追いやったペストだ。
そしてその予感をより確信に近づけるのが、ロンドさんの話にでていた病人たちの症状。
リンパ節の腫れがみられたり肺炎のような症状が出たりするというのは腺ペストや肺ペストの典型的な症状だし、身体の壊死や黒い斑点……つまりは出血斑がみられるのは、敗血症型ペストの症状なのだから。
この世界でも、本当にあの病が流行り始めているというのだろうか?
たしかに前世でも、海外との交易や他国からの侵攻で各地へ人の移動が発生しだしてから、ペストは急激に勢いを増したようだけど……。
しばらくじっと頭の中を整理していた私は、ようやくすっと顔を上げ、目の前のロンドさんをまっすぐに見つめて言った。
「教えてくれてありがとうございます。感染症対策は初動が肝心で、ロンドさんは多くの人の命を救う素晴らしい行動をしたかもしれません」
「はい? カンセン……命……?」
「その病は感染性で、このままだと病人は爆発的に増え、高い致死率で絶望的な数の死者を生むことになるかもしれません。特にアーシラ王国は、改善傾向にあるとはいえ飢饉が続いています。それはつまり、人々の免疫力も落ちていて、被害が大きくなる可能性があるということ。さらに蔓延すれば、いまに各地でパニックが起こるでしょう」
「え? あの、どういうことですか?」
「この最悪のシナリオを可能な限り遠ざけるために、私たちにできることをしましょう」
「は? あ……はい?」
ロンドさんは頭の上にハテナをたくさんつけてぽかんとしていたけれど、私はそれを気にせず話し続けた。
……まあ驚いているから仕方ないわよね。
でもロンドさんならきっと、あとで情報を整理すればしっかりついてこられるだろうから。
「その病気はペストと呼ばれ、おそらくノミが触媒になって感染が広がっています。もとはネズミの病気ですが、その病気にかかったネズミの血を吸ったノミが、人の血を吸おうとした際に人に感染するという経路です。予防対策としてはまず、お風呂に入って清潔にすること。ネズミたちを引き寄せる不潔な環境をつくらないこと。離れること。あとは、移動に慎重になるべきです。潜伏期間がありますから、それを考慮して……」
前世でパンデミックがあった中世ヨーロッパの状況と比べると、ラートッハ王国の衛生レベルははるかに良い。
少し前までは風呂に入ることなどほとんどなかった貴族たちも、リゾートアイランドの普及のおかげで風呂には積極的に入る文化を確立してきているし、上下水道の整備や、し尿の農業への循環によって、農村も平民街もわりと清潔になってきたからだ。
しかしほかの国ではそこまでとはいかない。
アーシラ王国やグアラ王国は貴族街でさえ、し尿がいまだに軒下に投げ捨てられているのが普通だし、お風呂に入るよりもひたむきに熱心に汚れた体のままで天に祈りを捧げることを美徳とする考えが、特に平民には尊重されているのだ。
「ロンドさん、私が言った内容と対策をわかりやすく、新聞で全国民へ伝えてください。これは無料の号外です。字が読めない方々のために、音声付きの枠もつけて」
「そんな! 魔道具まで使って、それを無料で配布するっていうんですか? 納得できません!」
「これは大ごとなの、ロンドさん。あなたの作ってくれた記事を私が後でグアラ語とアーシラ語に翻訳するから、それぞれ配ってもらう手はずも整えてください」
「シャーリーン様、どうしたんですか! 突然らしくもなく、世迷い事をおっしゃって……」
「いいえ、世迷い事じゃないわ。地獄を見たくないのなら、私の言うことに従ってください。あなたもこれが異様だと思ったから、話す前に恐れて震えていたんでしょう」
「……ったく、どうなってんだ」
外国の気味が悪いゴシップネタを仕入れてきただけのつもりが、思いのほか深刻な反応をされてロンドさんも面食らっているようだった。
──────そうよね、この大陸では感染症とか、対策とか、そんな概念もなかったんだものね。
私がそれでもじっと真剣な顔をしたままで、発言を撤回することもなさそうなのを見て、はあとため息をついたロンドさんが頭をかきながら言った。
「わかりましたよ、我が女王様の言う通りにやりましょう」
◇◇◇
「そろそろ来るのではないかと思っていました」
美しい自然に囲まれた、鬱蒼とした森のような場所で、私は一度深呼吸をしてから口を開いた。
「まったくお手紙に返事をいただけないし、青薔薇塾にも誰も来ていただけないので。ずいぶん、やきもきさせられましたよ。もうあきらめたほうがいいのかとも考えました」
「まだあなたに会う準備ができていなかったのです」
「では、もう準備ができたということですね」
「……時は満ちました」
「ええ。約束を果たす時が来たようです」
私が言うと、目の前にたたずむエルフの王は微笑んだ。




