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第65話 ジレス・カストルのため息


「私は右からって言ったじゃないですか!」

「それは聞いていたが、シャーリーンの歩きだすタイミングが掛け声とずれてただろう」

「いちにのさん、で踏み出しましたわ!」

「いちにのさん、のさん、と同時に普通は踏み出すだろ? シャーリーンはん、の後半拍おいて動いた。あれだといちにのさんてんご、だ」

「なんですかそれ? 変なこと言わないでください」

「変なことしたのはシャーリーンだろ」

「ヴィンセント様、私たちが最下位だったのはそもそも……」

「…………ユアン、僕があっちに行ってる間にこいつらが帰ってきたら、仲裁しておけよって言っただろ」

「だって二人がすごい剣幕で……」

「そりゃそうだけど」


 体育祭の醍醐味と言えばおいしい昼食もそのひとつで、我がカストル家はほかの三大有力公爵家であるキャリック家とグリーナワ家と共同で、大きなピクニックシートを敷いてすさまじく豪華なお重弁当を楽しく食べている。


 それだけでも周りからザワザワされるのに、王族であるルイス様とヴィンセントが加わっているためか、今や誰もが遠目で見てくる状態だ。


 そんななか、元気に口論しているヴィンセント様とシャーリーンに、僕は呆れてため息をついた。




 昼休憩前最後の競技は二人三脚で、この二人が仲良く足を縄で結んで参加していた競技でもあった。


 意外と負けん気が強い二人なので、トップを獲ろうと意気込んでいたのはよかったが、なんとそれが空回りしたのか二人はスタートラインからずっこけた。


 そしてギャーギャー言いながら互いに押し合って立ちなおすにも時間がかかり、やっとまた走り出せたかと思えば足の長さが合わないだの、足をだすタイミングがコンマ一秒ずれているだの、足をつないでいるロープがチクチクしているだの、目玉焼きには塩だソースだだのと大騒ぎしながら走り、その間にも数回コケ、そのたびに二人はなかなかの暴れっぷりを見せつけた。


 そうしてしばらくワーワーやった後、急になるほど、とお互いのニーズを理解した二人は、突然さっきまでとは打って変わって目を見張るほどの息のぴったり合った走りを見せたのだ。


 もちろんそこに至るまでの過程が長すぎたので最下位だったわけだが、リハーサルでもしていたら余裕の優勝だっただろうと思えるすさまじいシンクロ度だった。


 …………もう、やだわ。仲がいいんだか悪いんだか。

 そう言って苦笑したのはシャーリーンの母であるグリーナワ公爵夫人だった。



 そんななか、その様子をみんなで一緒に見ていたルイス様のもとへ、久しぶりにお会いしたので、とあいさつしにやってきたのはエルシー・ローグだった。


「殿下、私が昔言ったことを今、思い浮かべているのではありませんか?」

「こんにちはエルシー嬢。……なんのこと?」

「シャーリーン様は、ヴィンセント様と良い仲なのですよ。ルイス様を婚約者としながら、陰で二人笑っているのです。そうでなければあんなに息のあった走りなんてできませんし……そもそも二人三脚のパートナーなんて組みませんわ」

「ちょっと……」


 僕が遮りに入ろうとすると、ルイス様が手で制する。


 そしてエルシーに向かって、穏やかな声で言った。


「君は、人が苦しんでいたり、孤独を感じたり、焦燥感や嫉妬にかられたり、落胆したりしているであろうときに、現れるんだね。僕が昔読んでいた本にね、そんな悪い妖精がいたのを思い出すよ」

「ルイス殿下、私はあなたのためを思って」

「僕の心は、君には操れないだろう。君の言葉は薄っぺらいし、そもそも僕の心はここにはないからね」

「ルイス殿下、私がただお伝えしたいのは、あの女は危険な」

「彼女は君にそのような呼ばれ方をする人間じゃない」


 その時のルイス様の表情は、長らく見ていなかった、懐かしいものだった。


 ────────背筋が凍るほどの冷たい視線。


 そういえば昔は僕も、ルイス様を「とてもすごくてとてもこわい」と思っていたんだった。




 小さいころ、ヴィンセントと遊ぶためによく城に出入りしていた時からルイス様のことは知っている。


 幼いころから圧倒的にあらゆる能力が高かったルイス様は、自然な流れで陛下の後継者として厳しく育てられていたけれど、それだけでは説明がつかないほどあらゆることを知っていたし、大人の都合のいい言葉や嘘も見抜いたうえで騙されたふりをして、逆に大人を転がして実験したりするような、とんでもないお方だった。


 ────柔和な表情を浮かべていてもその裏では非常に冷徹な分析と緻密な計算を走らせているし、大局を見て時に冷たく物事を切り捨てることもあれば、チェス盤上の駒のように人の心と行動を操ることさえも生まれながらに自然とできる、恐ろしい才能がある人。



 そういえば昔は権力争いのためにヴィンセントやほかの王位継承権のある者を担ごうとする貴族もいたけれど、今ではそれも全くと言っていいほどいない。


 本人たちが誰もルイス様と対立することを望んでいないことが一因でもあるが…………継承権争いを利用しようとした大人たちも、皆、ルイス様の計略で自爆していった。


 甘い夢を見させながら国や自身に害をなす者の退路を徐々に断ち、ある日突然、ふと彼らは自分が今にも割れそうな氷の────しかも、直径十五センチもないほどの小さな塊の────上に立っていることを知る。


 それくらいルイス様のやり方は緻密で、その計画性と冷酷さはとても十歳以下の子供がすることには見えなかったのだ。


 …………まあ、一番恐ろしいのはそこではなく、そんな目にあった貴族たちの多くが、のちにルイス様の熱烈な信者と化してすさまじく頼りになる彼自身の部下へと姿を変えたということなんだが。



 大人でさえ相手にならず、ほとんどのものは既に手の中にあり、素晴らしい能力をもってして得たいものもないこの世界は、ルイス様にとってあまり面白いものでもなかったらしい。


 そのせいだか、どんなものにも人にも一定以上の興味を持たなかったこの人が、人生ではじめて執着を見せたと聞いたとき────そしてその対象がシャーリーンだったと知ったとき────僕もヴィンセントも心から納得したし、同時にああ見つかってしまった、と思ったのだった。


 ────そりゃそうだよな。


 シャーリーンは、どうにも気になってしまう、おかしな奴だから。


 ルイス様にとってシャーリーンは特別な人間だし、だからこそエルシー・ローグのように、シャーリーンを貶めることでこの人を操るなんてことはできっこない。


 ────そもそもこの人の場合、人の心をどう操るかのノウハウが自分にもあるから、操られるわけがないんだろうけど。



 ルイス様の視線におののき、自分が「何か間違った」ことに気づいたエルシーが去っていくのを見送ることもなく、ルイス様はじっとシャーリーンとヴィンセントが騒ぎながら走っているのを見ていた。


「……もしかして嫉妬してるんですか?」


 言ってしまってからあっ、と口に手を当てる。


 思わず口が滑ってしまったが、まさかあのルイス様が、ヴィンセントに嫉妬なんて……


「そうだね。彼らは信頼しあう友人同士なんだとわかっていても、うらやましいよ。一緒に過ごせる時間は絶対的に違うし」

「え……?」

「人の胸の中にドロドロした感情が渦巻いているとき、追い打ちをかけるように猜疑心を植え付けに行くっていうのは賢いやり方だよ。ジレスも覚えておくといい」

「ああ、はい……」


 まさか本当に、他人に嫉妬してるのか。

 あのルイス様が?


 シャーリーンとルイス様の関係が、他の誰とのものとも違うことはいやでもわかる。


 一人でも強く立って歩くことができるシャーリーンは、共に道を行く仲間として僕たちを選ぶことはあっても、休みたいときや涙を流したいときに、僕たちに寄りかかることはない。


 ──────彼女が安心して弱みをさらせるのは、頼れるのは、おそらくルイス様だけなのだ。



 僕が驚いてぽかんとしていると、ルイス様が僕の方をちらりと見て笑った。


「あんなふうに言い合いしたって、自分たちの仲が壊れないっていう自信と強い絆があるんだなとか、信頼しあっていて素敵な関係だな、とか、いろいろ思いながら見てたんだよ」


 ────こういう時、シャーリーンをどこかに閉じ込めておきたくなるんだ。なのに自由に羽ばたいてる姿が大好きだから、それができない。


 そう続けたルイス様に、僕は改めてこの人には逆らわないようにしようという気持ちを新たにする。


 この人の場合、閉じ込めるときもきれいな顔で笑うんだろうな……と思うと、ぞっとしたのだ。



 ────────そして。


 そんなルイス様は今、生ぬるい目でギャーギャーいまだにケンカしている二人を見ている。

これは嫉妬とかを通り越して……若干飽きてきている感じだ。


 このへんで止めておかないと、ヴィンセントに突然雷が落ちるかもしれない。


 なによりその横でソワソワしているユアンとテトラの不安そうな顔といったら……。


「……はあ。おいシャーリーン、ヴィンセント。何ずーっとケンカしてるんだよ。みっともないぞ」

「「ケンカじゃない」」

「…………あはは、二人はとっても気が合うね」


 ルイス様がにこりと微笑んだまま出した低めの声に、ヴィンセントがはっとしたようにギギギ、と振り返る。


 ほらな、言わんこっちゃないだろ。


「あー……シャーリーン。そんなことよりユアンの試合を見たのか?」

「え? ええ! 見ましたわ、お兄様のパン食い競争!」


 僕の言葉にハッとして、ケンカモードから一気に抜け出したシャーリーンに、僕を含めユアンやテトラもほっとしているのを感じた。


「とっても華麗にマフィンをちぎり取って走る姿に感銘を受けました! さすがお兄様、誰もが見惚れておりました」

「そ、そんな……ありがとう」

「どんな手を使ってファンたちがお兄様に襲い掛かるかとはらはらしていましたが……何事もなくよかったです」

「あれは、()()()()()()()の範疇なのか?」


 ユアンの参加したパン食い競争は、五人ほどの生徒がいっせいに、少し先に吊りさがっているマフィンめがけて走り、それをジャンプして口でとって食べながらゴールめざしてまた走る……というものだった。


 マフィンはしっかり人数分吊り下がっているものの、ここでユアンと一緒に走るやつらの狙いはただひとつ……そう、ユアンが食べるマフィンを手に入れることだった。


 どういうことかというと、まずはユアンが狙っているマフィンを同時に狙うことで、事故チューを狙う。


 あわよくば顔も舐める。


 ついでに揉みくちゃにして体を触る。


 これが第一段階だ。


 第二段階は、ユアンが噛みきった残りのマフィンを、手に入れる。


 これはオークションまたは個人の観賞用として使われるのだろう。


 第三段階は、ユアンが食べながら走る中でポロポロと口からこぼすマフィンのカスを回収する。


 これも高値で取引される。


 …………というような感じで、とんでもない獣たちに囲まれた中走ったユアンは、なんとさっそくマフィンを目の前にして揉みくちゃにされ、無防備にもあわや顔を舐められようとした。



 そこでギャーと叫んだシャーリーンが、起こした行動は単純だった。


 なんとそこまで走って飛び込んでいき、ユアンの顔を舐めようと舌を伸ばした生徒四人をまとめてねじ伏せたのだ。


 ユアンはそれを見てびっくりしながらも、シャーリーンの後押しでマフィンをとって食べ、競争相手が全員地面にのびて戦闘不能のなかで優雅に首位でゴールインした。


 その間、シャーリーンは競技の参加者でもないのにマフィンをひっつかんで食べながらユアンの横を走りつづけ、黄色い声を上げ、ゴールインのときは立ち止まって後ろから拍手しながらユアンを称えていた。


 ────いや、あれは何事もなくじゃないだろう。意味不明だったんだが。


「テトラの借り物競争も、楽しかったわね! 一緒に走れて光栄だったわ!」

「そういえばテトラはシャーリーンを借りていたね。お題はなんだったの?」

「それは……その。お題は……強い人、だったんだ」

「強いって力がか?」

「特に詳しくは何も書いてなくて。僕はただ、お題を見たときにシャーリーンちゃんが前で応援してくれてるのが目に入って、あ、シャーリーンちゃんと走りたいなって思って」

「テ……テトラ、なんだか私うれしくて暑くなってきたわ!!」


 キャリック家のテトラも、競技の時にどうなるかと不安視されている獲物の一人だったわけだが、結果的にはうまくおさまった。


 借り物競争でシャーリーンと一緒に走るというのは、なにより最強の防具であり武器だったからだ。


「それにしてもジレスはさすがだったね。ショーみたいで面白かったよ」

「ええ。正直なるほどと思わされましたわ。うん」

「あの、ジレス様の競技って、大玉転がしだったんですよね……?」

「うん、そうだよ。大玉転がしというより、大道芸みたいだったけど」

「ジレスは調教師の才能があるんじゃないか?」

「みんなして何だよ」


 僕の午前中の参加競技は大玉転がしで、その名のとおり自分の身体ほど大きい玉を転がしながらゴールを目指すというものだった。


 これもなかなかの曲者競技で、同時にスタートしたほかの生徒は最初からゴールではなく僕めがけて玉を転がしてくるわ、大きい玉の陰にかくれて僕の身体を触りに来ようとするわでメチャクチャだった。


 なんでこの学院の生徒は普段礼儀正しい癖に、体育祭だけは欲に素直になるんだ……?


「だけど上手に飼いならして、最後はジレス様の玉の上に生徒が三人も乗って踊ってたじゃないですか!」

「踊っていたのか? あれは。玉から落ちないように必死だったんだろ」

「それよりも飼いならすって言い方はやめてくれるか?」

「あの方たちもすごいですよね。ころころ転がる玉の上から落ちないように足を動かし続けるって、僕ならできないなあ」

「昔、街で玉乗りをしてるサーカスの人を見たことがあったんだけど、それを思い出して懐かしくなったよ」

「それでジレスは勝手に転がる玉を眺めてるだけで優勝したんだもんね。見事なお手並みだったよ」


 ……ルイス様に褒められるのは少しうれしいが。


 いや、これは、褒められているのだろうか?


「本当にサーカス団でもつくったらどうだ?」

「いやに決まってるだろ。お前がやればいいよ、ヴィンセント」

「あ! そうだ、お父様とお母さまとも話してこようっと。お兄様も一緒に行きますか?」

「うん、一緒にいこう」


 みんなでバカな話をしながらご飯をたべていると、シャーリーンが急に立ち上がって言う。


 そうやって兄妹はグリーナワ家の両親の近くまで歩いて仲睦まじく話し始めたのだった。


「……ところでルイス様の心は、ここにないならどこにあるのですか?」


 ヴィンセントとテトラがそんなグリーナワ家の様子を見ながら談笑しているのを横目にしながら、僕はふと気になって、先ほどルイス様がエルシーに対して放った言葉について尋ねる。


 するとルイス様はぞっとするほど美しい顔で笑った。


「それはもう、シャーリーンにあげたんだ」


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