第45話 彷徨う魂
「ああ……ヴィンセント様がこの辺はクマが出るだなんて変なフラグたてたせいでこんなことに」
「フラグは折るものだと聞いていたんだが」
「助けてえええ!!!」
「いえ、フラグは回収するものですわよ。一般的にフラグとは……」
「助けてえええ!!!」
「類は友を呼ぶというやつだ。シャーリーンが呼んだんだろう、行け」
「失礼な。私はこんな獰猛ではありませんわよ」
叫び声をたよりに走った私たちがみたもの──────それは、少なくとも三から四メートルはある、恐ろしいほど巨大なクマだった。
森の主的なその姿に妙に一瞬感激したのもつかの間、その大きさに本能が警鐘を鳴らし始める。
大きさへの恐怖もさることながら、何より悪臭がひどいのだ。
さらに悪いことに、毛むくじゃらのクマの左手の中には叫び声を上げながら暴れ続ける人がいることに気づき、私は思わずヴィンセント様と顔を見合わせた。
「まったく、もしやあれはうちの女生徒か? なんでこんなところに一人で。危機感がなさすぎる」
「……それよりどうします? 私がクマを引きつけるので、ヴィンセント様があの子を救出するという手でいかがでしょう?」
「ああ。やってみよう」
森中に響き渡るような低く轟く声で雄叫びをあげるクマを木陰からみながら、私はぎゅっと口を引き結んだ。
「ではまず、万が一にも人目を避けるためにこの辺一帯を異次元に移送しますね」
「相変わらずだが、なんで散歩行こっかなくらいのノリでそんな魔法を使えるんだお前は」
ついでに認識阻害の魔法もかけておこう。
第三者はもちろんのこと、万が一にもクマにつかまっている女生徒に、自分が様々な魔法を使っていることを見られてもいけないからね。
本当は彼女を気絶させて魔法でこっちに転移させたかったけど、残念ながら女の子はしっかりとクマの手に包まれていてほとんど見えないのだ。
そんな中で、私の想像力だけを頼りに転移魔法を使うのは少々危険を伴う────たとえば、一部が元の場所に残っちゃったり、とかね。
「さあ、準備完了です。私から行きます!」
右手を銃に見立てて掲げ、木陰からクマの足に狙いを定める。
指の先がチカッと光ったように思った瞬間、ひとさし指の先からは電撃が走った。
「ぐおおおおおお!」
足元が崩れて倒れそうになったクマの体を、重力を操作して地面に倒れこまない程度で止める。
そしてその大きくなった影の中にヴィンセント様を移送した。
「よし、今助けにいく!」
木陰でクマの体勢を固定しながら、大きな体によじのぼろうとするヴィンセント様を見守る。
その時、クマの片手がヴィンセント様に向かってほんの少し、ピクリと動いた気がした。
「危ない!!!」
ギイイイイイイイイン!!
直後、ヴィンセント様に向かって振り下ろされた大きな腕が防御壁に弾き返され、クマはその反動で大きく体をびくつかせた。
叫びながら傷んだ腕を抑えようとするそぶりを見せ、そして、一瞬はっとした様子で左手に目をやり、手のひらにおさまっている女生徒を確認すると、息をついたようなしぐさを見せた。
まるで、安心したみたいに。
「我が影よ、……」
「ヴィンセント様待って!」
詠唱を遮られ驚いているヴィンセント様をしり目に、クマの前に飛び出ると勢いをつけて飛ぶ。
振り回されるクマの手をかい潜ってクマの首元にしがみついた私は、混乱して一層暴れる体から落とされないように必死で魔法を使って踏ん張った。
それにしてもなんなの。
この腐ったみたいな匂いは……!
「ぐああああああ!」
殺気を滾らせたクマが、私たちを傷つけようと爪をだし牙をむく。
そんなクマに向かって、私は確信をもって声をあげた。
「あなたがその女の子を傷つけようとしていないのはわかっています」
「ぐあああああ!」
「優しい子だとわかってるわ。彼女が傷ついてないか心配していたもの。どうしてそんなに暴れてるの、どこか痛いなら私が助けになれるかもしれない」
その瞬間、私を捕えようと鼻息荒く腕をふりまわしていたクマがぴたりと動きをとめ、私をその大きな黒い目で見据えた。
「……あ、やっぱりわかるのね? 言葉が」
「ぐああああ!」
「え、ちがうの?!」
一瞬気を抜いたせいで、急にまた暴れだしたクマの動きに振り飛ばされ、私はヴィンセント様のいる地面近くにどしんと尻もちをついて倒れこんだ。
「大丈夫かシャーリーン?!」
「いったあ……。いえ、大丈夫です……」
言いながら頭を巡らせる。
言葉が通じないなら普通にこの子を気絶させて、女生徒を救うしかないか……。
そう決意した瞬間、横でポン、とコミカルな音が響く。
そちらを向くと慣れ親しんだミニドラゴンが視界に入り、私はびっくりして叫んだ。
「レ、レヴィン様!? どうして」
「君って、本当に特別な子だね」
私の手のひらに収まるほどの小さなその存在が、空中で徐々に人の形に変わっていくと、クマは明らかに動揺した様子だった。
先ほどまでの様子とは打って変わって、途端に苦しそうな呻き声をあげながら膝をまげたクマを見て、私は思わず息をのんだ。
「シャーリーン、どういうことだこれ……」
「……やあヴィンセント。青薔薇塾ぶりだね」
「あ、はい、そうですが……いま、変身、しませんでしたか?」
「その話はあとにしよう。……すまない。君に気づけていなかった」
レヴィン様が静かにつぶやくと、その恐ろしいほどきれいな顔につうっと涙が一筋伝って、私はびっくりして口をあけた。
そしてさらに驚くことに、その途端、クマの身体がびくびくと大きく震え、体中の穴という穴から真っ黒な液体がどろどろと滲み出たのだ。
黒い液体は悪臭を放ちながら地面に広がり、ゆっくりと空気に溶けて消えていく。
「きゅうううう……」
恐ろしい光景なのに、クマは怯えるどころか安心したような表情を浮かべていた。
そして、レヴィン様が「安らかに」とつぶやくと、クマは静かにそのまま動かなくなった。
「え……?」
何故かそのクマがどうなったのかを理解して、勝手に声が漏れた。
レヴィン様はじっとクマに触れていた手を離すと、ぽつりとこぼした。
「長い間亡霊のようにさまよい、ひどく苦しかっただろう。シャーリーン、彼に気づいてくれてありがとう」
「どういう……何だったのですか? あの黒いのは……」
「彼の血だ。戦があった時代、ヒト以外の生き物を兵器として使うのは珍しいことではなかったけど、一度使役魔法をかけられた生き物は、穢された血をすべて抜かれるか、主に自死を命令されるまで死ぬことはない。魂が闇にとらわれ、たとえ身体が腐っても永遠にさまよい続けると言われている────自らの意思通りに動かない体に振りまわされながら」
「……でもこのクマは多分、女生徒を助けようとしていましたわ」
倒れ込んだクマの手のひらの中で眠ったように気を失っている女生徒を見て、私は言った。
「そうか。……敬意を表そう」
「……使役魔法をかけられると、寿命をこえていても生き続けるのですか?」
「この状態を生きるというのなら」
ゆっくりと手を伸ばし、クマの亡骸をおそるおそる撫でる。
その毛並みの奥がまだあたたかく感じられて、私は思わず空を見あげた。
じっと思いにふけっている横で、レヴィン様も同じように佇んでいた。
「ちなみに、それは何属性の魔法なんだ?」
「……………………使役魔法は、何属性でもなく、誰にでも使える……魔法使いでなくても。魔法というよりは呪いに近いからだと思う」
「それは危険ですね。ところで二人して俺の存在を忘れてたんじゃないですか?」
「……………………やあ、ヴィンセント」
「ヴィンセント様、いろいろ……驚いておられることでしょう」
「忘れてたな? まあいい。ああ、驚いた。青薔薇塾でお前たちが言ってた歴史の話が現実味を帯びたな。そして、まさか講師としてたまにきてたレヴィン様が本物の……魔物、ということなのか?」
「ええ。お兄様やジレス様にもちゃんと今度、打ち明けないとね」
私が言うと、レヴィン様が何も言わずに私の髪をなでた。
「ああ……ああ! そういうことか!」
突然大きな声を出したヴィンセント様に、私はびっくりして何ですか、と尋ねる。
「兄上が言ってたハイパー強いライバルって、レヴィン様のことか!」
「何の話よ……?」
◇◇◇
「シャーリーン様ったら流石ですわ! イノシシだけでなく道中でクマも狩っただなんて、女の鑑です!」
「クマやイノシシを狩る令嬢が女の鑑か?」
「ああ、クマの首元をひっつかんで殴り込んだ勇敢な姿には俺も感動して思わず涙した」
「なんてこと! 勇ましいシャーリーン様のお姿、見たかったですわ!」
「いやそんなことしてないわよ」
私が言うと、マリベルはご謙遜なさらずにと言いながら笑う。
いや、ほんとにそんなことしてないんだけど……ヴィンセント様、完全に面白がってるわね。
「シャーリーン・グリーナワ。鼻につく女だけれど、一応、礼だけ言っておくわ」
急にざっざっと砂を踏み鳴らしてやってきたわりに、ぼそぼそと力なく小声で話す女生徒に、私はまたため息を吐いた。
「お気になさらず。あなたを助けたのはヴィンセント様ですよ」
「ふん、わかってるわ。ヴィンセント様は本当にお優しいですね……私をお助けいただき本当に本当にありがとうございます!」
「あんなところを一人で歩いてたのか? もう少し考えて行動したらどうだ」
「お……おほほ! 手厳しいですわね、ね! エルシー様」
「でも本当に、ヴィンセント様がいなかったら大変な目にあっていたかもしれないんでしょう? よかったわね。ヴィンセント様はすごいですね」
エルシーが媚びたように言い、上気したように頬を染めながらヴィンセント様を見つめる。
それをじーっと長い間見つめたヴィンセント様は、ふむ、と顎に手を当ててつぶやいた。
「預言の力で、彼女が森に行けば危険な目にあうと忠告できなかったのか? 仲がいいんだろう」
「あ……とても重要なもの以外は、いつでも予見できるわけではないんです」
「自分の友人が恐ろしい目にあうのは、重要なことじゃないんだな」
「え?」
「まあ、今夜を楽しみにしてるよ。お前にとって重要な話を聞けるのが楽しみだ」
そうやって微笑んだヴィンセント様に、周りにいた生徒たちはそわそわとしながら箸を進めるしかなかったのだった。




