第35話 前夜
エルフの国を去って長い家出からついに戻ってきた私は、家族や友人たちとの再会をひとしきり喜んだ後、これまでにないほど忙しい日々を過ごしていた。
まず第一に、戻ってきた途端にお母さまがやたらと教育熱心になったことによって、日中のスケジュールが過密になった。
やる内容はというと、ダンスや音楽などの令嬢としての教養や、帳簿の読み方、お茶会やパーティーなど社交に関する手解き、国内貴族の勢力図や現状に関する講義などなど……。
すっかり教育ママと化したお母様の最近の口癖は「社交界の華である私の教えを受けてその程度は許しません」と「あなたのためなのよ」の二つだ。
ちなみに一度、食事の席でお父様にお母様の教育熱心さを愚痴ってみたんだけど、それは仕方ないと流された。
「シャーリーン、セリーヌはお前のためを思ってやっているんだ。いずれこの国のファーストレディになるのだから」
「ファ……なんですって?」
家族とは旅の間も文通などで状況をしきりに連絡し合っていたけれど、彼らはそれと同じくらい頻繁にルイスからも手紙を受け取っていたらしい。
つまり、第一王子であるルイスの口添えのおかげで私は家族の理解を得て長い間家を留守にできていたというわけだ。
しかしこの世界では当然、未婚の令嬢が未婚の紳士とおでかけ、ましてや長期外泊というと大ごとなわけで、私の両親からすると「娘と外泊するなら責任取れよ」となってしまったのだろう。
そんなわけで、私のわがままによる大陸一周旅のトレードオフとして、ルイスが私との婚約話を水面下で進めてくれていたらしく、それがこの過密スケジュールを生み出してしまったと思われた。
もちろん巻き込まれたルイスに申し訳なさすぎて、それを知った日すぐに手紙を送って「うまいこと協力してしっかり婚約破棄の手筈を整えましょうね」と伝えたけれど、ルイスの返事は「笑」の一言だった。
そしてそんな過密スケジュールの中でも、スキマを見つけてはあれこれ自分でもやりたいことを進めていたためか、忙しさには拍車がかかった。
新聞社は大きくなり、貴族向けに加えて最近は平民向けにニーズを合わせた新聞も発行しはじめた。
平民は識字率が高くないから平民向けの新聞は貴族向けよりも創意工夫を凝らしていて、魔法で全ての文字に読み上げ機能をつけたほか、たとえば紙面に動画をつけたり、広告枠をつくってお店の宣伝費をもらってみたりもしている。
読み上げ機能は識字率向上にも一役買っているようで本望だけど、特に人気になったのは動画のおかげだったらしい。
動画と言っても数秒のものだけれど、紙面の中の写真が動くという驚きはさることながら、社交界の女同士の激しい嫌味の言い合いを激写してゴシップ記事を流したり、一般教養や文字の読み書き、衛生教育や節約術に生活の知恵といった多様なジャンルのプチ講義をつくって配信したりもしていたので、あらゆる層が興味を示してくれたようだった。
学院に入学して忙しい学生生活を送り始めているらしいラッセンさんやルイス、そしてみっちり家庭教師に鍛えられているというテトラとも、なんだかんだと頻繁に連絡しあっている。
おかげで上下水道を国内全土に敷設するという公共事業も着々と進んでいるし、リゾートアイランドの収益や収入源も順調に伸びている状態だ。
アーシラの干ばつ対策も徐々に功を奏してきているという。
工場が無事にでき、マンゴーやひまわりの種を使ったビジネスもうまく滑り出していて、今ラートッハの令嬢のあいだでは美しく甘いマンゴータルトとひまわりのヘアオイルが大ブームとなっている。
治癒用の魔法石を改善する話もルイスの働きかけのおかげで進んでいて、今まで一つしか種類がなかった魔法石は、今後少なくとも原因ごとにわけて五種類つくり、どんな症状にどれが効くかを開示していく方針だ。
ところで、そんなふうに私が忙しすぎる日々を送っているせいで寂しがっているのが、ユアンお兄様だ。
ユアンお兄様は、相変わらずジレス様やヴィンセント様と一緒にティファニー先生の魔法授業を受けているらしい。
最初は私もまたそれに参加しようかと思っていたけれど、魔物たちの国で訓練を積み模擬実践を繰り返している私には、少々物足りないようにも思えた。
そんなわけで、いまは魔物たちとの魔法訓練に精を出していて、時間が許す限り訪れるようにしている。
…………海賊事件のせいもあって、身の回りで人が傷つくのをもう二度と見たくないという思いが強くなっているのかもしれない。
もはや焦燥感と使命感に近い感覚で、突き動かされるように寝る間も惜しんで訓練に付き合ってもらっていた。
さて。
そんな中でも、特に私を忙しく感じさせているのが「塾」の開講だ。
私にはひとつ、確信していることがあった──────それは、貴族だろうが平民だろうが、いずれ身分に関わらず優秀な者がこの世界を変えていくだろう、ということ。
そして、その者たちがいつか、有事の際に十分に公正で平和的な選択をできるように、この世界には倫理的で優秀な人間がもっともっと必要だということ。
そんなわけで家に戻ってきてからの私は、国籍や性別、年齢や身分に関係なく誰もが学べる場として、青薔薇塾というオンライン────つまりは魔法を使った仮想現実での────無料の学び場をつくることにした。
やることはかなり幅広く、お金や商売のこと、算数や文字の読み書きなどの一般教養のほか、土地や魔法と魔法使いの歴史を紐解いたり、前世での知識をもとにした衛生観念や科学的な話、武器の使い方や戦い方まで、多岐に渡っていた。
とはいえ全体でみると講義よりも議論の時間を多くとっていて、議論は塾生の大好きなパートのひとつでもあった。
テーマも色々で、どう生きるべきか、平和とは何か、この世をよくするとはなにか……などなど。
参加者は新聞で募った各国の平民の男女が中心だったけれど、ルイスやキャリック兄弟にジレス様とヴィンセント様、ユアンお兄様といったおなじみのメンバーや、グアラ王国のオスカー様やユリア様たちも平民に扮して参加していたし、気まぐれにレヴィン様たち魔物やエルフが来て場を掻き乱していったり、教師になってくれることもあった。
……もちろん、彼らもまだ正体は隠してだけど。
青薔薇塾という名前の由来については、お兄様が一度私に何気なく聞いてきたことがあった。
「青い薔薇って聞いたことがないけど、どうして青薔薇塾なの?」
「青薔薇は……ほんの少し前までは花言葉も不可能だったんです」
「前?」
「今の花言葉は、夢かなうです」
「シャーリーンのいうことはたまに、よくわからないな……」
「お兄様が大人になる頃にはきっとわかりますわ」
はじめの頃は、多くの貴族から「下賎な平民なんかを相手にして公爵家の令嬢として恥ずかしくないのか」とか「災いを呼ぶ穢れた魔女が教養を平民に教えるなどちゃんちゃらおかしい」とか噂されていたらしい。
けれど、社交界のクイーンたる我が母セリーヌと、(一応)婚約者のルイスがそれはもうすさまじい睨みをきかせてくれたおかげで、世間では段々と表立った陰口はなくなったと聞いている。
そうこうしている間にユアンお兄様も学院に入学し、私も忙しい日々の中で、来年の入学にむけて準備をしたり、社交界には相変わらず出不精で通していたけれど、父や母との時間を楽しんだりしていた。
──────本当に、あらゆることが変化したわ。
少なくとも、私は与えられた役割をこえて人生を満喫しているもの。
そう実感していたある日、お父様が言った。
「皇后陛下が長らく全身の痛みを訴えていたのは知っているだろう」
「ええ、もう公的な場にはまったく出てらっしゃいませんわね。最後に見たのは……そうだわ、あなたたちも行った」
「陛下の二年前のお祝いですか? 僕とシャーリーンが初めて王城へ行った」
「そう。それが今じゃ、公的な場だけじゃなく、城内でも部屋にこもっていているんですって。どれほど痛いのかしら」
「その皇后陛下の痛みだが、グアラからきた少女が、不思議な預言の力で和らげることに成功したらしい。喜んだ陛下の後ろ盾で、その少女も学院に入学するそうだ」
「それはすごいですわね」
「ああ。シャーリーンの同級生になるそうだ。たしか名前は」
「エルシー・ローグ…………」
「あらシャーリーン、知っていたの?」
ついに、ゲームシナリオ開始の時が迫っていた。




