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「それでね、他にもいろんな話を教えてもらったんだ。私、中でもかぐや姫の話が好きだなぁ」
雪音は楽しそうに、遥美から聞いたおとぎ話のことを説明してくれた。
「遥美ちゃん、すごく物知りだよね。本もたくさん持ってるし」
「うん、遥美は文学部だからね。それに、小さい頃から図書室が大好きだったし」
「へぇー」
ちなみにかぐや姫の話くらい僕だって知ってる、と思ったが、敢えて主張はしなかった。
「それにしても、雪音、いつもソレだよね」
僕は、雪音の飲んでいるホットショコラを見て言った。
「うん。だって、甘くて美味しいんだもん」
「……何だかなぁ」
「何?」
「ホットショコラが好きな雪女、って、やっぱり何かしっくり来ないんだよな」
「だから、それは人間が持ってる偏見でしょ? 雪女の話も遥美ちゃんから教えてもらったけど、全然私の生活と違うし」
雪音は、頬杖をついて窓の外を眺めながら言った。
雪音と出逢ってから、もう一ヶ月以上の時間が経っていた。
僕と雪音が、こうして二人で街を出歩くのも、ずいぶん自然なことに思えるようになってきた。
今までの人生で、こうして女の子と二人、カフェで話をするなんて経験したことも無かったのに。
デート。
そんな言葉が頭をよぎって、何だか少し、照れくさかった。
「あ、そうだ。ショコラで思い出した」
「ん?」
雪音は、バッグから何かを取り出した。
「はい、コレ」
「何?」
僕は、雪音からキレイにラッピングされた箱を手渡された。
「チョコレート?」
「うん。今日って、バレンタインって言うんでしょ?」
「バレンタイン……え!?」
雪音が!?
僕に!?
チョコレート!?
「そ、それって、つまり……!」
僕は、しどろもどろになりながら手渡されたチョコレートと雪音の顔を見比べた。
「いや、あの、何て言うか、すごく嬉しいって言うか、あまりこんな経験無いもんだから、何てお答えしたら良いのか……」
「何かね、遥美ちゃんが、『これを七海にプレゼントしたらきっと喜ぶよ』って」
「……遥美が?」
「うん。それにね、『14日になるまで渡しちゃダメだ』って。毎日のように会ってるのに、何でだろう。うっかり今日持ってくるの忘れちゃうところだったよ」
「それはつまり、バレンタインの趣旨を理解していないわけで」
「バレンタインって、何の日なの?」
「……一年で一番チョコが売れる日だよ」
なんだか、拍子抜けした。
「何? 変なの」
首をかしげる雪音を連れてカフェを出て、僕たちは近くの公園に行った。
「うーん、街中も楽しいけど、やっぱりこういう場所もいいよね!」
気持ち良さそうに深呼吸する雪音に、僕は思わず見とれてしまう。
「ん? 何?」
「いや、別に、何でも無いよ」
僕は慌てて目を反らした。
「……ねぇ、七海」
「ん?」
「私、ここに来て良かった」
「ここって、人間の世界、ってこと?」
「うん。ずっと雪山で暮らしてたら、絶対に知らずにいたことを、たくさん知ることができたから。それに……」
「それに?」
「……ううん。ありがと、七海」
「な、何だよ急に」
「へへへ」
微笑む雪音の顔を見ながら、僕は今、はっきりと分かった。
きっと、ホントはもっと前から気付いていたんだと思う。
けれどずっと、自分に自信が持てずに生きてきた。
だから、こんな気持ちになっても、どこかでその気持ちを押し殺すことを覚えていた。
美香のときも、僕は美香を追いかけているつもりで、ホントはずっと、自分の気持ちから逃げ続けていたのかもしれない。
「……雪音」
僕は、前を歩く雪音を呼び止める。
「何?」
雪音は立ち止まり、ゆっくりと振り返ると、僕の目を見つめた。
「僕は……」
思わず目を反らしそうになってしまうのを何とか堪えて、今度はしっかりと雪音を見つめ返す。
「僕は、君が好きだ」
生まれて初めてだった。
自分の口にした言葉で、僕はずっと抱え込んでいた何かを解き放ったのを感じると、すぐにまた別の何かで胸がいっぱいになるのが分かった。
「七海……」
一瞬、雪音は驚いた顔を見せたが、すぐにまた元の笑顔に戻った。
「……ありがと」
静かに微笑む雪音は、そっと僕の腕の中に飛び込んできた。
戸惑いながら雪音を受け止めた僕は、安らぎとか生きがいとか、この世界にあるわけないと思っていたものが、初めて自分の胸の中に生まれてくるのを感じた。
「雪音」
冷たい風が吹き抜けてゆく。
その風が僕らの体を包むほど、僕は自分の胸の中にいる雪音の暖かさに満たされていた。