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「七海くん! 七海くんってば、大丈夫!?」
誰かの呼ぶ声で、僕はうっすらと意識を取り戻した。
「ん……雪音……?」
「雪音? 雪音って誰?」
あれ?
さっきの子じゃないのか?
僕は、ゆっくりと目を開けた。
「ああ、良かった。もう、死んじゃったかと思った」
ため息混じりにそう言ったのは美香だった。
「み……か……?」
その顔を見たのは、もう何年ぶりかのように感じた。
「あれ? ここは……」
「スキー場のロッジだよ。七海、雪の上で倒れてるところを助けられたんだぞ」
「あ……。博樹も……」
博樹は、高校からいっしょだった親友だ。
美香の隣で、いつになく真剣そうな表情で説明してくれた。
周りを見回すと、どうやら他にも、いっしょに来ていたみんなが集まってくれていたらしい。
「そう……なんだ」
意外に、心配してくれたのかな。
「何も覚えてないのか?」
「いや。たしか、滑り出したまま止まらなくなって、気付いたら山小屋に……」
「山小屋? そっか、じゃあ今までずっと意識を失ってたんだね」
ホッとした様子で、美香が呟いた。
「いや、ここの小屋のことじゃなくて……。えっと……」
「おい、大丈夫かそいつ? 打ち所が悪かったんじゃないの?」
美香の向こう側から他人事のように笑う声を聞いた僕は、思わず背筋を強ばらせた。
「大輔……」
大輔はいわゆるイケメンで、成績優秀、スポーツ万能、家もお金持ちのお坊ちゃんだ。
例えるなら、男版の美香、だった。
僕は、大輔が苦手だった。
この他人を見下したような態度が嫌いだった。
けれど、僕が大輔を苦手な本当の理由が別にあることを、僕は最近になってようやく気付いた。
時々、僕が大輔を敬遠するのは単なる「ひがみ」なんじゃないか、と思うことがある。
大輔の近くにいると、美香といるときに感じるのと同じように、どうしたって劣等感を抱かざるを得ない。
自分で自分の劣等感に気付くとき、僕は自分がどうしようもなく嫌になる。
だから、大輔といっしょにいなくてはいけない時間が、僕は苦痛で仕方無かった。
自分の小ささを思い知ることと、その劣等感の責任を大輔に向けている自分に気付くことで、僕はますます自分を嫌いになっていった。
けれど、きっと大輔のような男こそ、美香に相応しいんだろうと思う。
「まったく、人騒がせな奴だよ」
「ご、ごめん、大輔……」
「ちょっと、そんな言い方……」
美香が僕を庇おうとする。
「いいんだよ、美香。みんなに迷惑かけたのは事実なんだし」
美香が僕を庇おうとしてくれただけで、僕は十分幸せなんだ。
「それより、僕といっしょに、女の子がいなかった?」
僕は、雪音のことを訊こうと思った。
「女の子だって? まったく、人が心配してるときに呑気に夢でも見てたのか?」
博樹が冷やかしたが、僕は真剣だった。
美香は、僕のマジメな表情を感じてくれたのか、同じように真剣に聞き返してきた。
「どんな子?」
「何て言うか……ちょっと、不思議な感じの」
「不思議な? 一人だったと思うけど……。そもそも七海くん、倒れてるところを見つけられたんだよ?」
「おかしいな……。僕、どの辺に倒れてた?」
「私が見つけたわけじゃないから詳しくは知らないけど、コースをちょっと外れたところだったみたいだよ。運良く傾斜が緩いところに落っこちて止まったみたいだったけど、もう少し遠かったら、夜明けまで見つからなかったんじゃないか、って聞いたし」
……おかしい。
僕はたしかに、コースを遥かに外れたところまで滑り落ちた、と言うか、転がり落ちたはずだ。
それに、たしかにどこかの山小屋で目が覚めたはずなのに。
あれは、夢だったんだろうか。
「起きられる?」
「う、うん。あ、でも、足を怪我しちゃって……」
そう言いながら、僕は恐る恐るベッドから起きあがろうとする。
「あれ?」
「ケガ? どこか痛むの?」
体のどこにも、痛みは無かった。
「……いや。痛くない……どこも……」
それどころか、あれだけ体のあちこちをぶつけていたはずなのに、疲労感さえもさほど感じない。
「そう、良かったね」
「……うん」
「ケガの一つもしてないなんて、まさかあんなところで寝てたんじゃないか?」
博樹が、笑いながらそう言った。
「あはは……ごめん」
何を言って良いのか分からず、とりあえず謝ってみた。
いつからだろう。
こうやって、自分が悪いのかどうかも分からないまま、とにかく謝るクセがついたのは。
「ごめん……ホントに」
「ん……。まあ、無事だったんだからいいじゃないか」
咳払いの混じった博樹のトーンは、もしかしたら僕が本気で落ち込んでいると思っているのかも知れない。
僕の気分が沈んでいるのは、もっと別の理由なのに。
深呼吸をしながら、僕はさっきまでの出来事を必死に思い出そうとした。
山小屋で出逢った、雪音という少女。
あれは、夢だったのだろうか。
──雪女。
彼女の言葉を思い出して、急に怖くなった。
「……はは、まさか、ね……」
「何が?」
不思議そうにそう訊ねる美香の眼差しに少し照れながら、あれは夢だったのだ、と自分に言い聞かせた。
そうだ。
夢でいいじゃないか。
目の前に美香がいるだけで、僕にとって、今この現実こそ夢みたいなものなのだから。